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御言葉の黙想 エゼキエル書33章11節ー12節 2024年7月6日
本文:
彼らに言いなさい。私は生きている――主なる神の仰せ。私は悪しき者の死を決して喜ばない。むしろ、悪しき者がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、悪の道から立ち帰れ。イスラエルの家よ、あなたがたがどうして死んでよいだろうか。
人の子よ、あなたは同胞に言いなさい。正しき者の正義も、背くときには自分を救うことができない。また、悪しき者の悪も、その悪から立ち帰るときには、それによってつまずくことはない。正しき者も、罪を犯すときは、その正義によって生きることはできない。
黙想:
悪人はその悪によって審判を受ける。しかし、神に立ち返るならば命を得ることができる。しかし、人間はこの呼びかけに応じない(エレミヤ書36,23)。むしろ、「主の道は公正ではない」(33,17)と訴える。審判に際して悔い改めるどころか、自分の義を貫こうとする。
ヨナの宣教を受けたニネヴェの聴衆は、即座に悔い改めて救いを得た。しかし、今の時代は悔い改めることを知らない。強奪したものを返却せず、搾取をやめることがない(33,15)。よって、ある日突然、裁きを受けることになる(33,21)。
主イエスは今でも悔い改めることを求めておられる(マルコによる福音書1,15)。悔い改めなければ、その責任を問われることになる(ルカによる福音書11,50)。
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