過去は美化されるけれど。
初投稿から1ヶ月が経ちました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
コンビニに入った時の何とも言えない心地良さ、
スーパーでアイスコーナーに自然と目を奪われ、買う予定は無かったのに買いたいと思う欲望、
学校のトイレで日焼け止めを塗る女子の様子。
そういった何気ない事から
夏が近づいてきていることを最近は
強く感じさせられます。
さて、早速ですが今日は
数年前に亡くした祖父の話をさせてください。
※暗い話になります
祖父が亡くなった時、私はまだ小学生でした。
干渉されるのが昔から苦手な私は、
祖父母特有の優しさが逆効果で、
特に祖父は本当に優しい人だったので
尚更私は嫌いでした。
何度も嫌いだと思って、何度も会いたくないと
思ったことは今でも覚えています。
2020年某日、休日だった自分の誕生日の
次の日で友達から沢山お祝いしてもらって、
機嫌良く下校した日のことでした。
『ただいまー!』
いつも玄関まで来てくれる、
忙しいときでも私に聞こえる声で『おかえり』と
返してくれる主婦の母。
この日は言葉すら返してくれず、
ですが忙しそうな家事の音も
鳴っていませんでした。
変だなと感じながらリビングに行ったとき、
泣き崩れてる母を見つけました。
泣いている姿を見るのは初めてでした。
『おかえり』よりも先に母が口にしたのは
私が大嫌いな祖父の死を告げる言葉で、
言葉なのかも分からない、震えた声。
直後は『嫌いだったからどうでもいい』、
悲しさより母への心配をしてしまっていた
記憶があります。
私の家から祖父の住む家は車で
片道1時間かかります。
ランドセルを置いて、
私と母は祖父の居る家に向かいました。
道中、ほとんど会話はありませんでしたが、
唯一あった会話は私を泣かせました。
先程も書いた通り、
この日の前日は私の誕生日でした。
『おじいちゃんはね、きっと誕生日を
祝いたかったから頑張ってたんだよ。
この前おじいちゃんに会ったけど
認知症で娘の私(母)の事は忘れても
孫(私)の事は覚えてたんだよ。(笑)』
母からそう言われた瞬間、涙と同時に今までの
祖父嫌いの私への憎みが込み上げてきました。
多分、心のどこかでは祖父のことが
好きだったんだと思います。
3年以上経った今でもあの日のことは
鮮明に覚えています。
祖父が居なくなってからも時は進んで、
明るい朝と暗い夜を繰り返しています。
まだどこかで生きているんじゃないか、
祖父の家に行った時『いらっしゃい』という声が
聞こえるんじゃないか。
嫌いだったはずなのに、期待してしまいます。
皆さんにも親戚の中で嫌いな人、
というのが居るかもしれません。
ですが、その人を亡くした時、
きっと私みたいになります。
亡くしてから後悔して、申し訳なくなって、
償うことは出来ないし、
その苦しさはどこにもぶつけられないし。
暗い感情が潰してきます。
だから、嫌いでも、
心のどこかでは好きでいてください。
相手も自分も嫌な思いをしないために。
語彙力の無いくせに長くなってしまいました。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
では、またどこかで。
追記
このnoteを書いているとき、
久し振りに涙が溢れました。
正直、noteのタイトルが
今回の話を指している気もします。