私のカルチャーショック。
最近ふとしたときに思い出していること。ちょうど5年前の5月、アメリカに引越してきて2ヶ月が経とうとしていた頃、私はまぁまぁふさぎこんでいた。
今思えば典型的なカルチャーショックだったように思う。「カルチャーショック」と聞くと、人によっては異文化に触れた時のびっくりエピソード、みたいなものを思い浮かべるかもしれないけれど、ここでいうそれはより包括的なもの。異文化やそこでの生活の中で経験する驚き、困惑、心理的な変化を指す。
来たばかりの頃感じた新鮮さ —すべてが目新しくて、英語を学ぶには格好の環境、新しいことはなんでも挑戦で、日本との違いに驚きながらも面白がれる— そういう日々はそんなに長く続かなかった。いつしか生活の中の小さな違いは不便でしかなく、新しいことはすべてが不安になった。意気込んでいた英語、日本ではそれなりに得意な方と思っていた英語すら、それがデフォルトの環境下にあっては粗末としか言いようのないものだと、嫌でも思い知らされた。
仕事もない、友達もいない。ただ家にいて、たまにスーパーで買い物するとか電車に乗るとかいう程度のことで、神経すり減らしていっぱいいっぱいになっている自分はなんてちっぽけなんだと思った。かたや夫は異国の地で慣れないながらに毎日働いている。私のモヤモヤなど悩みとすら呼べない。
英語で話しかけれれるのも、自分が英語を話さなければならないのも避けたいがために家で過ごすことが多くなった。具体的に何をしてたのかあまり覚えていないけれど、おそらく私が一番困惑していたのは、まさか「自分が」そんな状態になっていることだった。異なる文化に触れるのが好きで英語を学んでいた自分が、一人で海外旅行にだって行けていた自分が、英語ができないからって引きこもるだけの駐妻にはならないと決めていた自分が、英語が怖くて生活すべてが億劫になっている。意味がわからなかった。
そんな状況が少し変わることになったきっかけは、コミュニティカレッジの英語のクラスに通いはじめたこと。行く場所があってやることがあるということが、生活のハリとちょっぴりの「前進している感」を与えてくれた。そしてその後、ある先生から「カルチャーショック」という概念を学んだ。
カルチャーショックには4つのフェーズがあること。
程度の差はあれ誰もが経験するものであること。
意味不明だと思っていた自分の落ち込みには Rejection phaseという名前があった。Rejection、つまり異文化に対して否定的な反応が出る時期だ。
カルチャーショックの概念を知ったからといって、アメリカでの生活にすぐに順応できるようになったわけでも、急に不安が払拭されたわけももちろんなかったけれど、環境に適応できなくて苦しいのは、私が弱いからというわけではないと言ってもらった気がして少し気持ちが和らいだ。
それからの私は、その先生に言われた「あと半年、半年頑張ってみて。」という言葉を時折思い出し、ときにその数字にすがったりもしながらアメリカでの生活を続けた。「半年」という期間には、おそらく明確な根拠はなかったのだと思うけれど、アメリカのことが嫌になることだってある、ホームシックな日だってある、自分がダメダメに思える日もある。それらはすべて当然のことだと言ってもらえたことに救われたからこそ、日々を生きることができた。
だから、カルチャーショックの概念を教えてくれ、のちにメンターとして大学院出願まで伴奏してくれたその先生には感謝してもしきれない。と同時にその先生と同じくらい、そこからの「半年」を信じて歩いてきた私にもすごく感謝している。
あのときの私へ。そのままで大丈夫だからね。ありがとう。