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シングルマザー* Uターン移住の憂鬱。

さよなら東京、はじめまして地元。

46歳、6歳娘と暮らすシングルマザーのらら子です。
離婚×コロナ失業によって約25年間のトーキョー生活を離れ、3年前に地元へUターンしました。ここは、北陸三県のひとつです。

食べ物は美味しく、自然豊かな美しい観光地。けれども、保守的な県民性、教育問題、働き方、閑散とした市街地。大好きだった大きな本屋さんも無いし、何もかもが一か所に集約された大手ショッピングモールなら、ここじゃなくてもあるわけで。
東京で必死で取得した技術職を活かす職場にも巡り合えず、気軽にお茶を飲める友達もいない。生まれ育った場所とはいえ、18歳で上京したまま社会人生活を全く過ごしたことのないこの地は、「Uターン」ではなく見知らぬ土地へ移住したかのよう……

子ども時代のステキな思い出だってあるし、地元を愛する気持ち自体は勿論あるのです。でも「このまま」で一生過ごすのはどうしてもイヤでした。娘の習い事然り、金銭的なことを考えれば東京には戻れない。でも「ここではない」―― そんな気持ちばかりが自分の中に膨らんで、どうすることもできないくせに焦燥感に駆られてしまうのです。

それでも、彼氏はいました。お互いバツイチ同士、再婚を見据えて家族ぐるみのお付き合いをしました。

彼氏が欲しいのか、家族が欲しいのか

わたしはもともと、マッチングアプリに抵抗はありません。
そんな時代になったんだと言うよりも、住むところ変わればアプリひとつの重要性がまるで変わって来るのです。
家⇔職場の往復、さらに交通手段が電車から自家用車に代わり、出逢うどころか『すれ違う人間』の分母も著しく減少していく毎日。家族と職場以外に話し相手もいないような場所で、この年齢にして、シングルマザーがどうやって誰かと『知り合える』というのか。
三年前の移住時、娘はまだ3歳。殆ど家に帰って来なかった元夫のことを「父親」だとも解っておらず、ましてや「父親とは何か」の概念も無かったのです。

わたしは多分、娘がものごとの道理を知る前に、正しく『新しい家族を作る』ことに躍起になっていました。
きちんと良識があり、きちんと働いてそれなりの収入があり、わたしだけでなく、わたし+娘にきちんと向き合ってくれる人。
とにかく『きちんと』が大事。今思えば、自分が彼氏に求めていたものは、この『きちんと』だけだったのかも知れません。
相手のことは好きでした。好きじゃなきゃ付き合ったり・あんなことも・こんなこともできません。けれど、シングルマザーになった日から、わたしは自分の感情を二の次にできる、そんな自分が好きだったんだと思うのです。これは娘のために自分を犠牲にするとかではなく、いわば自分のアイデンティティの問題でした。

破局

そんな彼と、今年の初めに破局。付き合って丸二年の記念日でした。
しかも、娘と三人で、一緒に初詣に行った翌日でした。

更年期障害のはじまりなのか、電車通勤時代のエクササイズ(ハイヒールダッシュ&階段ダッシュ)がまるで無くなったからなのか、はたまた単なるストレスなのか。わたしは当時、移住時より6~7キロほど体重が増えていました。
彼は、もともと歯に衣着せない物言いをする人で、そういう所が新鮮で好きだったけれど、この時期ばかりはわたしも笑えず、二人の関係は肌身で感じる程に悪い方へ流れて行きました。

小学校時代、コロコロと太っていたわたしは、ある男子にいじめられていました。大人になってから人にこの話をすると、誰もが「その男子は、らら子を好きだったからつい意地悪しちゃってたんだよ、きっと」なんて言います。

違います。

本当に、あれから40年近く経った今でも、機会さえあれば彼の人生を破滅させたいくらい、わたしはその男子を憎んでいる。それくらい、彼からの言葉の暴力は小学生にして凄まじいものがあったのです。

わたしは彼の名前を漢字でフルネームで憶えているし、たまに翻る高い声も、長ズボンを滅多に履かない彼の半ズボンから出たガリガリの足も、ダサい白ソックスも、なんなら彼の母親のチリチリパーマも真っ赤な口紅も鮮明に憶えているのです。

そんなこんなで、太ることへの恐怖に近いトラウマがあった自分と、太った女性が嫌いな彼。冗談と本気の境目がどんどんグラデーションになり、太ったことを何かと話題に出される度に、わたしの体重はさらに増加。彼への尖った気持ちも増加。何をやっても痩せない自分を責める気持ちも増加。着られない服も増加。なにもかもが悪循環に回り始めました。

娘がなついているから、良い人。

別れたいわけではなかったはず。でも、付き合っていくことに漠然とした不安が常にあって、何故か、いつかは別れると思っていました。でも、それが今なのか、それが自分の気持ちなのか、彼の気持ちなのかは分からない。

別れは、当たり前だけれど、わたしが太ったということだけではありません。
別れ話をしているまさにその時に、繋ぎ止める努力をする気になれず、でも彼からは別れたくないと言われたい、そんな言葉を待ちつつも、本当にその言葉が欲しいのか。別れたくないと言われたいのではなく、「言わせたい」だけなのでは。

ある海外ドラマで(有名なクライムサスペンスだったと思う)、未婚のシングルマザーが潜入捜査官だと知らずに「あなたも恋人と別れたの?大丈夫、3日だけ泣いたら、そのあとはぜんぜん平気になるよ(笑)」と元気づけて来るシーンがあったのですが、これまでの自分は本当にそうだと思っていました。
なのに、自分の気持ちや答えを決定的にした『決め手になる理由』がイマイチ解らない破局が、後々こんなにしんどいものだとは。
確かに三日間、お風呂で、寝ている娘の横で、車の中で、楽しかったことだけを思い出しては泣きました。なのに、4日、5日、……と過ぎても、突如泣けて来てしまうのです。でも、それが未練ではないことも、やり直したいという気持ちでもないことは、判っているのです。別れたあの瞬間から、様々な感情がジワジワと身体の中心から外側に向かって浸み出して来た感じ。

そうして、わたしは別れてから10日も待たずに、マッチングアプリを再開しました。最低だと思いながら。でも、新しい誰かと出逢うことで、このモヤモヤとした気持ち悪さや単純な人恋しさを払拭し、さらにはこの気持ちの正体を知り、そしてそれ以上に、娘の記憶を一刻も早く更新したかったのです。
彼が現れなくなったことに、娘が「どうして?」と理由を訊く。遊べなくて寂しいと言う。次はいつ来るの? 離婚してからの3年、娘は3歳から6歳になって、いろんなことに意思や疑問を持つようになってしまったのです。

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