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虹色人格とは?複数の人格を装備して虹色になると、この世界に居場所が増える!

こんにちは、ゆうです。語学記事100記事目に到達した今日、本ブログ「語学の裏設定」で一番伝えたい話をします。語学学習で自分を作り変える理論と、その応用で友人を数多く作る方法についてお話します。

言語とは何か?

それは自分を伝えるツールでもあり、
自分自身を作る人格でもあるのです。

ん?人格?と思った人、

英語と日本語の謝罪の表現を比べるとある事に気づくはずです。

【英語】
・I am sorry.
・I apologise.
・My bad.

【日本語】
・ごめんなさい
・すみません
・申し訳有りません


英語の表現には「I」とか「my」とか、人物を表す表現が入っているので責任の所在が明確ですが、日本語には「私」など人物を表す言葉は一切入っていません。

試しに入れてみましょう、不自然すぎですよね。

【変な日本語】
・私はごめんなさい
・私はすみません
・私は申し訳有りません

すると面白いことが分かります。

英語は「I」とか「My」とかの個人主張が激しい言語だから、責任(Responsibility)をとても大切にする。その結果、良くも悪くも英語圏は訴訟社会になる。人々は真っ向勝負をする方向に進みたがるので、好戦的になる。

例:特にアメリカは裁判大国で、大小様々な裁判が毎日繰り広げられている

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一方、日本語は人物を表す言葉が省略され、責任の所在が不明になり、お茶を濁す事が可能になる。争いを避ける方向に進みたがるので、空気を読むようになる。

例:隠蔽体質が国家単位・企業単位で蔓延することになる。

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このように言語には世界観が埋め込まれており、
その言語を話す人の人格のベースを決め、
その集まりが日本語圏、英語圏など言語圏という世界を作ります。

ゆえに1言語1世界観であり、
例えば3言語話せる人は3つの人格を持つことになります。


こうして、
語学を通して新しい世界観を人格に装備することができ、
複数の人格が装備されカラフルになった自己を「虹色人格」と私は名付けました。

人格が単色ではなくて虹色になるとどんなメリットがあるのでしょうか?



1.この世界に居場所が増え、どこでも生きていける


自分の居場所がないって、とても怖いことだと思います。だからこそ、「場違い」という言葉があるように、自分だけ浮いてしまうような場所には基本的には行きたくないですよね。

例えば、
中国人の集団の中で自分だけが日本人とか、
(私は毎週中国人バスケに唯一の日本人として参加していますが。)
スペイン語しか聞こえてこない環境で、スペイン語を話せない唯一の人になるとか。

はたまた、10人の男性の中に1人だけ女性という環境も、自分が唯一の女性だったら居づらいですよね。紅一点などというように自分だけ世界観の色が大きく違うと居場所が無いように感じてしまいます。

例えば男性は男性で、ある種1色の世界観でまとまっているので、
帰属意識、連帯感、一体感を感じることができるのだと思います。


このことから、
「もし自分が彼らと同じ色を手に入れれば、その場に居れる」

という考えが導き出せそうです。

例えば、女性でも、男性の要素が強くて男性の世界観が身についているなら、男性の中に溶け込むことができるでしょう(男性の場合も同じ)。

例えば、日本人が中国語を通して彼らの世界観を身に着けたら、その日本人は特に苦なく中国人の中に溶け込むことができるようになれるでしょう。


自分が多くの世界観カラーを身につければ身につけるほど、この世界で所属できる場所が増える、と言うことを私は多言語学習で体感しました。

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わたし達が一人ひとり好きな色が違うように、
好みの世界観があるはずですし、
一人ひとり似合う色が違うように、
快適だと感じる世界観が違うはずです。

もし今この記事を読んでいる貴方が日本に住んでいるんら、今は日本色の世界観が濃い日本に住み、日本色と同化することを求められていますが、究極、自分が所属したい場所は自分で選ぶことができるのです。

自分を何色に塗るかによって。


2.友達が増える

色々な言葉と世界観を身に着け、彼らと同じ色眼鏡を手にすれば、彼らの物の見方や考え方が分かるようになります。

上から目線でもなく、下から目線でもなく、同じ目線で話ができるようになるので友達が増えることでしょう。

私見ですが、これこそが真の国際交流であると思っています。彼らの世界観を理解し、そこからどのようにこの世界が見えているのか。私の世界観からはどのようにこの世界が見えているかを説明できる。

そのような深さ対等さを伴う話し合いが真の国際交流であると。

決して、上辺の英語で話すことが国際交流ではないのだと思います。
読者の皆さんそれぞれにも、真の友達と呼べる人が何人か居ると思います。真の友達とは、お互いがお互いの世界観を深く分かり合っているので深く話せる人なんだと思います。

友達の価値観が分かって、
自分の価値観が分かってもらえる。

他ならぬ、
友達の価値観でどのように物事が見えているかが分かり、
相手も自分がどのような価値観で物事が見えているかが分かる。

このような関係が真の親交ではないでしょうか?


国際交流になっても同じなんだと思っています。
世界観の相互理解が鍵を握るはずです。


単に相手の言語を話せてたとしても、相手の世界観が分からない・見ようとしてない表面的な学習だけしても友達はできないと言えます。

もう一歩踏み込んで言うと、相手の世界観が分かって相手の言葉がわかっても、自分に日本人としての世界観が無く、説明できなければ、コミュニケーションが一方通行になり、対等な交流にならないから、真の友達には繋がらないのだと思います。

大事なのは言語の習得じゃない。
世界観の習得のはずだ。



3.語学に人格に昇華する「人格工学」により自己改造ができる


新しい世界観が身につき相手の世界観が分かるようになる。

その前にかならず起きるのは、

自分の人格に相手の世界観が装備されるという状態。

こう言うと、古い人格を廃して新しい人格を手にするように聞こえるのですが虹色人格は違います。古い人格を保ったまま、新しい人格を足していきます。まるで色数が少ない虹に次々と色を足して増やしていくように。


虹色人格では、虹の輪郭が母国語でできていると考え、それが一色目だと考えます。(最も内側が母国語とする、という考え方もできますね。)

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虹にも骨格がある。
母国語の世界観が外郭となっている母体容器があると。

そしてその容器の残りの部分を何色で塗るのか?
これが外国語学習なわけです。

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その外国語に、その言語ながらの世界観が伴って1色とカウントします。

よって、

日英バイリンガルは、日本語という外郭からなる容器+残りの部分が英語色に染まっている状態。

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メインはサブを超えない。英語は日本語力を超えないと考えるのは、容器の輪郭を超えて色を塗れないという考えに繋がる。だから、最も外側を母国語としたわけだが….


日英中トリリンガルは、日本語という外郭からなる容器+残りの部分が英語色と中国語色の2色に染まっている状態。

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じゃあ、第二言語、第三言語と進むに連れて半径が小さくなっていくから、いつか半径ゼロにならないのか?と思う人もいるかも知れません。円弧だからこうなるのであって、直線に延ばせばどれも一様な長さになりうる。どの外国語も母国語レベルの人はきっとそうなのだろう。



英語に偏りすぎて母国語の日本語の世界観を失った人は、英語色に染まっているけど、外郭が無いので自己があやふやな人。

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自分という容器が確固たる母国語の輪郭によって完成した後、
残りの部分を何色で塗り、どんな自分になりたいか。

それは自分で決めたらいい。
これが学びたい外国語を決めるということです。
(大人が自ら選んで外国語を学ぶ場合)

工学とはものづくりのことですが、人格も同じじゃないかなと。
ものづくりのように、人づくりをすることができるから工学です。

自分を自分でデザインする。
自身を、お気に入りの言語の世界観で塗っていく。
色は自分で選んだらいい。

ここに語学学習の妙があると思うのです。

この服だったら似合うかな?この服だったらイメチェンできるかな?とファッションを選ぶ感覚で、学ぶ語学を選んでいく。こうしてなりたい自分に近づけるというのが、語学の持つ裏の力、つまり語学の裏設定であると。

どんな言語を学んだら良いかは、それぞれの言語の国民性の把握にあります。下の記事が参考になると思います。

  まとめ

言語は単なるツールだけではなく、人格でもあります。
新しい言語を学ぶことで、新しい人格の構築ができます。
どんな言語を学ぶかを選ぶことは、どんな自分になるかをデザインするのと同義です。

複数の言語を組み合わせることで、複数の人格を持つことができ、それはまるで虹のようです。

語学学習によって自分に合った色の組み合わせを持ってみるのはいかがですか?


  ・おまけ「人格工学とは?」

人格工学とは私が勝手に作った造語です。

人間工学という言葉は聞いたことがあると思います。
人が使いやすいデザインを考えるという工学です。

人格工学とは、生きやすいように、人格を思いのままにデザインしていくことを指します。そしてこれが、語学力だけではなく外国語人格を作るという視点で語学を教えているのが私の仕事です。

人格工学の第一人者として語学を教え続ける。というのが私のミッション。(根暗すぎて自分を作り変えたかった大学時代に、私は理工学部で物質生命学を学んでいたので、人格を意図的に作るアイディアは比較的早い段階からあったし、やりたいことでした。)


せっかく工学という言葉が出たし、数学チックな話をおまけでしていきます。

言語という世界観 が変わると行動様式が変わる。

言い換えると、

人間は使用する言語が違うと人格が変わり行動が変わる。

こういう時は、こうなる。ああいう時は、ああなる。という法則集の集まりだと思って頂けたらと思います。

これは言語と人格の関係にも当てはまると考えています。

・この言語の時は、こういう考え方になり、こういう振る舞いになる。
・あの言語の時は、ああいう考え方になり、ああいう振る舞いになる。

日本語の環境、英語の環境、ある言語の環境にて、人間に刺激が入力された時、どんな振る舞いが出力されるかを決めるものだと言えます。

ちょっとこれをいじって人格関数と呼びましょう。

人体という細胞の塊は空っぽの容器として見てあげる。

・それを中国語という世界観で満たしてやると、中国人人格になり行動が中華式になる。
・それを日本語という世界観でで満たしてやると、日本人人格になり行動が日本式になる。

詳細を割愛して超シンプルな数式にするとこうなります。

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そんなことから、マルチリンガルの人格はこんな風に表せます。

y=f(x1)+f(x2)+f(x3)+f(x4)
x1,x2,x3,x4はそれぞれ別の言語とする。

そんなことから、意図的に自己をデザインすることは可能なはずだ...

この辺の込み入った話については、いつか記事にするかも…!?



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