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実録:子供と障害者を守るための社会的責任

私はとあるLINEオープンチャットに参加していました。参加者が600人近くもいる、ホラー作品の情報交換のためのオープンチャットです。映画「きさらぎ駅」を見終えて、新たなホラー作品との出会いを求めて参加していました。

そこには、意味不明な文字列を何度も投稿するひとりのユーザーと、それを容認する管理人がいました。一部の参加者は、その投稿が荒らしであり、トピックとは関係のないものではないかと指摘しました。
しかし、管理人は「この子は女子小学生で知的障害があるみたいなので、優しく見守ってください」と主張しました。また、証拠として親御さんとの写真を投稿したこともあるそうです。

私は驚きました。ホラー作品には心霊だけでなく、グロやスプラッタ、性的な要素も含まれることがあります。大人でさえもトラウマを抱える作品がたくさんあります。そのような内容を女子小学生の前で話すことは適切ではないと思いました。また、23時を過ぎてもその小学生からはホラー作品とは関係のない投稿が何度もあり、具体的な人物名を挙げながら「アイドルの写真が欲しい」といった内容でした。

しかし、管理人を含む積極的な参加者たちは、トピックに沿った「ほん呪」や「世にも」に出演したアイドルの写真を投稿していました。ホラーコンテンツへの出演がないアイドルの場合には、画像をAIで生成する人も現れました。彼らは子供を可愛がるだけでなく、注意喚起をしてくれる人々に対して挑発的な発言をしました。男性的な強い口調で、まるで女子小学生と交流したいだけのようでした。管理人さえもそうなので、手に負えない状況でした。
また、注意喚起に対して女子小学生のものと思われるアカウントは暴言を何度も投稿し、その度に管理人によって投稿は削除されていました。

私はそのチャットから退会しました。倫理観やリテラシーが欠如した人々とは話すことはありません。何もできないのは残念ですが、女子小学生が歪んで育たないことを祈るしかありません。

迷惑行為は健常者ならダメで障害者なら許されるのでしょうか?
大人はダメで子供なら許されるのでしょうか?
迷惑行為は性質上、多くの場合問題を引き起こします。私自身もその悩みをよく知っています。しかし、迷惑行為は誰に対しても許されることはありません。

子供や障害者に対して間違った受容をする社会は望ましくありません。根本的なトラブルを避けるためには、子供や障害を持つ人には彼らに適した『居場所』が必要です。適切な対応をする人々や安全な環境、トラブル予防や対策が行われている場所が必要だと私は考えます。

私にとって、そのチャットは「知的障害を持つ女子小学生」にふさわしい場所ではないと思いました。どこに行ってもただ優しく見守ればいいというわけではありません。判断力が低いからといって、迷惑行為の免罪符になるわけではありません。むしろ判断力が低いからこそ、間違いや迷惑行為を防ぐための対策が必要なのです。

知識もなく、ただ「子供や障害者に優しい私」と自己陶酔しているのか、女子小学生を性的に見ているのか、何も考えていないのか、理解できません。判断力の低い人による迷惑行為に対し、それを無条件に許し認めることを周りにも強制する無能な人々は、その子の成長のためにも不必要だと思います。

明らかに有害な大人たちが健常者であるどころか権力を持っている現実の世界では、本当に問題があると思います。このままでは、どうしても混乱が広がってしまうのではないでしょうか。

ここで映画『イット・フォローズ』について触れてみたいと思います。このホラー映画では、性行為を通じて性感染症のような呪いが広がっていくというコンセプトがあります。まるで『リング』のビデオをコピーすることが性行為に置き換わったような形です。そのため、性的なシーンが多く盛り込まれています。

一般の大人でも紹介に慎重を要する映画ですが、知的障害を持った女子小学生には紹介できるのでしょうか。私はこの点に疑問を抱き、危険性の具体例としてチャットで発言しました。
しかし、「知的障害あるし子供だから内容は理解できないだろ笑」と言われるばかりで、私はもう日本は終わりかもしれないと感じました。子供を守る観念の強いアメリカなら訴訟問題に発展する可能性もあります。

このような問題は、
①迷惑行為が健常者や障害者によるものならば許されるのか
②子供や知的障害を抱えた人に対してセンシティブなコンテンツを与えることは危険ではないか
という点について考えさせられます。
しかし、私はどんな立場にあろうとも迷惑な行為は許されないと信じています。
年齢や障害の有無に関係なく、誰に対しても尊重と思いやりを持つべきです。誰もが互いに、加害者にも被害者にもならないように配慮すべきだと考えます。

このような社会では、子供や障害を持つ人に対して間違った受け入れ方をすることは許されません。私たちは、適切なサポートと理解を提供するべきです。彼らにとって適した環境やコミュニティを作り、安心できる場所を提供することが重要です。

倫理観の欠如やリテラシーの低さによって、問題のあるコミュニティが存在することは残念です。しかし、私たちは変化を起こす力を持っています。教育や意識啓発を通じて、適切な行動と尊重の重要性を広めることができます。

私たちは、知的障害を持った子供たちや障害者が健全な成長を遂げるための環境を作り上げる責任があります。彼らを理解し、サポートし、尊重することで、社会全体の共感と包含を促進できます。

私たちは、バグではなくバラエティに富んだ社会を築くために、共に努力する必要があります。問題を解決するための対話と行動が不可欠です。そして、私たちの行動が子供たちや障害を持つ人々にとって明るい未来を作り出すことができるのです。

(この文章はAIによる校正を行っていますが、実話を元に執筆したものです)

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