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失って初めて気が付く、愚か者。

ヘッダー画像のグローブは、免許センターに通うために買ったもの。それから、かれこれもう8年ほど、夏用グローブはこれだ。たまに変なにおいするけど、手にしっくり馴染む。雨の日も嵐の中も、こいつと一緒に走ってきた。

昨日の帰り道、スコールに打たれて、全身びしょ濡れで家に帰った。そして、家の裏にあるガレージに単車をしまい、あわてて家に入った。私の家は大家さんの敷地内にあり、私の家の裏は飲料水を作る小さな工場、隣は大家の家兼薬屋さんで、防犯カメラがついているとはいえ人の出入りがある場所だ。

そして、家に入って、服を着替え、雨漏りしているフロアをモップがけし、そのまま忘れてしまったのだ。グローブを、バイクのハンドルに刺して水を切ったままにしていたことを。

ああ、これはやってしまった、と、今朝思った。どこにもグローブが見当たらない。もうきっと返ってこない。

家に着いたあともしばらく降ってはいたけれど、バイクのハンドルにぶっ刺したグローブが仲良く二つとも風に飛ばされるとは考えにくい。夜になったら犬猫がうろうろする場所ではあるけれども、両方もっていくなんてあるだろうか。

となると人だ。自分の不注意だから仕方がない。持っていった人が100%悪いのではない、持っていかれるような場所に置いた私が悪いのだ。途上国だからとか、ラオスだからとか、貧しいからとか、そういうのは関係ない。日本に居たって、傘を置いた瞬間隣から取っていくようなモラルハザードに出くわすことはある。職場の同僚のロッカーを漁る不届きものが居なければあんなに口うるさくロッカーの施錠を注意されることもないはずだ。

でも、裏の工場で働く人はみんな良い人たちだし、大家さん家族も絶対にそんなことはしない。TAICHIのグローブは決して安くはないけれど、わざわざあんな草臥れきった見てからにクサそうなグローブに価値など感じないはずだ。

もう8年も使ったグローブなんていいじゃないかと思われそうだが、あれには私の大学時代の思い出が、入りきらないぐらい詰まっている。

それがもう帰ってこないんだなあと、ちょっと目じりから汁を出しながら活動先へ向かった。

もともと家族ぐるみでモータースポーツが好きだった私、大学に入ってすぐ友人のKawasaki BaliusⅡの後ろに乗せてもらって満点の星空を見に行ったのをきっかけに、自分も運転したくなって、大学1年と2年の間の春休みで鳥取県に自動車免許合宿に行ってからすぐバイクの講習に通い、その翌月には1代目のバイクKawasaki Estrella250を納車していた。ちなみにその友人は、バイクが好きすぎてそのまま大卒後超大手バイクメーカーに就職した。

バイトで稼いだ金をぎりぎりまで旅費とガソリン代とローン返済と次のバイクを買うための貯金とフェスとライブにあて、それ以外はおしゃれも外食も我慢して最低限の生活を営み、とにかく色んなところに行った。

上の写真は一度見て見たかった鷲羽山スカイラインの日の出前である。夜景が見たかったのだが、私たちの「貧乏学生、高速使うべからず」精神で下道で行ったので、間に合わなかった。かつ、雨が降っていた。

それに、当時住んでいた大阪の高槻から岡山まで、BaliusⅡの彼が1000ccのNinjaに乗り換え悠々と風を切って走る中カウルのないEstrellaでついていくのはめちゃめちゃしんどかったのだ。

そして鷲羽山スカイラインの坂道で引き返そうとUターンしたら、華麗に失敗してブレーキレバーを折った。根元から、綺麗に折った。綺麗に折れ過ぎて分からないかもしれないが、レバーの先の部分がぐにゃっと曲がっている。

そんな状況で峠を下っているときに、小雨から大雨に変わったもんだから、私たちはネカフェを探したが、その頃の鷲羽山周辺にはあいにくネカフェは無かった。トップケースも防水バッグも持っていなかった私の持ち物はもう殆どが終わっていた。メットもグローブもシューズも全部、終わった。乾かすために入ったのは朝の変な時間でも予約なしで入れてチェックアウト時に自販機にお金を入れるだけの便利なホテルだ。しかも仕切りのついたガレージつき。ありがたい。

仮眠をとって美観地区を散策して帰る予定だった私たちは、大雨に打たれながら、鷲羽山周辺でEstrellaのパーツを置いていそうな店を探したのである。鷲羽山峠は綺麗な道だが、エンジンブレーキとフットブレーキだけで街まで戻るのは、私には至難の業だった。本当に、散々だった。でも、今となっては良い思い出だ。

これは・・・岐阜だったかなあ。平湯温泉の道中、あまりに景色がよかったので少し休憩した時の写真。バイクには、車のドライブには無い楽しさがある。地球を走っているという感じがするのだ。若狭湾に向かって山を抜けるときには甘酸っぱい青梅の香りがした。四国の寒風山トンネルは本当に夏でも冷蔵庫みたいだった。中部山岳国立公園は、空気がきれいすぎてバイクで走るのが申し訳なくなるぐらいだった。

なんかもう、あー、日本好きだなって、思える瞬間に、バイクと共にたくさん出会ってきた。あの頃一眼レフとかGoProとか持っていたら、もっとたくさん残していただろうけど、それにお金をかけるよりも、1か所でも多く色んなところに行きたい年ごろだった。

燃えるようなススキを見に、ノルウェイの森のロケ地の砥峰高原に行ってみたり。奈良大阪間の暗峠の理解できない勾配を、ギャーギャーいいながら登ったり。

流星群のたびに光害が少なそうな場所を探してあちこち走り回ったりもした。春の四国一周帰り、明石海峡大橋を渡っているときに見た大きな流れ星は一生忘れない。インカムを繋いで私を先導していた友人と、「見て見て!!なぁ上見て!!」「うわああああああ!!」と会話ができるぐらい、ゆるやかな弧を描いて星が燃えていた。ちなみにZRX1400の友人が先導してくれていなかったら、エストレヤの私は橋の上の横風に耐えられず星になっていただろう。瀬戸内の春の風は、バケモンだった。

ブログに使うで!って言ったら、エエで!と断りをかけたが一応モザイクだけ。このおっちゃんの牛めしを食べるためだけに何度か阿山に行った、それぐらい美味しい牛めしやのおやじ。いつも昼ぐらいに行くのに、「もうなくなったわ~」と言われ、「えー、おっちゃん、いっつも商売する気ないやん!」と笑うのだが、「このためだけに大阪から来たのに~」と言うと、牛肉炊いたあまりの汁でおうどん作ってくれたり、「今から米炊くから40分ほど待ちぃ!足痛いでゆっくり用意するでな!」と、食べきれないぐらい米をぱんぱんに入れてお肉モリモリにした牛めしを出してくれる。おやじ、最高だ。カンボジアから帰ったあとも、ラオス行く前も、おやじのモリモリ牛めしを食べに行った。おやじ元気か~?

ローンを払い終えた大学3年、払い終えた瞬間にFazer 600に買い替えて、そこからは快適大型バイクツーリング生活を満喫。今まで体力的に行けなかった所もたくさん行けるようになった。これは調子に乗りすぎてやってしまったときの写真。十津川村を目指したら雪が降っていて、つるつる滑りながら山を下ったところまではよかったのだが、市街地を避けようとして、もうここなら雪は降っていないだろうという山の中を走っていたら、橋の上がつるんつるんに凍っていて、綺麗に転倒。右足を車体と道に挟んだまま結構な距離を引きずられた。エンジン直結のデイトナのエンジンガードが90度折れ曲がる大惨事。エンジン直結のものはエンジンに直接ダメージがいくので使うのはよくないと学んだ・・・。

もっともっとロックな経験をしている友人もいて、北海道から日本一周中に私の家を宿にしたいと立ち寄ってくれたことがあった。真夜中に琵琶湖大橋で落ち合い、そのまま高槻の私の家まで数十キロ走ったのだが、途中でゲリラ豪雨に打たれて彼のホーネットのバッフルが外れた。数日滞在したのち、うるっさいまま西のほうへと旅立った。

いろんなとこに夜景も見に行った。ベタなところだと、六甲山。あの夜景は美しすぎて怖いと思った。でも写真は無い。これは伊勢だったと思う。他にも多度山や暗峠など、後から心霊スポットだと知って落ち込む穴場スポットも綺麗だったな。

流星群のときは、神鍋高原、生石高原、京都のどえらい山の中、朽木村、あちこち、行けるだけ行った。雲がかかって何も見えなくても、なんでもよかった。冬の流星群のほうが綺麗に見えるが、そういうときの山の中は地獄だった。走行中は鹿との戦い、着いてからも寒さとの戦い。それでも地べたに寝っ転がって、夜露がおりてしっとりするまでぼーっと空を眺めて帰った。ちなみに滋賀県北部にある私の実家近辺でじゅうぶん綺麗に見える。

海を走るのはとびきり気持ちよかった。気持ちよすぎて3往復した山口県の角島大橋。

関空近くの友達の家まで滋賀から運転し、家にバイクを置かせてもらって台湾旅行に行った。そして、帰った足でそのまま明石海峡大橋に集合して山口県の端っこまで走り、角島大橋を経て滋賀に帰る、という日程を2日でやってしまうぐらいにはタフになっていた。最初はビワイチ(琵琶湖一周)もまともにできなかったのにな。

左から、友人、彼氏、私。

四国一周、中国地方一周、瀬戸内海一周、七尾半島一周、だいたい2、3日でやった。車が少ない夜中の時間に走れるだけ走って、ネカフェやゲストハウスや道の駅の芝生で仮眠を取って、走れるだけ走った。

道の駅は最高だ。その場所の美味しい野菜、滋味深い手料理、私の大好物「おやき」、飲むヨーグルト、だいたい欲しいものが揃っている。そして安い。飲むヨーグルトは最高だ。

一番左の後輩がバイクの免許を取ったので、皆で伊勢神宮へ交通安全祈願ツーリングにも行った。着いたのが遅かったので、おかげ横丁食べ歩きは出来なかったけど、この時はそれは重要ではなかった。無事に帰れればそれでいい。

大学生活の終わり、そろそろカンボジアに行くために身の回りのものを整理しなければ・・・と思っていたとき、近所のにいちゃんとその友達が静岡の御前崎にも連れていってくれた。Fazer 600でのラストラン。風がとにかく強かったかことと、ハーレーは重くて起こせないということと、ツーストは自分の振動で勝手に壊れていくという事を学んだ。

夜中に高槻を出て、朝鳥取砂丘について。へろへろのまま砂丘で遊んで、砂まみれのまま海鮮丼を食べて、近くの銭湯で汗を流して仮眠をとり、漁火を見て、また高槻に戻る。そんな弾丸ツーリングも、いくらでもやった。

漁火があんなに美しいなんて、知らなかった。

しまなみ海道は、左右に広がる景色がきれいすぎて涙が出た。山口の秋吉台でパノラマの風景を独り占めにしたような気持ちになったときは、心が震えた。

香川うどん巡業で血糖値上げ切ったあとに走るのどかな淡路島は最高だった。

真冬に動物におびえながら山を越え、コンビニで暖をとって飲むユズティーの味は、格別だった。グローブをポケットにつっこんで出来るだけ温めたけど、走り出して3分もしたらまた小指が千切れそうになっていた。

バイクに乗っていたから見られた景色、体験できたことが、私の大学生活の充実した思い出の8割を占めている。彼氏がまだバイクを持っていなかったときは、道の駅の休憩所でおっちゃんたちと情報交換したあと「んじゃそろそろ行きますわ、」と私が先にまたがったら「ねえちゃんが前かい?!」と驚かれたりもした。友人には、なんとなく面と向かって相談しにくいことも、バイクのインカムごしになら話せた。バイクが私の大学生活のすべてだった。



・・・その時間を共有した手袋を、なくした。

朝、ガレージで立ち尽くす私を見て、お父さんが「どうしたんだセンドゥアン」と話しかけてくれた。

「手袋なくしちゃって・・・」

と言うと、どこに置いてたとか、いつまであったかとか、詳しく聞いてくれた。バイクが首都から届いた次の日、バイクの鍵をなくし、その時もお父さんに相談して一緒に探してもらったことがあった。1時間探した結果、バイクのグローブから出てきて、軽くドツかれた。その何日か前にも、朝イチにお母さんから「センドゥアン!どこにいるの!」と電話がかかってきたことがあり、外に出たら家の鍵が玄関ドアに一晩中刺しっぱなしになっていたことがあった。結構、怒られた。

生まれてから今まで、遺失物を受け取りに警察に行った回数、7回。うち1回は、コンビニ袋に一緒に入れてたシュークリーム(期限切れ)も返ってきた。真冬の凛として時雨のライブのあとシチューの材料を買って終電で家に帰り、そこでやっと家の鍵を失くしていることに気が付いて、温かくなるはずのシチューの材料を手に凍えたこともある。(助けてくれたのはもちろんバイクもちの友人)

また、私のうっかりでどこかにやったんだろうと思いたかった。でも、どこを探しても見つからなかった。

活動先に着くまで頭の中はからっぽだった。ああ、私の大切な手袋・・・。なんでちゃんと家に持って入らなかったんだろう・・・と、後悔し続けた。

そしてお母さんから「センドゥアン、多分誰かがとったと思うし、見つからなかったら来月の家賃から引いてあげるから言いなさい」とWhatsupがきた。「お母さん、あれはもう古いもんやし、日本で買ったら100ドルぐらいするから、ええねん。ただ、大切なもんやったから悲しいだけ」と言うと、100ドルにびっくりしてすぐ防犯カメラを見てくれたらしい。

そして、お孫さんが持って行ったのがばっちり映っており、家の裏で雨水・ドロだらけになって捨てられていたのがめでたく発見された。(笑)

慣れてるものを使いたいと持ってきただけのモノで、ここまで落ち込むとは思いもしなかった。自分でも正直びっくりである。

そういうものは、気が付いていないだけで意外にたくさんあるのかもしれないと思った。大切にすべきものは何か、今持っているものにどれだけの価値があるか、価値を感じているか。

もう少し、自分の身の回りのものを大切にしようと思った。そして注意力散漫だと散々怒られて生きてきた私の28年間を無駄にしないよう、30を迎えるまでにこの性格をなんとかしようと思った。

でも一つだけ嬉しかったのは、きれいごとみたいに聞こえるかもしれないけど、無くなったときに周りの人たちを疑わなかったことだった。大家さんファミリーは良い距離感で居てくれるけど助けを求めたら世話を焼いてくれる人たちで、水屋さんで働く子たちもシャイだけどいっぱい話してくれたり、セパタクローも教えてくれたりして(秒で諦めたけど)、雨漏りしても扇風機が空中分解してもゴキブリに噛まれても、住環境には何の不満もない。モノが無くなるとどうしても誰かを疑いたくなるけど、その候補にあがる人がまわりに居なかった。

その環境でのびのび生活させてもらえていることに感謝して、私の手袋をおもちゃにしてすぐ捨てた孫ちゃんに、とびきり美味しいスイートポテトを作ってあげようと思う。

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