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もやもやアンインストール-思い種(おもいぐさ)2


毎月満月にa pieace of joyという切り口で寄稿しているエッセイにこんなことを書きました。本投稿はその続編のような関連投稿。

思い種って?


思い種(おもいぐさ)」
ー思い種とはいわゆる悩みごと、のこと。

どういうわけかここ最近お悩み事を打ち明けられることが増えてきてー最近個人的に頭の中で浮かんでいるフレーズが”もやもやアンインストール”。

わたしは心理学の専門家ではまったくないのですが、英語の個人レッスンを行っているため、お一人お一人と向き合う機会が多い日々。するとときどき個人的なことを掘り下げたカウンセリング的な流れとなることも。

表向きの悩みは英語が入口なのだけれども、お話を伺うにつれ、お悩みの根っこはその方のマインドに関わることだなあ、と思えることが多々あります。

たとえば

「人の目を見て話すことがそもそも苦手なんです…」
「外国人の方にごく簡単な質問をされてもアタマが真っ白。固まります…」
「これまで様々な方法で英語に取り組んできたんですがいつも挫折して...」

こうしたモヤモヤ、心当たりある方もいらっしゃるかと思います。
わたしだってそうでした!

モヤモヤ黒歴史


少々打ち明けると、ワタクシ外国人どころか日本人同士のコミュニケーションでもこれまで「ホント会話のとき目を合わせないよね~」と言われたり、質問に答えようとして頭で思ってることと口からついて出ることがちぐはぐで赤面したり、特に10~20代前半はこうした黒歴史しかないくらい。

(以下、ほんの一例)

「え?結局なにが言いたいのかなあ...」

ーと言葉にしなくともそう言いたげな態度に出くわしたときとか。

「なんか話がかみ合わないねぇ…」

ーというこころの声が聞こえてきそうなくらい会話が
チグハグになってしまったときとか。

その瞬間の相手のささいな一言、態度が

矢のように刺さって傷ついたんですー
悲しかったんですー
何か言いたかったけど固まるしかなかったんですー

とはいえ相手も相手でおそらく悪気はゼロ。(むしろ会話続けるのしんどそうだから適当に会話を切り上げてあげよ、と親切心からだったのかも。)

とはいえ。
こちらとしては、ダメージしか負っていません。本能的に「もう二度とこんな思いしたくないっ!」って体もこころも身構えてしまうというもの。

2種のよろいを纏うわたし


であれば自分がよろいを纏えばいいのであーる、壁をはりめぐらして心と心の接触を断てばいいのであーる、と無意識のうちに自分を守ろうとする。そんなメカニズムが働いているような気がしています。(はい、かつてのわたしです💦)

一方、これと真逆のアプローチ。

どういうことかというとーそのよろいを「カンペキさ」という名前に置き換えて、なんとか弱いところが見えないように見えないように背伸びして、表面上は”とっても頑張り屋な●●さん!”と周囲から評価されることで、相手から攻撃される隙を与えない、というような。(これも過去のわたし💦)

こうしたカンペキ・コーティングを施すひとはいませんか?
これもこれで、わたしが思うにある種の「よろい」

つまりー前者も後者も、「本来の自分」からかけ離れている、ということが「よろい」のチカラを借りてるっていうことと同義。(あくまで”me調べ”、に基づく。)

さらにいうと、この「よろい」。こころに纏っているときは着用していることすら無自覚。けれども重さだけは”ずしっ”とこころに届いているのです。

なので、わたしの場合はある日突然気づく、というよりもある人との交流の中でハッとさせられました。

そうかーわたし、めちゃくちゃ無理をしている。背伸びしている。自分で自分が心地よくない。

ってね。(改めて詳しく書きます!)

自分を守るための壁ーそしてアンインストールへ


長くなりましたが、冒頭の英語のお悩みを掘り下げると実は、感受性の幅が大きくて(いわゆる繊細さん)自分でどうしたらいいか戸惑っていたり、無意識のうちに完璧でいなきゃ、と自分を追い込んでいだりーそういう根っこが見え隠れ。

自分を守るための壁、こころのガードがあると安心する気持ち、とてもよくわかります。それはそれでその時必要だったのだから否定する必要はないのかと。

が。逆をいうとーこの「よろい」をスムーズに外すことができれば、なんとも軽やかな本来の自分に戻れるのではないかな、と!

ーというわけで、次回はそんなよろいという名のガードをどうやってアンインストールしたのか、実際そういう気分でいるときにはどうしたら?

というあたりを”その3”にて書いてみたいと思います!


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