detox

このnoteでは、もう何回言及したかわからないやつをまた引用しますね。

小袋成彬の「分離派の夏」は、面白い構成をしていて、小袋成彬本人じゃない別の男性のインタビューに対しての回答というような形式でただ語られる数分が収録されている2つのトラックがある。
他の曲は、一般的なアルバムと同様に小袋成彬が作って歌った曲が収録されているから、彼は見られる側。
この2つは、小袋成彬の視点を通した音が収められているから、彼は見る側。

という対比がとりあえずできるのかなー。

話を戻すと、見る側のトラックの1つは、会社員をやめて、(具体的な職業は何か忘れちゃったけど)クリエイターに転身した方の語りであり、その中で彼は、「社員証をいつものようにゲートなどにピッとかざした時、ああ自分も消費される側の存在なのかもしれない」と感じ、その後うんぬんを経てクリエイターになった、的なことを言うんですね。

こういう抽象的な気づきのフレーズって、他人が聞いたらなんか気取っているというか、斜に構えちゃって、とか、言葉遊びしておしゃれぶりたいのかな、とかそういう印象も与えそうじゃないですか。使っている言葉が一般的な口語表現じゃないからというのも大きいと思う。

私も、あーよくあるそういうやつね、、、とエッセンスだけは頭でわかるから聞き流してました。けっこうゆったりしたいい声だからアルバムごとで再生する時は飛ばさず聴いてた。


それで、なんで引用しようかなと思ったかというと、ここ最近、先の見えない暇に人間は徐々に蝕まれるなっていうことを自分ごととして繰り返し思い至ることがあったから。


でも、ただひたすら暇をつぶせば健康ってわけじゃないんだよね。
暇つぶしにも意図を宿らせる必要があるというか。
ここで言ってる暇つぶしは長期的なもので、日々の労働とかを癒すための休憩はもっとはっちゃけたものでいいと思う。

ここまで考えて、去年の長い夏の休暇は、とにかく旅行に行って友だちとお酒を飲んで、恋愛したりしてたんだけど、途中から虚しさだけが上塗りされて強化されていく感覚があったなあということも思い出した。
旅行に関しては、コロナに支配されている今となれば行っておいて良かったなと思わざるを得ないけど、当時は忙しすぎ&お金使いすぎっていうストレスもあった笑

旅行とか、美味しいものを食べる、とか友だちと取り止めもないことを語らう、とかは自分の人生における生産そのものじゃなくて、生産にもどるためのインターバル?なんだなと思う。

2020年の下半期は、なにが私にとって生産になるのかなあってこともぼんやり考えてみて少し楽しかった。考えるだけじゃ意味はないんだが。

振り返ることに人生の醍醐味はある…こう考えるのはどうでしょう?🧸🤍

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