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日記を書き続けるということ

飽き性なのか、わたしはなかなか一つのことが長く続けられない。

毎年元旦になると、何故か大量のアドレナリンが放出し、「よし!英語今日から頑張るぞ!」「毎日筋トレして引き締めだ!」「早寝早起き習慣化するぞ!」「5キロ痩せるぞ!」
などと毎年謎にやる気満々。

そしてたまっていく書きかけの英語ノート、書込み式カレンダー・・・。

こんなことを毎年同じように続けているかというとそうでもなく、自己嫌悪にかられたりしてそんなマイナスな波もコンスタントにやってくる。
そしていつも思っていたのは根性がないからだ、という事。
苦し紛れに「三日坊主を継続しているな。」などと思ったりもする。

そんな中、今までのやり方を少しずつ改め、続くようになってきた事が増えてきたように思う。

小さなことだけれど、達成感を味わえたことは1冊の日記を書き終えたこと。
2センチほどの分厚い真ん中に銀のエンゼルがついた日記帳だ。
ちなみに、5冊買ってもおもちゃのカンヅメはもらえない。

「大学ノートだと特別感がないから続かないかも」、とちょっと奮発して書店の中にある文房具コーナーで購入したものだ。

恥ずかしいけれど、それまでは1年に数枚ってことも珍しくなかった。
それが、どういうわけか最近とうとう残り数枚のところに来たのだ。
不思議な事に達成感だけではなく・・・。

嬉しいような寂しいような気持ちになったのはなんでだろう?
小説を読み終える時のその世界にはもういられなくなるような気持ちに似ていた。

また読み返せばその時の事が蘇ってくるけれど、書いている時の臨場感はもうなく、自分のことなのに日記の中の自分に対してちょっとよそよそしささえ感じる。

確かに自分が書いたのに今の自分とぴったり重ならなくて、それがくすぐったいような切ないようななんとも言えない気持ち。

なにも特別な事はなくても普通の日常がこんなに愛おしく感じられるのは日記のメリットかも。だから毎日大切に丁寧に生きようとも思えた。

日記ではないけれど、写真として旅行などの特別なイベントだけでなく何気ない日常をもっと残すこともしたいな、と思った。

ところで、私が日記を書き終えられたのは、根性が出たからかというとそれは絶対に違う。ただ環境を変えただけで簡単に続けられた。

これをしたら次はここでこれをする、という流れ作業のなかに組み込んだら自然と続いていただけで自分は忍耐強かったわけじゃない。工夫したことといえば、最も書き心地のよいボールペンを使うことにこだわり、書く量は自由。

大事なポイントを言うとこの2つ。

1つ目はやり始めのスイッチを意図的に作ること。

2つ目は自分にとって心地よい環境にすること。

1つ目の ”意図的に” はどうしたかというと、私はお化粧を2階でしているので、マル書いてチョン💄したついでに日記を書くのである。右の棚には日記がスタンバイしている。 

2つ目の心地よさはボールペンに凝ったこと。色々調べて自分にとってもっとも書きやすいものを購入。しまいこまずに鏡台の上のペン立てに。             

無理して何が何でも毎日書かなくても良い。「そんな時だってあるさ。」と完璧主義をやめた。これも2つ目の心地よさの1つ。

昭和生まれの私は根性論に偏りがちだ。何事もコツがあるものだな。

抽象的な部分はビジネス書などを読み漁り参考にしたのですが、具体的な設定は自分じゃないと作ることが出来ない。

そうやって自分で工夫して達成すると小さな事だけれど自信や満足感につながり改めてビジネス書ってつぶしが利くじゃないか!と改めて好きになった。

本だけでなくビジネス、自己啓発系のYouTubeにもかなりお世話になった。

新しい2冊目の日記帳 実は新品ではない。

以前イギリスで可愛すぎるデザインに一目惚れして購入したものだ。数十枚のところまで書かれている新しくて古い日記帳。読んでみると最近20代になった子どもがまだ3歳の頃の事が書かれていた。

再びその日記を書いた時、その中で止まってしまった時計が、またゆっくりとチクタク動き出したような感覚があった。

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