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ちいさなたからものと過ごす日々

 「Stay With Me」

いとこのおばあ様が先日ご逝去された。
100歳と半年、天寿を全うされた。
私は地元を離れているのでお別れするとなると移動で半日はかかる。親族といっても忌引きが取れるほどの血縁の近さがないので、お通夜や葬儀の出席が難しいと感じた私はその知らせを聞いた夜、お布団の中でまだ起きていたじじょちゃんにお願いをした。次の日がちょうど仕事がおやすみだったのだ。ちょうじょちゃんは学校だけど、じじょちゃんはおやすみの予定だったからおうちでのんびり過ごすのを楽しみにしていた。彼女の休みはシフト制のパパやママの影響でバラバラだから申し訳ないと思いながらも「ママをすごくかわいがってくれたおばあちゃんがなくなってしまったの。じじょちゃんおわかれにいっしょにいってくれる?」とうちあけた。一瞬「おうちでママといっしょにのんびりしたいよぉ」といったじじょちゃんだったけれど、「ママ、おしごとでおわかれのかいにいけないから、どうしてもさいごにおばあちゃんにおわかれしたいの。これをのがすともうあえなくなっちゃうの。ほんとうはもっとはやくあいにいきたかったんだけど。」と話しながら静かに泣いている私に気がついて「じじょちゃんがいっしょにいってあげる。ママはそのおばあちゃんがだいすきだったの?」と聞いてくれた。

今から20年前、私は超就職氷河期で契約社員として入社した最初の就職先で体調を崩して会社を辞めていた。両親は「せっかく就職したのに辞めちゃって、このまま、ニートになったらどうしよう。困った子。将来どうする気なんだろう」と腫れ物にさわるようだった。心身ともに弱っていて本当は誰にも会いたくなかったのだけれど、おばあちゃんの旦那さんが亡くなってから初めてのお盆だったからご挨拶にいかないとと、妹といっしょに母に連れていかれた。可愛がってくれたおじいちゃんの新盆なのに愛想よくする元気もなかったのを覚えている。
そんななか、おばあちゃんは私の顔を見て第一声「忙しいのに遠くまで良くきてくださった、大きくなって素敵なお嬢さんになって。おじいさんも来てくれて喜んでますよ」とあたたかく迎えてもてなしてくださった。私が来たこと、私が大きく成長したこと、私と会えたこと、私がおじいちゃんのために手を合わせて祈りに来たこと、ただそのことを喜んでくださっているのが社交辞令でなく伝わってきて私のこころをふんわりとつつんでくれた。
そして、後日母から「おばあちゃんがあなたのことを品のあるお嬢さんに育った、本当にいいこだって繰り返しほめていたみたいよ。」と伝えられた。世間体を気にしていた両親の態度もおばあちゃんのおかげで心なしか
軟化していた。

いとこのおばあちゃんの無償の愛は弱っていた私を元気付け守ってくれた。母の妹の旦那さんのお母さんだから血縁はまったくないのだけれど、小さなころからとてもあたたかく愛情深く見守ってくださった。 

御歳暮やお中元など季節のご挨拶を送ると電話でいつも私を気遣うあたたかい言葉をかけてくださっていた。
あの優しい声をもう聞けないと思うと寂しさで涙が止まらなかった。じじょちゃんがそんな私をみて「ママ、おばあちゃんにはゆめであえるからだいじょうぶだよ。もう寝ようね。あしたはじじょちゃんがいっしょにいってあげるからね。おやすみなさい」と、過剰に心配するわけでもなく、動揺するわけでもなく、静かに私の手を繋いで眠りに落ちていった。私も、ゆめでおばあちゃんに会えそうな気がして眠りに入っていった。

じじょちゃんは人見知りだから本当は親戚の集まりとかは苦手なのだけれど、次の日そんなことは微塵も外に出さずに初対面の親戚の人たちにも本当にしっかりご挨拶してくれた。「人見知りしないこなの?」という母の妹の言葉に「本当はすごく人見知りなのだけど私がおばあちゃんが亡くなったって聞いて泣いていたからついてきてくれたの。ママが泣いちゃうから私がしっかりしなきゃって思っているみたい」と説明すると、となりで「ママがないちゃうからじじょちゃんがそばにいてあげてるの」と笑顔で付け加えていた。

人が本当に弱っているときに、一番有り難いのは側にいて寄り添ってくれることなんだなと思った。
ただただ、いっしょにいる。ただただ、側にいてくれる。そのことがどんなことよりも弱った心の支えになっていた。私を見上げた3歳のじじょちゃんの顔がありがたい仏像のように一瞬見えた気がした。

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