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2021年7月5日(月)

 先日、久しぶりに弟に会った。

 年は4つ離れている。私が大学で一人暮らしを始めたときにまだ中学生だったので、なんとなく幼い頃の印象が強く刻み込まれている。

 そんな弟が、結婚式に出席してくれて、しかもなかなかシャレたプレゼントをくれたときは驚いた。

 幼い頃の印象が強かったからか、その変化というか、成長に驚いたのだろうと思う。

 ともあれ、そこから「プレゼントをあげる/もらう」の話になった。

 なんとも失礼な話で、自分の人間性を疑うばかりだが、私は「誰から何をもらったか」を忘れることがある。

 ありがたいことに、結婚のお祝いとして「フォトフレーム」をたくさんいただいた。弟もそのうちの一人だった。

 「この人はフォトフレームをプレゼントしてくれた」ということまでは覚えていても、その人がくれたのがどのフォトフレームだったかを正確に思い出すことができない。

 (実を言うと、弟がくれたフォトフレームがどれだったも識別できていなかった。申し訳なく思う)

 先日たまたま、自分の所有スタンプの項目を開き、見覚えのあるスタンプが「未ダウンロード」の状態で待機しているのに気がついた。

 スマホを買い替えてから3、4年ほど、デフォルトのスタンプしか使っていなかった。そのあいだに、かつて使っていた有料スタンプの存在を忘れていたらしい。
 
 しかし、自分がスタンプを買うはずはない。自分の傾向として、それはほとんどあり得ない。だとすると、誰かにプレゼントしてもらったことになる。

 ところが、誰がくれたものか覚えていない。まだスタンプを使っていた3、4年前であれば覚えていたのかもしれないが、いまやその記憶は失われている。

 思い当たる友人に尋ねてみたところ、心当たりはあると言いつつも、正確には覚えていないと話してくれた。

 記憶は、その人をその人たらしめるのに極めて重要な役割を果たしている。しかし記憶を信頼するのは、どうも容易でないなあと思う。

 そして記憶を信頼できなければ、その人がその人であること(=アイデンティティとか自己同一性とか呼ばれるもの)を信頼することも難しくなる。

 「〇〇年前の自分」と「現在の自分」は、おそらく同一の存在であるに違いないけれど、でもそうとも言い切れない部分があるように思えてならない。

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 ちなみに、「誰に何をあげたか」もよく忘れてしまう。

 弟には、誕生日プレゼントとして同じ本を二年連続で贈ったことがある。

 年賀状も、大した枚数書いてないくせに、誰に出して誰に出していないかを正確に覚えていない。困ったものだ。

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