死別直後から今までの心②

愛するあの人は消えて、自分だけ生きている

生きていればお腹が空く
生きていれば喉も渇く

面白いことがあれば、ふと笑って、我に返る

(なんであの人が死んでしまったのに笑えるんだ?)

楽しいことがあっても、素直に楽しめなくなる
必ずやってくる罪悪感
それでも力になろうとしてくれる周りに向けて、精一杯笑顔を向ける

そうすると言われる

「元気そうで良かった」

・・・元気?

元気そうに見えているなら良かったな、ちゃんと振る舞えてるんだ、でも元気なわけがないよ、どうしてわからないんだ、もしかして自分は本当は元気で、悲しいフリをしているのか?

自分がよくわからなくなる。


私個人の話なのですが、
旦那さんがなくなって少し立ったときにすごく旅行に行きたくなりました。
毎年誕生日にはどこかへ出かけていて、今年もちゃんと連れて行ってあげたいという使命感だったのですが
全く楽しくなくて、数年前は一緒に居たその場所に一人で立っていて、
どうしていないんだろう?とひどく悲しくて涙が出たのですが
後に、あの時ちゃんと悲しいと思えて良かったなって、思ってしまいました。

深い濃い悲しみって、ずっとは感じられないんですね。
調べて覚えた言葉に「グリーフ」という言葉がありますが、それが少しずつ変化していくのを感じました。


愛する人の居ない非日常が、日常に変わっていく

耐えられないと思っていたはずが、自然になっていく

毎日泣いていたのが、数日おきになったりする

そしてそれが、時にすごく怖くて切なくて、自分を置いていったはずなのに自分が置いていってしまっているような感覚になる


「立ち直る」という言葉はあまり使いたくないのですが、あえて使うなら
上記で述べたことが、立ち直る過程にはあるのかなと、思いました。

そしてその過程で、心底醜い自分のことも見つけたりして

それを次、書きたいなと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?