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御言葉の黙想 申命記8章2節ー3節 2024年7月10日

本文:
あなたの神、主がこの四十年の間、荒れ野であなたを導いた、すべての道のりを思い起こしなさい。主はあなたを苦しめ、試み、あなたの心にあるもの、すなわちその戒めを守るかどうかを知ろうとされた。
そしてあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたもその先祖も知らなかったマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きるということを、あなたに知らせるためであった。

黙想:
マナとは、荒野にいる民の為に、神が下さる不思議な食べ物である。その語源は民がこれを見て「これは何だろうか?(マンフー)」と言ったところから来ている(出エジプト記16,15)。マナは安息日を例外として、貯めることはできない(出エジプト記16,19)。
使徒パウロはマナを「霊的な食べ物」であると表現している(コリントの信徒への手紙一10,3)。マナは、民が約束の地の産物を食べた翌日から停止された(ヨシュア記5,12)。つまり、荒野における極めて霊的な現象である。
荒野は霊的な訓練の場所である(8,5)。主イエスも荒野でサタンと対決された(マタイによる福音書4,1)。そこで主イエスは本文の3節を引用される。マナの真理とは、空腹を満たすということよりも、主なる神を信じることにある(4,10)。
主は私たちの耐えられないような試練をお与えにならない(コリントの信徒への手紙一10,13)。主イエスは、荒野を歩むすべての民に与えられたマナである。主イエスを信じる者は決して飢えることも渇くこともない(ヨハネによる福音書6,35)。私たちの服は擦り切れることがなく、足が腫れることもない(8,4)。ついには無事に、約束の地にたどり着くことができるのである。

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