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Nirvana 解放と安らぎの境地


メンバーといわずと知れた、フロントマンのKurt Cobain、ベースのKrist Novoselic、そして現在はFoo Fightersのボーカリストとして有名なドラマーのDavid Grohlである。


音楽コラムを書くのは久々で、何がいいかと模索していた時H&MからNirvanaのTシャツが販売されしかもあの名作『In Utero』だったので買った事がきっかけで、最近また私はNirvanaを聴くようになった。
Nirvanaは元々思春期の頃から好きだったのだが、第一印象はCoccoや椎名林檎よりも自分の気持ちを代弁してくれている、というのが強かった。
(それは今でも変っていない)
Nirvanaの成り立ちは関連書籍や雑誌などを読めば有名な事だが、知らないJ人のためにも一応書いておくとしよう。
バンドのなりたちは元々、あのMelvinsのBuzz OsborneがKurtに厳選したパンクロックのミックステープを貸した事がきっかけでティーンエイジャーだったKurtはパンクロックの素晴らしさに目覚め、バンドを結成することを彼の友人の兄であったKristに声をかけるが彼は乗り気でなかったので最初は断ったが、二度目に彼の作ったデモテープ(Nirvanの前身バンドとなるFecal Matter)のテープを聴き、バンドの結成を決意したといういきさつである。

ここからのことは、あまり書かなくてもよいと思う。
というのは、ドラマーがあまり何人も交代し、あまりメンバーが安定しなかった事である。
二人は四苦八苦し、ようやくSUB POPに名曲『Spank Thru』を送り、契約が決まりようやく1898年に彼らのデビューアルバム『BLEACH』が世に送り出されることになる。
このアルバムのタイトルについての逸話は、日本のあの有名なジャンプ漫画のタイトルの由来とされる。
元々この『BLEACH』という言葉も当時アメリカ政府がHIV対策のために以下のようなスローガンポスターを貼っていたことに由来するが、翻訳すると「消毒した針を使いなさい」というなんとものちにヘロイン中毒に陥るKurtには皮肉な言葉である。

『BLEACH』は名作とされるが、私は以前は正直に言うと、好きではなかった。
なんというか…、『Never Mind』や『In Uteto』と比較すると荒削りでスタイルも定まっておらずバラバラの印象があったのだ。
しかし先日聴きなおしてみたのが、なるほど荒削りでまだ彼らの音楽スタイルを模索しているようなサウンドだからこそ、その中に若さと情熱がある。
当時、書かれたレビューのように確かにLed ZeppelinやAerosmithなどの影響が強く見受けられる。
中でも『About a girl』は『with the beatles』を三時間聴きながら作ったという有名な話があり、Nirvanaといえばヘヴィでノイジー、そして激しい作品が多いが、『All apologys』や『Do Re Mi』『Polly』といったのちの名曲にも繋がっている。

1991年9月24日にはあの誰でも知っているインパクトのあるジャケット写真の『Never Mind』が発売されることとなる。
まるで1991年の幕開けを告げるような『smells like teen spirit』のイントロから出産がテーマの『Drain You』、そして『Something in the Way』にいたるまでの構成は完璧である。
このアルバムの誕生背景については、シオリエクスペリエンスでも読んだ人はいると思うが、Kurtとて最初は成功する事を願っていた。
しかし、彼にはその成功の代償は重すぎてそして逃避するようにヘロインに溺れていった。
『Never Mind』から次のアルバムをなかなか出さない事に業を煮やしたゲフィンはつなぎとして『Incesticide』を勝手に出してしまう。
そのおかげで、『Sliver』が聴けるようになったのはなんとも皮肉な結果とも言えよう。
『Incesticide』のアートワークもまた面白く、よく見ると「cunt」という女性器を意味する単語が骸骨の腕や足によって構成されている。

1992年から1993年は、Kurtにとってもまたバンドにとってもあまりよくない事もあり、1992年からKrutはDavidに嫉妬するようになり、バンド内は険悪となっていった。
そこに現われたのが、救世主のサポートギタリストのPat Smearともいえる。
彼はめったに人に心を開かないKurtが、長年の戦友であるKristよりも信頼をおく人物である。
Patは温厚で、誰とでも人間関係を築ける人物だからこそ、KurtはPatにかつての戦友二人の面影を見いだしたのではないか?

険悪な出来事が続く中、Nirvanaの最後のアルバムとなってしまう『In Utero』が1993年の9月21日に発売される。
Kurtはこのアルバムについて、「商業的なものではなくBLEACHのようなアンダーグラウンドなものにしたかった」と語っており、『Rape Me』は特に自分をゴシップのネタにし続けたマスコミへの怒りが見て取れる。
『俺を好きなように味わえよ』と怒りと絶望とともに、彼は叫んでいる。
このアルバムの収録曲のいくつかの歌詞は、妻・Courtney Loveについて歌われたものも多い。
In Uteroツアーのヨーロッパ三カ国公演中に、Kurtはローマに滞在中にロヒプノールをシャンペンとODし、自殺未遂をしてしまう。
(これについては、探偵・トム・グラントが言うにはロヒプノールの出所はCourtneyに処方されていることと、彼に電話をかけた時にCourtneyがロル・パルーザのヘッドライナーをしなかった事で大金を稼げなかった事などの通話記録から故意に飲ませたと主張している)

1994年の4月はもうなにも言わなくとも分かると思うが、昨日YouTubeで多くのFan albumを見つけ、中でも『Do Re Mi』はコーラス部分が「Don't Rape me」とも聞こえるように歌っているが、『You Know You'r light』のコーラスにおいて「Pain」をわざとはっきりと聞こえないようにするKurtの事だが、『Do Re Mi』の歌詞全体は「俺は横たわる事ができるなら/泣きながら横たわるだろう/俺が言うことができるなら/人生とはなんだろう?/夢を見ているようだ」という歌詞から、確実にCourtneyとは離婚調停中だった事を死の直前の状況から考えると、リハビリのプログラムを終えたKurtは、Courtneyと離婚し、戦友たちとも歩み寄り元妻やマスコミに対して『Do Re Mi』をリリースしただろう。
そして、愛娘の親権を勝ち取り、今日まで生き続け、KurtがリハビリのためにNirvanaが休眠中の間にできたFoo Fightersとはからずとも軋轢のようなものが生じるが、今年の2月には57歳の誕生日を迎え愛娘や戦友たちと素晴らしい一日を過ごした事だろう。

Kurtはクリエイティブな人間だ。
おそらく、i Padのデジタルで絵を描く事にも興味を示し、SNSにも娘にすすめられて彼の数々のアートを載せたりしていただろうと無限の可能性を拭いきれない。
(Courtneyはなにかしら 訴訟を起こしたり、彼を攻撃したりするだろうが…)
大好きなジュースキントの小説、パフュームが2006年に映画化される際には数々の曲を提供しただろう。

最後に、Fan maidのアルバムの中でも特に良いと思ったものを載せておこうと思う。


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