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たまねぎとの闘い

料理にそこまで慣れているわけではない私でも、一度作ると「また今日も作ろう」と調子づいてくることがある。先日両親の結婚記念日に夕食を作ったその勢いに乗って、本日はチリコンカンなるものを作ろうと決めた。

豆。トマト缶。挽肉。材料はそろった。ただ、そこに待ち構えているのはたまねぎのみじん切り。
皆さんは、たまねぎをみじん切りにするとき、どうされているのだろう?たまねぎのみじん切りなんて料理の基本の基のはずなのに、そう聞きたくなってしまうほど毎回悩めることがある。
それが、そう、ご想像のとおり、毎回"涙なしには切られない"ということ。皮をむいて、半分に切って、切り込みを入れたところで、この丸い球体から滲み出てくる成分に私の目は勝てない。「ああ痛い!だめだ。ちょっと一回休憩…」と言いながらキッチンを抜け、家中の全窓を開け、換気扇を「強」にして目の中に入り込んでしまったオニオン・エアーを新鮮な空気と入れ替えようと試みる。しかしたまねぎは強いもので、数分そこら休んだだけでは回復しない。早く続きを切らないと…と、受けたダメージから3割型しか回復しないままキッチンに戻ったところで、待っているのは先ほどにも増して強いダメージ。「おぉっ…」

これを繰り返すこと数回、いよいよ時間を浪費しているのではないかと我に返ったところでようやく私は腹をくくり、最後には号泣しながら残りの半球を細かく切り刻むことになるのだ。

…これを今日もやるのか。せっかく「ぱぱっと夕食でも♪」という気分でいたのに、たまねぎのみじん切りに苛まされてしまっては日が暮れてしまう。どうしよう。
電動野菜チョッパーのような文明の利器に頼ってみようか?
うーん。いや、せっかく料理する機会を作るのであれば、たまねぎの処理くらい回数をこなして簡単にできるようになりたい。それにあの包丁でザクッと一気に切れる感触が醍醐味でもある。そのあたりは私の変なこだわりが働いてしまう。

どうにかならないかな?

鼻にはティッシュを詰め込むとして、目を何かでカバーする方法はないのか??

家を探してみると…そこにあったのは水泳用のゴーグル。えっ…と。でも、これを使ったら痛くなる成分をしっかり遮断できるに違いない。やってみるしかないのでは!?

しかし、そのかなり(見た目が)怪しげな作戦でさえ、まだ壁があった。

私は「強度」がつくほどの近眼なので、水中ゴーグルをつけるとなるとメガネを外さなければならないことが問題になる。これでは手元がよく見えない。みじん切りどころの騒ぎではない。

そこで、追いやられた私はこんな手段を取ることになった。

「ゴーグルの上からメガネをかける」

いやいや、なんておかしな人なのか。こんなこと、お人様には決して見せられない恥ずべき行動である。
でも仕方ない。こうするだけで、あの工程をスムーズに進められるのであれば。やってみる価値はある。

私は何をしているのだろう。そう冷静に考えてはいけないこの姿で、私は例の球体を切り始める。

すると10分後、それはなんと、全て細かく粉砕された姿でボウルに山を作っていた!

うまくいったじゃん!!

それは、他の野菜を切るのと同じように、苦痛を全く感じることなく最後まで刻むことができたのである。ゴーグル万歳。

水中ゴーグルが料理の手助けになる。これを実証してしまっては、どんなにおかしなことであっても便利さに叶うものはないもしれないと思う。

今もまだ家のリビングには、レシピ本と、残りのたまねぎと、ゴーグルが置いてある。


私がこれから文章を書くにあたって、心でしみじみ感じたこと(#感)、 生活する中でふと気になり考えたこと(#考)、ちょっとおふざけした楽しいこと(#楽)、そんなようなことをぽつりぽつり綴っていこうかなと思います。今日は#楽。少しおふざけ。また次回。

#日記 #料理

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