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和の色名 夏の色~葉月・盛夏の頃~

こんにちは、カラープランナーの かわべ みえ です。
今年の夏も厳しい暑さの毎日ですね。
今日は8月にゆかりのある和の色名をご紹介したいと思います。

田の実の節句 八朔

八月朔日(8月1日)を略して八朔。 旧暦の8月1日は、早稲が実るところから、「田の実の節句」と呼ばれ、豊作を願う行事が行われていました。

地方では田んぼの神様に感謝するお祭りが行われていたり、京都では舞妓さんや芸奴さんがお茶屋や芸事のお師匠さんへ 挨拶まわりをするそうです。

これは「田の実」を「頼み」とかけて、日ごろお世話になっている方へ感謝を表す贈り物をしていた風習からです。

余談ですが、八朔という柑橘類、ご存知でしょうか? 日本国内での八朔栽培は、江戸時代末期に 尾道市因島田熊町(旧因島市)で原木が発見されたのを機に 始まったとされます。 名前の由来は、八朔(陰暦の8月1日)の頃から食べられたからと 伝えられているものの、実際にはこの時期にはまだ果実は小さく 食べごろではありません。

蘇る薬

中国・後漢時代にいた名医が、病気で死にそうな人に 紫蘇を煎じて飲ましたところ、命を取り留めたという逸話から、 紫蘇(むらさきのくすりでよみがえる)と呼ばれるようになったとか。 日本では平安時代から重宝されていた紫蘇の旬は初夏から盛夏。 ちょうど今が旬ですね。 青紫蘇にはイライラを鎮める効果もあるとか。

土用の丑の日

蒲焼きの名前の由来は、小ぶりの鰻を串にさして焼いたものが 蒲の穂に似ていたことから、とのことです。

歴史は古く、奈良時代「風土記」や「万葉集」では 「むなぎ」と呼ばれ、夏痩せに良いとされていました。

江戸時代に入り、江戸の干拓でできた湿地で鰻がよくとれるようになり、安くて栄養満点の庶民の食材となったそうです。(今はお高いイメージですが、江戸時代は安いものだったのですね。)

現在のような蒲焼きになったのは、江戸時代中期にあたる18世紀とのこと。 因みに土用の丑の日に鰻を食べるようになったのは、平賀源内のアイデアだとか。。。

和の色名


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紅湊(べにみなと) 紅みがかった青です。
湊色(みなといろ)は大阪府堺市にあった湊村で生産された鳥の子紙(とりのこがみ)の色、とのこと。

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薄紫(うすむらさき)
紫色を薄くした色です。

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半色(はしたいろ)
端色とも表記され、中途半端な、 どっちつかずの色という意味をもっています。 古代より紫は高貴な色とされていて、特に濃い紫色の 「深紫(こきむらさき)」は皇族や身分の高い貴族のみが 許されていた禁色でした。

地位や身分を問わず着用できた「許し色」が 「浅紫(あさきむらさき)」でした。 半色はその中間の色なのです。

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紫鼠(むらさきねず)
紫に鼠色を混ぜた色です。

komurasaki

小紫(こむらさき)
コムラサキの実のような渋めの濃い紫色のこと。 蝶のコムラサキのオスは光線の反射によって 紫色に見えると言います。

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花紫(はなむらさき)
藍で染めた花色に紅花を染め重ねた色です。 華やかさと落ち着きがあります。

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樺色(かばいろ)
樺とは山桜の一種である樺桜の樹皮のことです。 樺色は桜の幹のような濃い茶色を表します。
樺桜はとても古く「源氏物語」にも登場します。
また、湿地に生える蒲穂(がまほ)の色の蒲色は 似た色で同一視されます。 (厳密には少し違うのですが) 蒲は湿地に生えて、成長すると高さは2メートル近くにもなります。 葉は筵(むしろ)に編み、花穂はロウソクの代用とされました。 蒲団(ふとん)の蒲です。

kabacya

樺茶(かばちゃ)
江戸好みの茶と組み合わせた、樺色より暗い色です。

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紅樺色(べにかばいろ)
紅がかった樺色のこと。 江戸時代の染色の解説では、紅柑子(べにこうじ)、 紅鬱金(べにうこん)と似た色と紹介されています。

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火裏紅(かりこう)
透明感のある強い紅赤。 火焔(かえん)の芯をイメージさせる色です。 スイカをイメージさせる色でもあります。 スイカは江戸時代に庶民に広まったそうです。

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丹柄茶(たんがらちゃ)
丹柄とは雄蛭木(おひるぎ)の樹皮。 防腐効果があり、魚の網に使われました。


暑さが厳しい毎日。 外を歩いても、暑すぎて、なかなか色にまで目が届きにくいですよね。 そんななかでも、朝夕の空の美しさは格別な気がします。 皆様それぞれにほっと一息つける色があるといいなと思っています。 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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