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通夜と事故と桜と私

忘れないうちに事故のことを書き記しておきたい。
3月30日、私の誕生日にあった事故のこと。

いつものように朝食を食べ、毎年のように父は私の誕生日を覚えていないそんな30日の朝、家の電話が鳴り響いた。電話に出た父の声はなんだか深刻そう。「ああ、やっぱりだめでしたか。」電話から戻って来た父は私に従兄の奥さんが闘病の末亡くなったことを伝えてくれた。今日はケーキ食べれないか…呑気なことを考えていた。

喪服とカバンと数珠とハンカチと…バタバタと身支度をして車で向かう。道中満開の桜並木が目に入る。お花見、そんなに期待していたわけじゃないけど楽しみにしていることがことごとくなくなってしまうのはやっぱり悲しくなる。葬儀場に着き親戚に挨拶。何の滞りもなく行われる通夜。従兄は気丈にふるまっている。残された3人の子供。過去の自分と照らし合わせてしまい思わず涙があふれた。

通夜が終わったのが21時。私たちはそのまま帰宅することにした。父は昔からドライブが好きで母が亡くなったあとも私をいろんなところに連れて行った。うつ病、拒食症なってしまった私を元気づける意味があったのかもしれない。そんなベテランドライバーの父が最近少し運転が怪しくなってきていた。もう80歳の高齢である。普通なら免許を返却したほうがいいのだけれど、田舎過ぎるうちの家は車がないと買い物もできない。父も自分は大丈夫だと言い張る。任せるしかなかった。

国道からインターチェンジに入る直前。父が急にここからどうやって高速に乗ればいいのかと不安なことを言い出した。私はスマホを取り出し地図を開く。しかし地図は全く別な場所を指し示し何度タップしても反応がなかった。おかしい。何かの異変を感じ、前を向くと白いワゴン車の側面が急に目の前に現れものすごい衝撃が走った。

鳴り響くクラクションが聞こえてきた。少し意識をなくしていたらしい。胸が苦しい。痛みなのか息苦しさなのか呻きのたうち回っている自分に気が付く。シートベルトで胸を圧迫したらしい。薄目を開けると車内は白い煙に包まれていた。焦げ臭い。エアバッグはしぼんでいる。煙るフロントガラスの向こうにはさっきぶつかったらしい車が停車していた。周りが人の声で騒がしくなる。車に近づいてきた人が父に話しかけると父は大丈夫と答えた。どうやら無事らしい。私にも無事を確認したけれど話せる状態じゃなかった。

救急車が到着し、私だけストレッチャーで運ばれる。後ろの座席に乗っていた継母もどうやら無事らしい。私は全身の力が抜けまったく立てずにいたため念のためストレッチャーに乗せられたのだった。その時はもう意識もだいぶ回復し、会話ができる状態になっていた。近くの病院に着きレントゲンを撮る。幸いにもみな骨には異常がなかった。ただ継母だけはシートベルトをしておらず前の座席に前頭部を強打してしまい、大きなこぶができてしまっていた。

病院に駆け付けた親戚に通夜の帰りの事故でびっくりした、無事で何よりと近場のビジネスホテルまで車を出してもらい、その日はそのホテルで休むことに。体の痛みもさることながら精神的にとても寝れる状態ではなかったけれど…。

翌朝、家に帰れるのかと思ったら葬儀場が目と鼻の先だからと葬式にも参加することに。私たち結構な事故に遭ってるよね?普通なら帰るよね?と混乱状態の私。とりあえず葬儀場に着いてしまった。本当にビジネスホテルから近い。昨日は気が付かなかったけれど、葬儀場の隣には桜並木があり満開に咲き誇っていた。きれい。こんなことに巻き込まれていても桜はいつもどおりきれいだった。

何もかも終わり皆帰ることに。しかし私たちには車がない。廃車決定である。ひとまずつぶれた車を置いてもらっている親戚の家に移動し、保険を確認することに。そして車のレッカー移動の手配を済ませ、とりあえず家の近くのタクシーまで親戚に送ってもらうことにした。もう日も暮れるころだった。私たちはそこからタクシーで家に向かう。父は運転手に楽しそうに事の顛末を話していた。父には事故もイベントの一つかもしれない…。

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