見出し画像

「人生の教養が身につく名言集」を読んだ。

ラオスのラオ子


同期隊員に教えてもらって読んだ「人生の教養が身につく名言集」。

今の自分にぐっさり刺さったのは

人間関係のこじれは、悪意があった場合よりも、ついうっかりしてコミュニケーションを怠けてしまったがゆえに怒る場合のほうがはるかに多い

という部分だった。

今まさに、自分に足りないのはこの部分だと思った。言葉のはじめからおわりまですべてを理解できているわけではないのに、なんとなく「おっけー」と言ってしまっている。怠慢にもほどがある。

私のカウンターパートは、私が話しかけると何をしていても手をとめて、体をこちらに向けて、目を見ながら話を聞いてくれる。「わからない、もう1度言って」「つまりこういうこと?」と、私のかたことのラオ語をすり合わせてくれる。訓練所でも習った「傾聴」を体現してくれている。そして、私が「分からない」と言ったら、ゆっくり、言葉を変えて、彼女の息子(3歳)に話すよりもゆっくりと何度も説明してくれる。一方私は、ただでさえ言葉も十分に理解できていないのになんとなくで「オッケー」と言ってしまっている。自分に今一度お灸を据えよう。

そしてこの本の中で紹介されていたサラ・マレーの「死者を弔うということ」が気になったので次の1冊にしたいと思う。歯がなくなっても生きていけるのは人間だけ。文明社会の中で、それまで蓄積した”知識”と”経験”を次の世代に役立てるために老人を生かす(活かす)技術が発達した、同時にそれは高齢者が”生きる意味”となった、という話が、また私にぐさりと刺さった。

その日暮らしが好きで、ちょっとまとまったお金ができたらあちこち旅に出てしまう。日本に帰っても大きな企業で勤める気はない。(必要とされてもない。)残せるお金はなさそうだ。私はこのまま100まで生きて何ができるだろう。80歳の誕生日にハーレーを納車できるぐらいのフィジカルを維持しようと思ってたけど、昨今のニュースを見たらそれはやめておこうと思った。

表紙写真:伊吹山からの朝焼けです。生きてるって感じがします。ぜひ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ラオスのラオ子
国際協力1年生の、青年海外協力隊。 大学卒業後カンボジアで2年の仕事、そのあと3年ふらふら、を経て、 今はラオスのビエンチャン県ビエンカム郡で 一村一品活動に関わる活動をしています。 県の産業商業局で毎日何かしてます。