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信じること

前回から少し日が空きました。

最近、旦那の気配が和らいだと言うか、そんな気がします。

薄くなったとは言いたくないのだけど、いなくなってすぐの時に感じた旦那の強くて大きい悲しい気持ちや寂しい気持ちが緩んできたような。

わたしがそうだからなのかな。

もちろん寂しいことに変わりはないし乗り越えたとかそういうことでもないけど。


最近よく考えるのは「もし逆だったらどう思うか。」

急に倒れて運ばれてそのまま目を開くことなくいってしまった旦那。

きっと、急に自分の身体が動かなくなってしまってショックだっただろう。こちら側が見えていたなら、呼んでも誰にも気づかれなくて悲しかっただろう。

わたしは突然死の遺族なので、その場合の事についてしか考えることはできないけど。

旦那は元々不整脈を持っていたので、義両親はちゃんと専門の病院につれていくべきだったと酷く後悔し時に喧嘩もしていた。わたしも一緒に住んでいたのに何故気にかけていなかったのかととても後悔した。

ただ、彼が私達のその姿を見て喜ぶはずがない。私なら喜ばない。

後悔は一生消えないけれど、わたしは彼が喜ぶことをしたい。

逆の立場になってできる限り考えて、最近そう思うようになりました。


Twitterで見かけたツイートで

「彼が大事にしていたものを大事にしたい。それが何か考えた時、きっと私だったんじゃないか」

というツイートを見ました。

たしかにそうだ。彼は私と彼自身を一生幸せにしたくて結婚した(たぶん)

もっと幸せにしてあげたかったと思ったはず(たぶん)

だからずっと寂しいし悲しいのは変わらないけど、笑ったりすることに罪悪感すらあったので、それは違うかもな~と思うようになりました。

楽しめる時は楽しもう、緊急事態宣言出ちゃったけど、、。


悲しいのも楽しいのも、きっと姿がないだけで、夫婦で共有し続けられる。

と、旦那を信じる。



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