とっさに自己卑下してしまった私、それもまた私。

たまに仕事について聞かれることがある。とっさに答えを求められるそういう場面ほど、自分の心の奥底で感じていることが出てしまうのだなと思い知る。フルタイムの仕事でないことや、30代にしてまだ駆け出しであること、何より自分の英語に対する自信のなさが急に頭を占拠して、結果的に「パートタイムで英語を教えてます、こんななんですけどね。笑」なんて自己卑下に走りながら中途半端な自己紹介になってしまって、後になって苦い思いをする。You are enough.どこ行ってん。


ノンネイティブで「完璧」な英語を持ちあわせいない私だからこそ、同じく第二言語として英語を学ぶ人に私が伝えられることがあると信じているのに、とっさに逃げ腰な反応をしてしまうのは、まだ自分で自分を信じきれていないからだろうか。こんなたどたどしい英語の私が英語を教えていると言ったら笑われるか呆れられるんじゃないかと怯えてしまうのは、まだどこかで「ネイティブのような」英語を目指しているからなのだろうか。


下積み中。そんな風に形容したらいいのかなと思ったこともある。英語コーチ下積み中。何かになる前の準備期間、修行中、だから不完全であることが許されるような安心感にすがりたくなる。またしても、私はまだ何かに「なろう」としていたのかもしれない。理想のbetter version of me.それになりきれていない自分は、やっぱりどこかまだ不十分なのかなと。


だから自分へのリマインダーとして。
私の在りたい(≠なりたい)姿は、どんな自分でも受け入れてまずは私自身が自分のライフを生きていること。そして、私が自分の英語習得のjourneyから得てきた学び、葛藤、喜び、繋がり、それらを生かして、英語を使ってライフを輝かせたいと願う人たちのサポートすること。英語という言語は、誰かにとって本当に意味のあるコミュニケーションや人との繋がりを感じられるすごくパワフルなツールだと信じてるから。


改めて言語化してみて思う。それが私の理想のbeなら、必ずしも常に揺らがぬ自信をもった人間である必要はないのかもしれない。とっさに日本人的な謙遜の癖や、エゴからくる自己卑下で堂々と自分を語れなくなってしまう場面もある。そんな自分に気付いて動揺することもある。自分自身に改めて問い直すこともある。それでも英語を使って生きていくことを恥じたり諦めたりしない。

そして誰だっていつだって成長途中なのだから、わざわざ自分に修行中のラベルを貼る必要なんてないのだ。誰にも何も言い訳する必要なんてない。
私たちは今ある私たちのままで十分もっているはずなのだから。


もちろん「英語を学ぶ人をサポートしています」堂々とそう言える自分もプラクティスし続けるけれど、ね。

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