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#分岐点話〜漁師と量子力学とデザインとラオス〜

ともこさんがまたまた面白い取り組みをしています。
実はちょうど海外で生活している人たちのグループで似たような話をしているところにタイムリーな話題だったので、今一度自分を見つめ直すためもあって描いてみます。

募集期間過ぎてると思うけど・・・スミマセン。

皆さんも何か分岐点とかその後の心境とか色々あると思いますので、是非聞かせてください。
(ここんところ落ち着いた時間がないので、ちょっと書き殴った感じになってしまうかもしれませんが、そのあたりご了承くださいませ)

⬇︎ともこさんの記事はこちらから

人生最大の分岐点は実は高校の選択だった

前置きが長くなってしまったけど、多分、私は比較的分岐点が多い人生だと思う。
基本自分がその時いいと思うことにフラフラっと流れてしまう性格なので仕方がない。
だから何をしても特に後悔はない。そもそも選んだ時は分岐点だとすら気づいていない。
あの時もそうだった。それは高校進学の時。

人生最初の分岐、漁師か進学か?

我が家は陸の孤島と言われるほど田舎の漁師町。
同級生の親の7割は漁師だし、もちろん私の親も漁師
そんな環境で育った私は、当たり前に漁師の親を持つ暮らしをしてきたし、どの家庭もそんなもんだと思っていた。
友人の何人かは、(アルファベットで名前がかければ受かると言われる)地元のヤンキー高に進学し、そのまま漁師になった。

ただ、残念ながら私は学校の成績が普通によかった。(あくまで田舎の学校の中での話)
だから賢ぶって家よりは都会(といっても田舎)の進学校に進学した。

当時の私はものを考えることを知らず、成績の通りに進学した。
今思えば漁師って選択は、面白い人生の可能性を感じさせてくれる魅力ある選択肢なのだが、バカな私はその大きな分岐点を意識しないうちに過ぎていった。
そして私はそのまま大学に進学。(量子力学を学ぶことになった私を漁師である親はどう思っただろう?)

師との出会い

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第2の大きな分岐点は私が師と仰ぐ人との出会い。
大学進学からIT企業への就職したけど、魅せる世界に興味ができデザインの世界へ。
そしてデザインの世界に足を踏み入れた時、私の人生を左右する大きな出会いがあった

私は一瞬にして彼に惚れた。
そして願いが通じたのか、もう誰も雇わないという彼と、気がつくと一緒に仕事をし始めた。

私は彼と仕事をすることで、非常に多くの基礎を学んだ
Jazzを学び、ファッションを学び、アートを学び、魂の旅を学び、時代を学び、感性を磨くことの重要さを学び、宇宙を学び、デザインとは何かを学び、写真を学び、本を学び、もちろん建築を学び・・・あらゆる基礎を学んだ。

デートの待ち合わせは本屋になったし、休日の日課は町やデパートを巡りトレンドを感じる事になった。
時間があれば映画を見て泣き、かっこいいお店に入れば何がかっこよくてかっこ悪いかを口にするようになった。
(ここまで来ると変な人)

私は彼に心酔し盲信した。

しかし盲信は自分を失わせた。

気がつくと、彼の世界を私は実践しようとしてしまっていた。
それは彼にしかできない世界なのに!

私は彼から多くを学んだけど、最後には盲信してはいけないことも学ぶことができた。
自分と対話し自分で考え自分が感じ、自分の言葉で伝えることが大事なんだ。
そして私は彼との仕事をやめた。

だから今は一緒に仕事をしていない。
が、今でも私は日本に行くたびに彼の家を訪問する。
要件は庭の草刈りをする事。彼は代わりに、yohji yamamotoの80年代の未販売の開発品をくれたり、今は決して手に入らないデザインの本をくれたりする。
お互いそういう事にして会いにいく。(この夏草刈りにいけないのが気がかりだけど)

そんなわけで彼との出会いは私の考え方の基礎を作る非常に大きな分岐点となった。

ラオスとの出会い

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そこから紆余曲折あって、今はラオスに来ることになった。
これが大きな第3の分岐点だろう。
正直なんでラオスにいるかって経緯は(かなりの紆余曲折あるけど)あまり問題ではない。本当にたまたまの重なりでしかないし、その選択については別に重要ではないと思っている。

ただ、ラオスの自然やウォンやオンとの出会いは私にとっては最も大きな分岐点になっていると思う。

(結局いつも分岐点と気づくのは後かららしい。)

前出の師から学べなかった「今を生きる」という大事なことをラオスに来ることで学ぶことができた。

土にまともに触れたことのない私は、ここで初めて自分の食べ物を作り始めた。
お金がなくても生きていける人たちとの生活は私の根本的な感覚を変えてくれた。
一方的に優れていると思っていた日本のシステムはとっても脆弱だったし、資本に縛られない豊かさがあることを知ることができた。(もちろん資本がある豊かさも同時に感じることができた。)

大きな先のことではなく、目の前の身近なことを解決していくことの連続性で人はストレスフリーに生きていることを知った。
目標を持たないことの重要性を感じることができた。

ここまで来ると「自然の中の暮らしはとってもいいよ!」

なんて言ってしまいそうだけど、実は自然との暮らしは文明人には厄介なところもあると学ぶことができた。

ラオスに来なければ学ぶことも感じることも出来なかったことが多く、やはりラオスは人生最大の分岐点の一つだろうと思う。

分岐点をどう乗り越えるか?

。。。

とかっこよく振り返りたいけど、分岐点だったとあとあと気づくばかりなので、乗り越えるも乗り越えないもあまりない。

強いて言えば、
父から
『人生は修行だ』と聞かされていたし、
母から
『人に物に事に常に感謝する事』を教えてもらってきた。

だから多くの分岐点を対して苦もなく当たり前のこととして感じているのかもしれない。

まだしばらくラオスの生活は続くと思うけど、noteを始めたり、Facebookを活用し始めたりはひょっとしたら今後大きな分岐点だったと感じることがあるかもしれない。

自分のやってきたことを発信することはあまり得意ではないけれど、最近それも意外に面白く感じ始めている。
おかげで知り合うことの無かったはずの人たちと多く出会うことができた。

まだまだ分岐点を実感中で修行中でしが、みなさま今後もよろしくお願いします。

なんだかマトメが急でイマイチな感じですが、これにて失礼。

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