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死生観について 緩和ケア

緩和ケアと死

医療の中でも緩和ケアは特に死と密接な領域である。緩和ケアの対象となる患者とその家族は死を避けられないものと意識して生活する。そこでは残された時間を悔いなく過ごすということと、よりよい死を迎えるということが重要となる。

死に直面した人の死の受容過程はキューブラー・ロスによる分類が有名である。それは「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の5段階に分類されている。
がんなど死の病を宣告されたときに、最初はそれを受け入れない否認という状態になる。その後に自分の運命に対して怒りを感じ周囲に怒りやいらだちを示す。やがて、生活を気をつけるので少しでも死を先延ばしにしたい、といった取引の心境となる。それが叶わないと理解すると抑うつ状態となる。最後に死を自分の運命として受容し、状況を静観するようになる。人によっては悟ったような心境になったり、今まで培った人生観や生命観の中で自分自身を大いなるものの一部として感じることが出来たりするだろう。
この死の受容過程が必ずしも万人に当てはまることはなく批判もある。ただ、最初にネガティブな情動が起こり、その後徐々に死を受け入れていくというのは多くの人にとって真実であろうと思うし、参考になる概念だろう。

もし自分であれば最期の時にどうやって死を受け入れて行くだろうか。やはりまずは恐怖、不安、抑うつといったネガディブな感情を持つだろう。しかし、願わくば平穏な気持ちで納得した死を迎えたい。そう言う心境に至るために何が助けになるのだろうか。
きっと哲学、宗教、自然科学の知識、家族や友人との繋がりなどが助けになりそうだと思う。

スピリチュアルペイン

死の受容過程の途中には心の痛みがある。それはスピリチュアルペインと呼ばれるものだ。
スピリチュアルというのは「霊的な」とか「魂の」などと訳される。オカルト的な超常現象などを指し示すと思われがちであるが、本来は精神とか心、本質的な自分自身、真の自己などを示す。
がんで死に直面した人は自分の存在が脅かされて、自分の本質が失われるという苦痛を感じる。例えば、体が弱って自分で自分のことができなくなり、家族の世話にならなければならない。自分に生きている価値があるのだろうか。やりたいことができなくて、生きる意味などあるのだろうか。残された時間が少なくなり、自分が消えてしまうのが辛い。このような苦しみがスピリチュアルペインである。

医者は身体的苦痛をとることは得意だが、スピリチュアルペインへの対応は必ずしも得意ではない。欧米のホスピスでは神父や牧師など宗教者が患者のもとを訪れ対応するが、日本でそれは一般的ではない。そのため緩和ケア病棟ではスピリチュアルケアワーカーという職種が導入されるようになってきている。
まだ国家資格はないが、様々な団体が養成や教育を行っているようだ。仏教など宗教がバックグラウンドにある方が多いようだが、看護師や心理療法士出身の人もいて、宗教家である必要はない。今後は更なる充足が必要に思う。

時間性の苦痛と死後の世界

死の不安は時間性の苦痛と言われる。これは自分の時間が有限であると気が付くことの苦痛のことである。これに対して医療は無力である。残念ながら命を伸ばす治療に限界があるからだ。

一方で宗教は死後の世界を語ることで、これに対する答えを示すことが出来る。例えばキリスト教では神を信じることで死後に天国に行くことが出来ると説く。浄土系仏教では死後に極楽浄土に行き仏になるとされている。その他の宗教でも死後の世界や輪廻転生による来世があるとしていることが多いだろう。これは死を迎えても自分はなくならず別の世界で生きることが出来るということであり、死に直面し時間性の苦痛を持つ人には救いになる。
医療者はなかなか死後の世界について患者に語ることは困難であり、また逆に患者も医者に死んだ後は天国に行けますよ、などと言われたらギョッとするのではないだろうか。
死後の世界があるかないかは経験しておらず自分には分からないが、それがあると信じることが救いになるのは事実であり、そこに宗教の大きな役割があるものと思う。



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