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やっぱテレビって良いわ。

 いつしか人はここまで独立した。一人一台のスマートフォンを片手に、見たい時に見たいものを見て、見たくないものは簡単に排除していく。家族でもそれは当たり前になっていて、明らかに人は対面のコミュニケーションを嫌うようになっている。コロナ化でより拍車がかかったパーソナル化された世界。

 「昨日のテレビ見た?」なんて、きっともうみんな何年も言っていない。

 とある芸人さんのラジオを聴いた。昔は家族全員でテレビを見ていた。だって一台しか無いんだもん。親父がスポーツ中継見るなら変えるのは納得だった。母親は片耳が聞こえてなくて、たまに変なところで僕らに合わせようとして笑う。でもその瞬間「同じものを見て笑っている」。それがえらく面白かった。だからテレビを見ていた。

 お笑いが好きだから、お笑いの賞レースを見ていた。マイク1本の前に二人が立ち、喋りと動きで漫才を作り上げる。画面上、舞台上には物語が広がる。その演芸を見て笑っている。みんな面白い。でも優勝者は決まる。紙吹雪の中で一組の漫才師に優勝が降りてくる。

 きっと明日、「昨日のテレビ見た?」と聞いても、誰も首を縦には振らない。

 SNSをおもむろに開く。動画投稿サイトでの人気者が「面白い」、また別の人が「この番組面白い」と呟いていた。そのコメント欄に「それな!」などの声が集まっている。

 顔も知らない他者が同じものを見て笑っている。それは私ほどのお笑い好きでは無い人達だ。

 聴いたラジオの話を思い出す。同じものを見ている。それしか娯楽がないから。その一台しかないから。話題はテレビの話でもちきり。孤立化する娯楽の世界は、便利性に特化したがゆえに人の温かみを失った。そんな気がした。だが、そんな冷たいはずの媒体が我々を繋ぎ、また温かみを感じさせるとは思いもしなかった。

 普段はそんなこと感じないのだけれど、なぜだか今日はひたすらに「人間っていいな」と思った。「昨日のテレビ見た?」だけで会話の話題になった時代がある。やはり人は人と繋がっていたい。

 何となく、独りだと、自分の価値を見いだせないことに焦る。でも、他者や趣味に価値を見い出せる自分は十分価値ある存在なんじゃないだろうか。

 社会は誰かと誰かが繋がることで社会を形成する。あなたの見出した価値が他者の自己効力感に繋がる。孤立化を利便性と捉える風潮のなか、やはり社会に生きるならば人と人とは依存しあって幸福を追求するのではないだろうか。


 などと、THE SECONDでおじさん漫才師たちの青春を見届けて思った大学生のボヤキだ。ガクテンソクさん、私がお笑いにハマった年である2020年のラストイヤーのM-1の敗者復活戦も最高に面白かった。続けてくれたことに感謝と、優勝おめでとうございます!!
 就活を控え、将来自分がどうなるか分からない不安に押しつぶされながらも、生きてりゃ大丈夫だと思わされた。私はやはりお笑いが好きだ。

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