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ATSUの人生。どんなやつ?〜キャリア編〜




転職先でのキャリア

===とにかく仕事覚える期間======

転職した会社は、当時マザーズ上場したての80人ぐらいの会社でした。
私は、当時は管理部(経理、人事、総務)に配属されました。
この管理部は当時、若手が一人もおらず、部長が50代前半、課長が40代前半、メンバーが40代後半の男性と40代後半の女性の4名。
そんな中に20代前半の私が入ったものだから、結構期待もされていたし、みなさん優しく丁寧に接してくれて、「こんないい会社や環境もあるんだ」と非常に感心したのを覚えています。
そんな新たな会社での管理部としてのキャリアは、給与計算業務の引き継ぎからスタートしました。
正直、上場会社の給与計算を、全く未経験の私がしていいのか!?と思いましたが、とりあえずはやり始めます。
社員からも、即戦力重視の中途採用ばかりだったので、私みたいな若い人はレアキャラです。
なので、いろんな質問がバシバシ飛んできて。それに応えると「ありがとう!」が返ってきて、それが嬉しくてまた頑張る!
そうやって、人事の法律や総務のことなどどんどん詳しくなっていきました。

===経理キャリアスタート======

入社し2年ほど経ったある日のこと、
部長より、「子会社を作るんだけど、人がいないから、やってみる?」と聞かれ、何をやるのかもよくわかっていなかったですが、なかなか経験できるものではないと思い、二つ返事で「やります!」と答えました。
蓋を開けてみれば、子会社のコーポレート部分の全部です。(もちろんサポート頂きながら。)
経理でいうと、仕訳の入力から売上計上から請求から仕入れ計上やら月次決算から、資金繰りまでとにかく全部です。w
これもまた、いきなりこんな若い(当時25歳)、未経験の奴に任せてええんかいな!?とか思いつつ。まぁ要は人がいなかったんです。
ただ経理については、本当に何もわからなかったし、ある程度ルールや型があるので、感覚的にやるわけにもいかない。
こうしなければならない!があるので、それを覚えるのに非常に苦労しました。仕訳を入力するのもチンプンカンプン。
簿記は勉強したけどつまらなすぎて頭に入ってこず。結局は実際にやりながら学びながらで覚えていきました。
経理だと、貸方・借方とか言いますが、私は右とか左とか言っていました。(今でもw)
最初はそこまで売上や仕入も発生せずだったので、覚えるのにはちょうど良かったと思います。途中は、原価のコスト管理とか管理会計や分析的なこともやったりして、経営と営業と製造とを数字という共有言語で繋いで、会社を良くしていくのが非常に面白かったです。
ただ、徐々に規模も大きくなってきて、設備投資もするようになってきて、手形を切るもんだから、資金繰りもやる必要が出てきて。
この手形の管理が本当に嫌でしたね。不渡にしたらどえらいことになってしまうのでめちゃくちゃ神経使います。
資金繰りには、売掛金の予測もしないとだし、外れたら資金ショートするから多めに借りるんだけど、借りたら借りたで、思ったより入金があってキャッシュ余ったり。
こん時に、中小企業の社長は本当に大変なんだろうな。って物凄く実感しました。営業も資金繰りも全部やらないといけないから大変だなって。
徐々に会社も大きくなってきたので、請求業務がエクセルでは追いつかず、販売管理や経理システムを導入したりとかもしていました。
結局、その子会社は3年目で累損解消し黒字化しました。
この結果を受けて、もう1社同じモデルで別エリアで立ち上げることになったりして。そこも3年目で黒字化しました。(今思うとスゴ!)
この2社がどちらも大きくなってきたので、連結会計とかもやりだして、監査法人との関わり合いも増えてきたり、内部統制とかリスクコントロールとかも出てきて。
結局、子会社2社と親会社の月次や年次決算もやるようになっていきました。
ここでは会社というものをかなり立体的に掴めて、非常に良い経験となりました。最初はホントしんどかったですが、今ではめちゃめちゃ感謝しています。

====つまらなくなってきたぞぃ!========

親会社の経理をやり出してからは、組織が管理部→人事総務部と経理部に分かれまして。
それまでは、経理と人事総務もやっていたのですが、組織が分かれてしまって配属も経理になり、仕事は経理1色!
親会社の方は、ほぼ財務会計のみで、きっちりやる!みたいな世界観で。
経理の財務会計って、ほぼ正解があるんですよね。というか正解に向けて作っていくというか。(一部、見解とか解釈とかはあるのですが)
その答えがある感じが本当につまらなくて。ただの作業員というか、決められたルールに基づいてやる感じが嫌で嫌で。
「俺は経理に向いていない!やっぱ答えのない人事がいい!」
ってなって異動の希望を出し続けました。

====念願の人事=======

すぐには叶わなかったものの、数年経った時、組織変化と共に人事に配属されることに!やりました!
それまでは、人事とは言っても、労務管理(給与計算・社会保険など)などの守り部分が多かったですが、部長が変わったこともあり、ビジョン策定に基づく制度設計や、新卒採用も任せてもらえるようになりました。
新卒採用については、私に非常にマッチしており、新卒の学生さんと話すの自体も楽しかったし、マーケティング要素も強く、数字を分析して、次どうするのか?とかを考えるのも非常に面白かったです。
結果、1選考〜内定まで辞退率0%という実績をありました。(当時の話w)
またこの頃、働き方改革の波も押し寄せてきていて、フレックスタイム制度の導入や業務効率化の一環で人事システムを導入しています。
やはり新しいことだったり、仕組みを作ったりとか、全体最適を考える。みたいなことが好きですね。

====まさかの異動。。。=====

そんな楽しい人事ライフを送っていましたが、3年経った頃に異動が命じられます。
これは役員の想いで、ずっとコーポレートではなく、事業部側(プロフィット)の経験もした方が良い!っていうのと、関西のクセ強お局さんからご指名頂きまして、この人と一緒に仕事できるのは君しかいない!的なノリで、タイミングがバッチリ重なり異動となりました。
場所は名古屋→関西。
そん時、家を建てていて、子供もまだ小さい。
どうしようかと迷った結果、家族全員で関西へ行くことへ!

===苦しい日々の始まり=====

関西への異動。また全然知らない場所で全然知らない業務のスタートです。
異動先の部署の業務は、事業部の管理系全般。事業部経理と業務のオペレーション業務です。
子会社経験もあるし、基本的に新しいことを覚えることは苦ではないでそこは問題なし。
メンバー構成は、クセ強お局さん(女性)→私→クセ強メンバーさん(女性)の3名です。
お局さんも基本的に私のことも知っていて、コミュニケーション良好。
業務自体もそこまで難しくないので、すぐに覚えて問題なし。
むしろ、お局さんアルアルだと思いますが、もう究極の属人化&ガラパゴス化しており、業務改善しまくりでした。
ただ、1点だけどうしようもないことが。。
実は、”クセ強お局さん”と”クセ強メンバー”は仲が悪かったのです。
今までは、”クセ強お局さん”と”クセ強メンバー”さんだけだったので冷戦状態で表面化していなかったのですが、私が入ったことで間ができてしまったため、冷戦状態から戦争状態へと突入していきます。
お局さんからは、メンバーの愚痴。メンバーからは、お局さんの愚痴。
を永遠と聞かされ続けることになります。
最初の方は良かったのですが、1年以上続くと、さすがに、何で喧嘩に巻き込まれないといけないんだよ!もっと仕事にフォーカスしろよ!って苛立ってきていました。

====コーチングとの出会い=======

業務改善を続けたことで、仕事もそこまで忙しくなくなり、暇が無理な私は、他の部署の手伝いとかもしていたのですが、それでも結構暇な日が続いていました。
暇だったので、何か新しいことを学ぼう!と思い、何がいいんだろ?
自分を振り返った時に、人の特徴つかんだり応援したりするの好きだな。
そんな仕事ないかなぁって調べていたら、「コーチング」というものにヒット。これめちゃいいじゃん!やりたい!と早速、講座に申し込み。
講座を週末に受けにいっていたのですが、想像していたものと違っていて。
受講してきている人もなんかちょっと病んでるというか、癒しを求めて。
スピリチュアルゥ〜みたいな人が多く。
(※スピリチュアルは個人的には嫌いではなく、必要な世界観だと思っています。)
こんなこと言ったら怒られるかもですが、全体的に気持ち悪かったです。
結局、すべて講座は受けましたが、コーチングってこんな感じなんだ。
なんか違うわ。で終わってしまいました。

====転職活動始めました======

業務も暇だし、戦争はおさまることもないし、コーチングも違うなってなったし、このままここにいたら腐っちゃうな。
この頃から、俺ってこのままでいいのかな?もっとできることあるのではないかな?このまま死んでも後悔しないかな?みたいな思いが、物凄く出てくるようになってきていました。
環境を変えるか、自分を変えるか。どっちだ!?
基本的には自分を変える。だけど、さすがにこの状況は厳しいよなと。
環境を変えるために、転職活動をし始めます。
名古屋に家があるので、大阪から行ったり来たりで面接を受けたり。
結局2ヶ月ほど続けて、内定も2社ほど頂いていました。
しかし、どこからか会社に伝わったみたいで、部長からもそれとなく話があったりして。

====また異動=======

そんなゴタゴタがあり(自分が原因ですが。)
結局、名古屋へ異動することになりました。
所属は、名古屋の事業部側の管理部門です。関西でやっていたことの名古屋バージョンですね。
名古屋は本社のお膝元というのもあって、業務内容も多いため関西と違って難易度が高い。
結局1年ぐらいは仕事覚えるの必死でしたが、2年目ぐらいから業務改善とメンバーの教育したりして、この部署も2年目突入したころには、全員定時でできるようになり、少し暇気味。
やはりずっと人事がやりたいと思っていて、上長や元上司とかにもずっと言っていました。

====またまた異動=====

そんな思いが叶って、人事に戻りました。
ただ、以前人事やっていたのが数年前の話。
以前いた頃とは業務量も業務領域も変わっていたのと、今まで割と決まった量を決まった時間にこなす業務だったため、新たに企画したりするのに慣れるのに結構時間がかかりました。
ただやはり自分で考えたことが形になったり、新しい取り組みを仕掛けていけるのが楽しいというかやりがいがある!
人事に戻って3年が経ちますが、今までの人事とは違い、本当の意味での人事って何だ?と考える日々。
解像度がまだまだ低いため現在は絶賛人事勉強中です!
今は戦略人事と名乗り、組織を変革を促せるように奮闘中です。

まとめ

こうやって振り返ってみると結構いろんなことをやっていますね。
あと異動多すぎる!こんなもんですかね?
自分は人事だ!って思っていたけど経験がまだまだ少ないなと実感。
共有しているのは、業務改善や新しい取り組み。仕掛けていく!みたいな感じですかね。
割と殴り書きでしたが、最後までお読み頂きありがとうございました!

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