不公平な現実が平等に与えられている

人と比べることが、不幸の始まるところ。

自分が幸せか不幸か
結局それぞれの立場や見方による。

人は誰しも多少の躁鬱で
調子が良ければ幸せを感じれるし
同じ環境でも不平不満を抱くこともある。

手取り14万ほどのフリーターだった10年前
ゴキ屋敷に母親と二人で住み
毎日家に帰ることが憂鬱だったあの頃でさえ
「おはよう」と「おやすみ」をLINEで言い合える彼がそばにいて
今の私から見たら、幸せの形そのもの。

正社員になり、彼と住んだ綺麗な家
ゴキもいなければ彼の残り香も消えかけ。
毎日早く帰りたいけれど
「おかえり」を言うあの人はもういない。
私を心から心配し支えてくれる母がそこにいて
きっと何も知らない他人から見たら平和な家庭なのだ。


失ってしまったことで、より大きく彼の存在を感じているのかもしれない
結婚だけが幸せではないはずなのに
二度と戻らないその生活だけが”幸せ”だと思い込んでいるのかもしれない。

それでも不公平に苦しむ
なぜ普通に暮らしていた私達がこんな目にあっているのか
どうせなら不倫でもしてた誰かがそうなれば良かったのにと思う


考えても仕方のないことなのだろう
誰かを妬んでも自分が特をすることはないしその誰かが不幸になることもない
ただ感情をぶつける場所を探して、ブログにありついた。

1から10の説明では足りない
100でも伝わらない
人間一人の感情など、言葉では穴だらけになってしまう。


今、それなりに生活ができて幸せなのだと無理矢理思うしか道がない
寂しい・悲しい・羨ましいを受け止められる人などいないのだから。

無理矢理生きてた先に、とんでもない勘違いな出来事を起こしても
とりあえず旦那さんのせいにすればいい。

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