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フィクション(創作物)について

フィクションと現実

五次元的にいえば、現実さえもフィクション・・・というわけではなく、普通のドラマやアニメ、漫画などのフィクションの話です。
最近見た記事で、ジブリのアニメにコンプラがどうとかとの批判があったそうです。
ドラマやアニメなどのフィクションに対して、現実的なリアルさを求めるのは自分はナンセンスだと思っています。
フィクションだからこそできることってたくさんあるじゃないですか。
ありえない、無茶苦茶、ぶっ飛んでる上等なんですよ。
現実ではできないことを表現するのが、フィクションを創作する上での醍醐味だと思うんですよね。

フィクションをフィクションとして捉えない怖さ

フィクションに対して、リアルでないとか、コンプラを要求するのって、フィクションと現実の区別がついていないのかなと怖くなります。
自分はホラー、オカルト、ちょっとグロかったり、エロかったりするのも好きでよく見ます。
それはもちろん創作物として楽しんでいるからです。
どんな内容のものもフィクションとして見ているので、現実に置き換えたり、現実のルールを持って見ることはありません。
だって、フィクションですから。そこは明確な線引きを持っています。
それを同一視して捉えていることに、恐ろしさを感じます。

違うことを教えたい

内容によってはレーディングがつくのはもちろんですし、大人が見たってそれはやはりフィクションとして捉える必要があると思うんですよね。
「子どもの教育によくない」的な批判もあったりしますが、それをもとにどう教育するかは親のつとめだろうと思ってしまいます。
まずはフィクションと現実は違うことを教えるのが一番です。
フィクションでは無茶苦茶してもオッケーだけど、現実はいろんな制約があるし、不可能なこともたくさんあるからそれはきちんと分けてねをまず教えるべきだと思います。
それが理解できないと、フィクションをまるで現実のように考えて、影響されてしまう可能性が出てくるので。
フィクションに文句を言う人は、きっとそういう傾向があるのではないかと思います。

創作や芸術は昇華に役立つ

フィクションは作り物なので、基本何でもありな世界だと思っています。
現実社会では、してはいけないような欲求をフィクションや芸術で昇華させるのは、欲求をコントロールするためにとても重要な方法です
現実世界で味わうことが難しいドキドキ感やスリルを、フィクションを通して味わうのも1つの昇華の方法だと思います。
そのようなメリットもあるので、現実のルールやコンプライアンスをフィクションに当てはめて、表現の幅を狭める方向に向かうのは違うと思います。
そんなことをしたら、フィクションがつまらなくなってしまいますから。

苦手なもの、嫌なものは見なければいいんです。
フィクションなんて、自ら取りにいかないと見ることはないので。
見ている途中で気づいたら、そこで離れればいいんです。
自分が嫌だからといって、なくす方向に行動するのはあまりにも自分勝手だと思います。

フィクションはフィクションとして、自分は自由に創作したいと思いますし、現実世界では無理な欲求を追体験して昇華する形の楽しみ方をこれからもしていきたいと思います。


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