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短編小説「帰省」

 あー帰りたい。思ってからは早かった。すぐに母に電話をし帰る旨を伝える。電話越しの母はいつも忙しそうだ。何をしているのかは聞かずにただ「今大丈夫?」とだけいかにも申し訳なさそうな声色で尋ねた。

 帰ることを知った母はご飯を作る人数が増えるとのことで嫌がりつつも、若干のうれしさを含み「分かった。」とだけ言う。そんな母が好きだ。

 年が明けてからすでに3回目の僕は、慣れた手つきでかばんに服やパソコン、読み切れないほどの本を詰め駅へ向かう。高揚感とさみしさが入り混じる駅のホームでは、出張帰りで疲れきったサラリーマンや未来への希望を抱えきれていないほどの家族連れ、ワイヤレスイヤホンをつけている大学生、円安をねらいここぞとばかりにやってくる外国人観光客たちがこの世界の正しい流れから決してはずれないように歩く。

 そんなことを思いながら列に並んだ僕は少し後悔をした。自由席の号車を見渡し席を探す。京都駅から乗ると隣に人がいない席に座ることはほとんどない。スーパーコンピューター並みに瞬時に空席の位置、前後左右の人の風貌、顔、荷物の量、仕草といったあらゆる情報を処理し座るべき席を定める。ここに決めた。

 最寄り駅まで迎えに来てほしいという気持ちをぐっとこらえながら、各々が多様性という言葉を具現化したほどの光を放つ様に立ち止まってはシャッターを切ってみる。大きく息を吸い込むと雲がかった断片的な記憶が頭の横を猛スピードで過ぎ去る。

 年がたつごとに、限られたこの時間を消費することへの一種の拒否反応を抱く。遠いような近いような未来で起こりうることが沸騰する水のようにとめどなくあふれ出してきてはふたをする。

ものすごいさびしさに襲われ空を見上げる。
月はいつにもまして橙色で手が届きそうなほど大きい。
玄関の鍵をあける父。
ただいまを言わない僕。






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