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人のために生きる

 年が明け、春の兆しが気温に見え始めた。その移り変わりに、気の早い私はあの暑い夏のことを考え出した。寒いより暑い方が苦手だ。
 人々の動きは、また新しいものに変わっていく。新たな生活。新たな世界。2年生の成績が出てから、3年生の履修登録を考えた時に、この教科は教職科目と被っているから4年生の時に履修しないといけないなと考えて絶句した。もう、4年生の履修登録を考える段階にまで来ている。

 就職まで、あとわずかしかない。

 中学生、下手したら小学生の頃から私の不安の種であった就職。「消防士になりたい」「薬剤師になりたい」「お笑い芸人になりたい」、将来の夢を書けと言われて書いた「漫画家になりたい」と言う夢は消え、結局今も自分が何をしたいのか分からずにいる。
 だから、しばらく普通の企業に就職する前提で様々な資格をとったり、バイトでどのように自分が労働について考えるかを俯瞰してみた。

 アルバイトは、某有名飲食店の店舗でやっている。見るからにクソ人見知りなのに厨房ではなく接客側の人間にされた。1年と半年ほどその接客業をしている。
 「接客なんて人見知りだもん出来ないよ‼️」と思っていたが、案外そうでもなかった。最初は本当に使えないバイトだったが、今では「▫️▪️ちゃんがいるから大丈夫」と言われる程度にはなっていた。今はバイトリーダーの昇進試験的なのをやらせてもらっている。
 だが、思いの外苦手では無かったとはいえ好きでは無い。出来ることならあまり喋りたくない。全ての客がいい人とは限らないので、その日その日でストレスはまた変わってくる。
 これはバイトだから終わりがあるけれど、仕事はこの先の人生の大半を担うものだ。それが例え得意なことであったとしても、そもそも嫌いだったら自分は続けられるかと考えた時、私の答えは「NO」だった。大嫌いだが出来る英語を、大学の4年間専攻できるだろうか?卒業論文を書けるだろうか?私は無理だ。6単位の教養でもしんどかったのに。こう考えると、接客という仕事は、出来なくはないが進んで取り組みたいと思う仕事ではない、という評価に私の中で落ち着いた。

 接客が嫌ならば、やはり私は企業の事務作業がいいのではないか?と思い、その基礎的知識を付けるべく「秘書検定2級」の勉強をした。しかし、これは接客よりも苦手意識が強くなった。秘書として問題を答えていく中で、「どうして私がこんなことをしなきゃいけないの?」という苛立ちが起きてしまった。「上司不在時の来客対応...?」「何も言わずに出ていく上司...?」「連絡がとれない上司...?」
「なんで私がおじさんの面倒見なきゃいけないんだ????」
「なんで私がこれやるの?おじさんが自分でやればよくない????」

と、元も子もない思考が私の中を駆け巡った。こんなことを思ってしまう私は社会不適合者なのだろうかとさえも考えた。社交文書の書き方や、弔辞のマナーなどを知るためであって、ここに書かれていることは秘書に求められるスキルだ。そう分かっていても、イライラが止まらなかった。上司の注意は素直に聞いて、誤解ならば後からそれとなく伝えるマナーがある。しかし自分は上司に進言してはならない。越権行為と見なされる。バイトで普通に嫌いな社員の注意に反射で反論してしまう私。こんな職場が本当にあると考えるだけで気が狂いそうだった。事務も無理だと悟った。

 公務員や教員も考えた。だから教職課程をとったが、辞めたくて辞めたくて仕方がない。全国の先生方には教職の悪口を言うので申し訳ないが、教える仕事以前に子供が嫌いすぎた。そして誰かのために勉強するのも嫌だと思った。私は今まで、そして今もずっと自分のために勉強をしてきた。他人の子どものために貴重な自分の時間割いて勉強をする。授業を構成する。子どもにも個性があって、個に応じた学習が必要。そんなの限られた教育現場で全部実現出来るわけねーだろバーーーカ‼️🤪💢という思考ばかりが駆け巡った。 
 資格担当の先生もそんな文科省の夢物語に呆れていたのを見た時点で何とも夢も希望もやりがいもない仕事だと思ってしまった。大前提子どもと関わるということが嫌いなのだからそもそも向いていないのだった。そしてそのバックにいる親のことも考えて、親がネグレクトだったりメンヘラだったらもっとしんどいとか、学校来ない子どもの面倒も見なきゃいけないとか、自分一人でも精一杯なのに他人の子どもの人生40人分を背負うなんて、私には無理どころか病むと思ったのだった。

 しっかり休みが欲しいと考えた時に思い浮かんだ公務員も、別に地域のためとか考えてないし...と思ってしまった。友人のお母さんが市役所で働いているが、行事などで市議会議員とか選挙立候補者に会うことがあるらしい。普通に政治関係者と直で関わりたくないので嫌だなと思ってしまった。駅前で見るのも嫌なのに。


 では、私は何がしたいだろうか。そう改めて考えた時に、今まで書いてきた言葉たちを踏まえてでた言葉はとても素直だった。

 「つくりたい」

 私が仕事に求めるものは、前述したように人生の大半を捧げるのに見合ったやりがいだ。
 「あなたには才能がない」「そんなの一部の限られた人間にしか出来ない」そう言われて、漫画家もイラストレーターもデザイナーも諦めた。芸術系の大学のパンフレットを持っていただけで軽蔑の眼差しを向けられた。私には才能がないから。私には出来ないから。私は出来ない。
 そう自分に嘘をつき続けてつき続けて、その妥協案で私は幸せになれるのかと自分を問いただした時、私は頷くことが出来なかった。たとえお金があっても、休日があっても、毎日が地獄だろうと思った。自分が好きだと信じて専攻した歴史学で、卒論は美術史で書こうとしている。やっぱり美術がいい、芸術がいい。そんな自分に気付いてしまった。

 そして、仕事は誰かのために生きることでもあると考えた。
 「ゼルダの伝説」をプレイした。ゼルダ姫がリンクのために世界のために身を粉にして戦った姿。そんなゼルダを救うために戦う勇者リンクの姿。誰かのために、ゼルダのためにリンクのために生きることで、ゼルダは伝説の姫巫女となり、リンクは伝説の勇者となる。誰かのために生きることで、その人の存在意義が決まる。「大切な人の、助けになりたい」という最後の時代を描いた作品、スカイウォードソードから変わらない彼らの存在意義、存在価値というものに考えさせられた。
 M-1グランプリ2022のPVソングに選ばれた、ウルフルズの「暴れだす」を聴いた。

もしもあの時もっと心に余裕があればなぁ
今まで こんなに 人を悲しませずにすんだなぁ
人のために出来ることはあっても
人のために生きることが出来ない

「人のために生きる」

 仕事はそういうものだと思った。自分の生活のため、自分の娯楽のためだけでない、誰かの幸せを願うモチベーションで出来ている。
 私が向いていないと思った仕事たちだってそうだ。お客様のためを想う。自分の会社の商品で誰かの生活を支えたいと想う。子どもたちのためを想う。社会、市民、国民のためを想う。すべての仕事が「人のために生きる」「誰かのためを想う」から成り立っていると思うのだ。私が考えられなかっただけで、この世界の仕事は様々な想いで出来ている。

 では、私は「つくる」で何を想うのか。
誰かのイラストが、誰かの命を救うかもしれない。誰かのデザインが、誰かの生活を劇的に変えるかもしれない。「つくる」は誰かの未来もつくっている。それは見えない誰かの幸せだ。私自身が楽しめて、そのつくったものが誰かを幸せにできて、新たな生活がまたつくられる。それをつくる一助となるようなものが、一番私にあった仕事なのではないかと考えたのだ。

 それでもやっぱり、自分は突出した才能はないと思う。だから、現実的に考えて、絵で食っていくとかは考えていない(そもそもモチベの問題で、仕事で絵を描ける気がしない)。文房具のデザインとか、生活雑貨のデザイン、家具の設計など、人の人生は人のデザインで溢れていることに着目した。どうぶつの森みたいなホームデザインとかいう仕事が本当にあるのか分からないが、やっとDLCを買ってプレイしてこのような思考に至ったのだった。






 考えたことについて殴り書きをしてみた。私の叔父は、割と有名なアニメーターだ。叔父が幼少期にそこらじゅうにパラパラ漫画を描いていたという話を聞くと、やはりこういう人は幼少期から天才なんだと思い知らされた。保育園で「ヤッターマン2ごうになりたい」とか七夕の短冊に書いていたような私は本当にただの子どもだった。叔父のようにはなれない。そして私がやりたいと思ったことを実現出来る確証はない。

 大学2年生の成績は春も秋もそれなりに良かった。3年生からはキャリア教育が速攻始まるんだろう。怖いが、自分でも調べてどんどん挑戦していかないと置いていかれてしまうんだろう。ここまでツラツラ書いた仕事への考えだとか信念は、現実社会では全く通用せずに、結局地獄のような毎日を過ごすのかもしれない。理想の仕事は無いという前提で期待しないでいこう。期待できない世の中が悪いと責任転換出来たら楽だ。まだまだ人生は長い。



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