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子宮筋腫・卵巣嚢腫/疾風に勁草を知る

荒んでた、今年の夏は荒んでた。思春期以来かな。あんなに心が荒んだの。そんなことないか。でも兎に角9月13日まで荒んでました。

夏に向けてダイエットとか、もうどうでもよくなって、宅トレをサボり、我慢していたビールをガンガン飲んで。アルコールのチョイスはビールだけに留まらず、ウィスキー、ワイン、焼酎、日本酒、紹興酒…。

二日酔いで出社→帰宅→飲酒→記憶ぶっ飛ぶ→起きたら二日酔い→二日酔いで出社、がルーティンとなっていました。

■2021年7月中旬~お盆休み前頃
2021年9月に入院、手術することになりそうで、その準備としてリュープリンを注射されて、血がどばーっとでる人いるよ!っていう医師の言葉通り、翌日から血がどばーっとでて、貧血ともいわれるからなんかフラフラする気がしていた時期です。

職場では平常心で過ごすのが大人のマナーだと思うし、誰かに相談したって卵巣が通常サイズに戻って、子宮筋腫が消えてなくなるわけじゃない。でも話したい。この不安定な気持ちを誰かに共有したい。誰か私の話を聞いてー!コロナ禍だから友人とも会い難いけれど、誰か聞いてー!手術も麻酔も怖いー!怖いー!怖いー!!!

身体にメスを入れられるのが嫌だから、漢方やホメオパシー等でなんとかならないか調べました。
そして医師から卵巣が悪性である可能性が否定できないと言われたこともかなり引っかかっていました。
悪性って、いわゆるガンってことなのかな?…あ!そういえば医師から

7月16日そういえば医師から言われたこと
「ガンが消えるキノコが売っていたり、ガンが消える水とかあるけど、手をだすなよ。ガンは消えない。これ食べてガンが消えた!っていうのは食べたからではなくて、そもそもガンはなかったってことなんだから」

ある婦人科医師の言葉

って言われたな。え?あれ?お医者さんがはっきりクリアにガンって言ってない?悪性ってやっぱりガンってことなんですかね?

短い人生…いや結構生きたかな。いやいや、まだ日本人女性の平均寿命の半分も生きてないよ。まだ悪性確定していないし。良性だよ、きっと良性だよ。

■7月19日 上司へ報告
当時の女性上司に有給のお礼と結果報告をしました。
「…ってなりまして、手術日まで決まったのですが、手術が怖くて」
「それは手術しかないわね。諦めて手術受けなさい」
と何故か上司からも断言されました。
「ホルモン治療は大変ってきいてる。時短勤務にするとか、働き方を変えたければ遠慮なく言って」
「ありがとうございます!今のところ通常勤務で大丈夫です」

■職場の仲間1名にのみ報告
そして、チーム内で1番の古株のメンバーにだけは状況を伝えました。ちなみに私は古株2番手です。
「え?!そうだったの。辛いね。実はね、私の友達も、去年2人、子宮筋腫の手術したの。その子たち、手術後に鬱っぽくなっちゃって。ちゅんこちゃん、仕事は辞めないで。辞めない方がいいよ」
「子宮筋腫で手術される方、多いんですね。私は筋腫と卵巣嚢腫、長めにお休みをいただくことになるかもしれません。みなさんにご迷惑お掛けしますが、お仕事は続けさせていただきますね!」

■家族に報告
母にLINE。
ちゅんこ{子宮筋腫と卵巣嚢腫で9月15日に手術します}
母{手術回避できませんか。母はできれば手術してほしくありません}
ちゅこん{私もできれは手術したくありません。しかし医師からは手術しかないと断言されました}
母{あなたの妹たちも子宮筋腫と子宮内膜症ですが、子供も産んだし、薬を処方されています。手術といわれたことはないそうです}

私には妹が2人いて、彼女たちは双子です。
2人とも子宮筋腫と子宮内膜症だと診断されていたそうです。

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私は健康診断の採血も苦手。手術となれば採血なんて序の口で、点滴されてお腹切られて縫われることになります。
以前、注射が怖い採血怖いと中国語の先生に話したことがありました。先生曰く「年取ったら採血される機会が増えるんだから克服しないと」っておっしゃっていたけれど、老師にそう言われてから数か月で採血怖いどころではなくなる状況になってしまいました。
口は禍の元、日本人には言霊信仰があるから、私はなるべく良い言葉を口にするよう気をつけているつもりです。
そして過去を思い返すと友人知人との会話の節々に小説でいうところの“伏線”が潜んでいるような気がします。

疾風に勁草を知るという諺がありますが、

疾風に勁草を知る
困難な状況におかれた時にこそ、その人の真価がわかる。
「疾風」はやく激しく吹く風、「勁草」は強い草という意味。
語源・由来は「後漢書」王覇伝


今、わたしは試されてる!
今踏ん張らなくていつ踏ん張る!
今、わたしの値打ちが試されている!
とは思いつつも、辛くて怖くて、家ではパソコンやスマホで自分が受けることになるであろう手術に関することを始終検索していました。
知れば知るほど怖くなり、酒を飲んでのルーティンは1日も休むことなくこなしていました。

一歩でも家の外にでたらいつも通りの自分になるよう努めなければ。境界線は玄関。ここを一歩で越えたら、どんなに怖くても辛くてもいつも通りの自分で過ご…せていたのか、いや過ごせていなかった。

勁草ではなかったです。
己の弱さにほんと驚きました。
今となって思うのは、もっと自分の病気と向き合えばよかったということです。

最終的に手術をした9月15日の午前中には「無」という境地に辿りつきました。

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