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御言葉の黙想 使徒言行録2章17節ー21節 2024年7月11日

本文:
『神は言われる。/終わりの日に/私は、すべての肉なる者にわが霊を注ぐ。/あなたがたの息子や娘は預言し/若者は幻を見、老人は夢を見る。
その日、男女の奴隷にも/わが霊を注ぐ。/すると、彼らは預言する。
上では、天に不思議な業を/下では、地にしるしを示す。/血と火と立ち上る煙が、それだ。
主の大いなる輝かしい日が来る前に/太陽は闇に/月は血に変わる。
しかし、主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

五旬節、ペンテコステ(シャブオット)は、シナイ山で律法を授かったことを記念するお祭りであり、収穫祭の意味も持つ。イスラエルでは過越しの祭り、仮庵の祭りと共に三大お祭りであるとされている。
弟子たちがこの日に集まって祈っていると、イエス様の御言葉通り、聖霊に満たされ、それぞれ外国語で預言を始めた。集まった群衆が驚いていると、ペテロは演説を始めた。
その演説の中で本文の聖書箇所が引用されている(ヨエル書3,1-5)。引用箇所によると、終わりの日に神は多くの人に聖霊を注ぎ、預言が起こる。そして、天と地に多くの徴が示される。しかし、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」(2,21)。
神は予め定めておられた通り、主イエスの十字架と復活の業を示され、これを信じる者に救いの道を開かれた(2,23.2,38)。主イエスを信じる者は、この曲がった時代(γενεά)から救いを受けることができる。
ペテロの演説を聞いた群衆は心を激しく刺された(κατανύσσομαι)とある(2,37)。聖書協会共同訳では「大いに心を打たれ」と訳してある。イエス・キリストの宣教の言葉を聞いて大いに心を打たれ、「兄弟たち、私たちは何をすべきでしょうか」と問い、心を入れ替えた者は幸いである(2,37)。その人は聖霊を賜物として与えられる(2,38)。

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