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ただいま(自戒)

3月21日、日本に帰ってきました。
予定よりも2カ月近い帰国。誰のせいにもできないけれど、本当に、本当に不本意な帰国だった。

3月7日から始まった1週間のSpring Break。
始まる前から「アメリカにもそろそろコロナ来るね」っていう空気はあったけど、沿岸州でも大都会でもないオハイオにいた私からすれば完全に他人事みたいな話だった。

だけど、3月10日から14日まで、ニューオーリンズへ旅行に行っている間にうちの大学もどんどん状況が変わっていってしまった。

キャンパスを離れている間に「コロナウイルスへの対応を検討するためにSpring Breakを1週間延長します」というメールが来て、その2,3日後には「今学期の残りの授業はすべてオンラインで行います」というメールが届いた。

すべてがSpring Breakの間に決まってしまったから、休みに入る前に「またね~!Have a nice spring break!」と言って教室を出たのに、突然「またね」が叶わなくなってしまった。

1週間後、当たり前にまた会えると思っていたのに、こんなこと言うのは悲しいけれど多分「二度と会えなくなってしまう」友達がたくさんいた。

それでも、その時まだニューオーリンズにいた私はヤングスタウンの状況をちゃんと理解していなかった。
「授業がオンラインになってしまってもアメリカにいる限り英語を使う機会はあるわけだし、きっと自分のためになる。こんな状況になってしまったけど、ここまで8カ月頑張ってきたんだから残りの2カ月くらいだって何とかなるはず」そんなふうに自分に言い聞かせながら、日本に帰る気なんて更々なかった。


そんな気持ちもヤングスタウンに戻ってきてすぐに揺らぐことになる。

空っぽになったキャンパス。寮に住んでいたアメリカ人の学生たちはもうすでにみんな実家に帰ってしまっていた。

学校に残っていたのはほんの少しの留学生だけで、そのほとんども同様に帰国準備に追われていた。

キャンパスを歩いてみても誰にもすれ違わない。寮以外、大学内すべての建物が閉鎖されていた。

もともとヤングスタウンはとても静かな街だけど、この大学が死んでしまった今、私の目に映るのは文字通り「ゴーストタウン」。

寮からもどんどん人が減っていって、カフェテリアでも全然人に会わなくなっていった。

朝起きて、部屋でパソコンと向き合いながらコロナウイルス関係の情報を検索して、日本とアメリカの状況を確認する。ガラガラのカフェテリアに行って一人でご飯を食べて、部屋に戻る。ずっと部屋にいるのも退屈だからキャンパス内にお散歩に出てみるけど誰かとすれ違うこともなく帰宅。また一人でご飯を食べてシャワーを浴びて寝る。


あれ?私何のためにここにいるんだ?


そう思わざるを得なかった。
日本にいたときは実家暮らしだったから、ここにいるだけで余計にお金がかかっている。
お金のこともそうだけど、それ以上に私は今ここにいることが何か自分にプラスになっているのかな?考え出したら止まらなくて、短い時間でたくさんたくさん悩んだ。

そうしてとりあえず、オンライン授業が始まって日本でも問題なくやっていけそうだったら帰ろう、と思って3月26日を帰国予定日にした。

だけどそのあとも1日単位でどんどん状況が変わっていって、ヨーロッパに留学している友達が強制帰国になったり、アメリカの都市でもロックダウンが始まったり、日に日に「他人事」だった話が自分のすぐそばに近づいくる。

友達に「週末にクリーブランド(オハイオ州の大きな都市のひとつ)で会議が開かれて、たぶんその会議もオハイオをロックダウンする決定を下すためのものだよ」と言われた時、26日じゃもう遅いと思った。


22日のフライトを予約して、友達にも「次の日曜で日本に帰ることにした」と伝えて少しずつ帰る支度を始めた。

もうヤングスタウンでも「Social Distancing」が合言葉になっていて、レストランは営業禁止になって、友達と遊ぶのはおろか普通の外出もできないような雰囲気だったけど、火曜日の夜にはRinaとRoseが「私の最後のアメリカの思い出に」ってこっそり3人だけでホームパーティを開いてくれた。

もちろん冗談だけど、Rinaが言った「Rumiもこのままアメリカに残って、こうやって毎日3人でRoseんちでHangoutすればいいじゃん」というセリフが色んな意味で今も忘れられない。

水曜日のお昼くらいに寮に戻ってきて、また支度を始めたのだけど、その夜「48時間以内にユナイテッド航空の日本行きの便が全て運休になるかもしれない」という話を聞く。

もし本当にひとつの航空会社がそれを始めてしまったら、他の会社もやりかねない。

そのまま真夜中に航空会社に電話して、予約した便を金曜日の朝に変更してもらって、ここから出国まであと30時間くらい。

ゆっくり進めていたパッキングも急にタイムリミットが迫って、目が回るくらい忙しくて、もう少しだけいられると思っていたこの大学ともあと1日ちょっとでお別れになってしまったけど感傷に浸る暇もなかった。

夜中に空港まで送ってくれたRoseとお別れした時も、Spring Breakに入ったとき旅行に行く前に言った、「1週間旅行行ってくるね、またね~」みたいな「またすぐここでの日常が戻ってくる」、そんな風にしか思えなくて


日本行きの飛行機の乗り換えるダラス空港のD25ゲートでひっっっさしぶりにたくさんの日本語を聞いた時「ああ、本当に私日本に帰るんだ」ってやっと思い始めた。


日本について、久しぶりに親見たときはちょっと老けたかな?って思ったし弟はそこそこ変わってたけど(笑)

ほとんどが出国前と何も変わらなくて、久しぶりにテレビを付けたら日本のテレビはやっぱりクイズ番組ばっかりで、タピオカブームはまだ終わっていないみたいだし、部屋は8カ月前に出たときと何も変わらなかった。

当たり前のように自分の部屋で寝て、次の日目が覚めたとき

「私本当にアメリカにいたのかな」

と思った。


まるで逃げるみたいに留学先を出て、あまりにも突然日本の日常に放り込まれて、本当に何事もなかったみたいに日本の生活に溶け込んでいるのが不気味で、

私は留学して何か変わったんだろうか

分からなくなってきて、今必死に報告書類とかnoteを書きながら大事な大事なこの8カ月間が現実だったんだって自分に言い聞かせてる。



それから、これからの授業のこと。

4月中旬までは明治に復学する選択肢もあったけど、帰国が決まっても「ここまでやってきて、中間も終わったのにここでやめてたまるか」と思ってオンラインで留学先の授業を続けるつもりでいた。

帰国するまでは。

たぶん忙しさとか焦りで全然冷静に考えられてなかったんだと思う。

「語学力を維持するため」とか「向こうでしかとれないような授業を取っている」とか真っ当な理由もあった。
だけどそれよりも向こうの授業を続けたいと思っている私は「悔しさと妬みを昇華させようとしている」だけな気がした。


去年日本を飛び立ったのは8月11日。

本当なら2カ月近くあるはずだった夏休みは2週間もなくて、楽な日本での生活を離れて急にアメリカのド田舎の町にひとりで飛び込んで

留学生活を楽しいと思い始めるまでに3カ月近くかかったし、心の底から「留学して良かった」と思えるようになったのはここ1,2カ月のことだった

本当はすごくすごく行きたかった成人式とか同窓会だって諦めて1年留学することを決意したのに

こんなふうに急に留学を中断することになって、納得いくわけないじゃん


くやしい、悔しい


私がたくさん悩んでもがいたこの8カ月、普通に日本でのこのこ大学生活送ってきたのと同じ状況になってしまうのが許せない

今明治に復学することにしたら、向こうの大学は退学扱いになる
春学期も半分まで頑張ってきたけれど、無かったことになる

じゃあこの学期受ける意味無かったじゃん

成人式も同窓会も、人生に一度しかないイベントを諦めてアメリカで頑張ったのはなんだったの?

だけどこのまま復学せずにオンラインでも向こうの授業を続ければ、1年間留学達成したことになる
たとえ日本で授業を受けていても、ちゃんと向こうの大学から単位がもらえて、春学期も向こうの大学でやりきったことになる
それに、向こうの授業は5月の最初の週には終わるから、そこから4カ月近く、去年はほとんど無いに等しかった夏休みを満喫できる

だから私は向こうの授業を続ける



そう思っていた。

けど、

これって「怨念」じゃない?と思った。

もちろん捉え方によっては「執念」かもしれない。

けど、この決断は私らしくない。



「人生はあなたがワクワクする方を選びなさい」
これはデヴィ夫人の言葉だけど

私は今やりたいことをやりたい。

過去のためとか、未来に楽するためよりも、今「楽しい」と思うことをやりたい。

よくよく考えたら、今復学すればゼミにはじめから参加できる。

ゼミ試も留学先からそれなりに頑張って、第一希望のゼミに入れることになったんだった。



それに、苦しんだこともたくさんあったけど、だからこそこの8カ月はたくさんの我慢に見合うだけの価値ある時間だった。

知り合いもいないまま、何の情報もなく飛び込んだ場所で、自分を見失っていた8カ月前。

言語に不自由は一切なく、知り尽くした土地で生活していたころは、自分の好きなことに熱中するのも、自分を表現するのも、もっとずっと簡単だった。

けど、アメリカに来てからは最低限の会話は出来たとはいえ、日本語と同じようにスラスラ話せるわけではないから、思っていることを口に出すだけで苦労した。

そして何よりも、ここまで「マイノリティ」になったのが初めてで、自分で勝手に「見えない壁」をどんどん厚くしてしまって、「こんな私が大きな声で何かを言ってはいけない、言ったところで誰も聞いてくれない。そもそも、こんな聞きにくい英語聞かせるの申し訳ないし、遠慮しなきゃ」そんなふうに思ってしまっていた。

だけど少しずつ、これじゃいけない、何とかしてこの殻を破らなきゃ、と思い始めた私は見失った自分を探して、生まれながらのアイデンティティ「日本人」に頼った。

幸いヤングスタウンには日本人がほとんどいなかったから、「私は日本人です!!!」と言えば興味を持ってくれる人がいた。そういう人は大体私が日本人だっていうのを踏まえたうえで会話してくれて、すらすら話せなくても、ちゃんと聞いてくれる感じがした。マンガとゲーム、本当にありがとう(笑)

だけどもともとそこまでマンガとかゲームに詳しいわけでもない私がこのアイデンティティだけでやっていくには限界があって、もっと日本にいたときみたいに「私の好きなこと」を自信もって話せるようになりたいなぁ、私が日本人かとか関係なく、「私」として自分を発信したいなぁと思ってはいたけれどやっぱり難しくて。


ある時友達と、文化とか宗教の話になって、そこにいた人と仲が良くて遠慮とかあんまり考えなかったのも、深夜テンションだったのもあって(笑)自分でもびっくりするくらい自分の意見を話してた。

そこからだんだん「無」になってしまったアイデンティティが「日本人留学生」を経て「私」に帰ってきて、どんな環境でも「私」でいられるように、「私」でいることに自信が持てるようになってきた。

学校の新聞に載せてもらったのも今までの葛藤が、見える形で報われた気がしてすごく嬉しかった。



ほら、8カ月間無駄なことなんて何にもなかった。

やっと波に乗ってきて、急に奪われてしまった残りの2カ月でやりたかったことはたくさんあるけれど、今まで過ごしてきた8カ月には少しも無駄な時間なんてなかった。後悔なんて一切ない。

もがいた時間も楽しかった時間も、全部含めて、価値ある8カ月だった。

はじめは人間関係に悩むこともあったけど、なんだかんだで友達出来たし、帰り際に私の思い出作りのために集まってくれて、「まだ帰らないで、もっとずっと一緒にいようよ」と言ってくれる友達もいる。


やっとやっと本題に戻ってくるけど、

たとえ今向こうで取っている授業をやめてしまって、ここまで春学期にやってきた分が単位になって返ってこなくても、この8カ月過ごした時間が消えるわけじゃないから。

私はこの8カ月、アメリカで価値ある時間を過ごして成長した。

今、不可抗力でこうやって日本に戻ってきて、ワクワクするのは日本で新しく始められることの方だと思うの。

もちろん向こうの授業も学ぶことが多くて、やめちゃうのは名残惜しいけど、怨念みたいに過去を報わせるために続けるのは何か違う、し、そんな「報わせなきゃいけない」過去なんてなかった。報われてるじゃん。

続けることにも価値はあるだろうけど、やっぱり私は神様が「お前の留学はここでひと段落だよ」って言ってると思ってけじめつけて、今やりたいことに向けて切り替えようと思う。

向こうで出来た友達とは今も連絡取りあってて、「元気?日本どんな感じ?」って世界中から連絡来るの不思議な感じだけど嬉しい。

授業はやめてしまっても、交友関係はそう簡単に途切れさせないからね!

留学中断も私の人生の一部ってことで!!

前向いて次に進もうっと!!

てことで!!!




ただいま!!!!

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