見出し画像

鬼滅の刃の人気の理由をマンガ全巻読んで考えた結果、「愛着障害とその克服の物語に、自己肯定感を感じられるから」という結論になった。

映画が公開されて5日目に、
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を見てきました。

で、こんな記事を書いている理由は、
映画がにとっても感動して、マンガを全巻大人買いしまして(笑)
全集中で結末まで読んじゃいました。
読み終えて、いろいろと浮かんできた考えを、
まとめてみました。

なぜ、鬼滅の刃がこんなにも人気なのか?
鬼滅の刃が、どうして人(特に日本人)に勇気を与えているのか?
などなどについて、感覚的にわかった気がしました。

アニメ全話、映画、マンガのラストまでの内容に触れながら書いていますので、ネタバレが嫌な方はこれ以上読み進めないように、
ご注意くださいね。

まずは映画部分のみの感想

画像1

まずは、
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のみの感想。
全体として、テンポ良く話が進み、
飽きずに楽しく最後まで熱中して見れました。
映像の迫力は、31歳男性でも見入ってしまうほどのクオリティでした。
IMAXレーザーGTのシアターはすごいですね。
巨大なスクリーンと良い音環境のおかげで、猗窩座(上弦 参の鬼)と煉獄の戦いは、手に汗握る迫力でした。

映画全体として、
炭治郎が下弦壱の鬼の血鬼術を破るところだとか、
そのあとの皆の活躍だとか、
感動ポイントは人それぞれだと思いますが、
僕はとにかく、炎柱 煉獄杏寿郎の
生き方・死に方に、とっても感動しました。
"柱"として、先頭を切って戦い、そして下の者の盾となり、死んでいく。
「この少年は弱くない」と毅然と切り返す姿に、
とっても尊敬です。
自分のことを強い!と言うのではなく、
自分の下にいる者のことを、
自信を持って強いと言う勇気に、感激です。
人の上に立ち、人の盾になり、人を育てるって、
こういう事なんだろうな、って思いました。
煉獄は、映画の最初には、見開いた目で弁当を食って、
「うまいっ」
を連発する、天然キャラのシーンから始まったので、
そこからのギャップにぐっときてしまいました。

ほ〜んと、
日本の管理職の人はみんなこうであって欲しいと
思いました。(笑)

映画としては、ハッピーエンドとは言えないであろう終わり方でしたが、
感じたものは大きく、
とても満足して帰りました。
仕事を放り投げて、
「今の俺に必要なのは仕事をする時間ではなく、鬼の首を切る勇気だ」
と言って映画館に行ってよかったです。

鬼滅の刃全体を通して感じた、作者の世界観

ここからは、映画ではなく、マンガの最終話までの内容を含めた
鬼滅の刃全体についてです。

最終話まで読んで、作者が作った世界観を、
なんとなく理解しました。
それは、
人の想いは不滅であること
かな、と。

鬼という不死身の生き物と、人間という限りある命の生き物が
対照的に描かれていて、
人間は手を切られるなどの致命傷を負ったらもとにもどらないし、
年齢によって強さが衰退してくことが、わかりやすく描かれています。
そんな人間のもろさを描きつつも、それでも人の想いは受け継がれ、
やがて不死身である鬼を倒す。
そんな構成に見えます。
映画 無限列車編でも、猗窩座と煉獄の戦いや会話は、
この構成を感じさせる内容でした。

鬼舞辻無惨と産屋敷が会話するシーンが終盤にありますが、
その際に産屋敷が、
「人の想いこそが永遠であり、不滅なんだよ」
と鬼舞辻に話しているところは、
鬼殺隊の理念でありつつこの作品全体の世界観を語っているように見えました。

また、最終話で、現代の東京に、炭治郎・善逸・伊之助や、その他の柱の子孫と思える(似すぎてて子孫としか思わない)人たちが暮らしていることが描かれていて、大正時代(炭治郎たちがいた時代)から現代まで、命や想いがつながっていることが感じられる最後になっています。

人の想いこそが永遠であり、不滅である

これが、作者が一貫したかった価値観・世界観なのかな、と思いました。

鬼滅の刃から勇気をもらえる理由1. 心にフォーカスした作品だから

鬼滅の刃は、現在大人気ですが、その理由の1つは、
見ることで勇気をもらえるからなのでは?と思っています。
僕自身も、とっても勇気をもらっています。
なぜ、鬼滅の刃から勇気をもらえるのか?
その理由について、考えてみました。

鬼との戦いがクライマックスシーンなのは間違いないですが、
その鬼を倒しに行くための気持ちだったり、負けそうになったときの踏ん張りだったり、人間の心にフォーカスした部分が、とっても大きいですね。

映画中でも、煉獄の
「心を燃やせ」
というセリフがありましたね。
また、炭治郎を弱いと言った猗窩座に対して、煉獄が
「強さとは肉体のみに対して言うものではない。この少年は弱くない。」というシーン。(いや〜しびれましたね)
強さとはなにか?を問いかける、とても良いシーンでした。

アニメの最終回でも、
自分の意思決定をコインの裏表で決めていたカナヲに対して、炭治郎が、
「きっと心の声が小さいんだ」
って言うシーン。
心の声が無い、ではなくて、小さい。
小さいけど、よく聞けば聞こえるし、育んでいける、
という意味があるんでしょう。
続けて炭治郎が言った、
「人は心が原動力だから。心はどこまでも強くなる」
という言葉。
鬼と戦う恐怖に勝つ心、戦い続ける心。心はどこまでも強くなる。
とても勇気をもらえるメッセージ、ですよね。

鬼滅の刃から勇気をもらえる理由2. 愛着障害とその克服の話が、たくさん出てくるから

愛着障害とは?

愛着障害とは、幼少期の愛情不足のせいで、大人になっても自信や自己肯定感がもてない状態のことをいいます。(ざっくりいうと)

不安型の愛着、未解決型の愛着、無秩序型の愛着、統制型の愛着、
など、
いくつかパターンがあります。

人間は幼少期には安全基地というものが必要で、多くの場合は母親が安全基地の役割を果たします。
安全基地とは、
子供が何か超えられない壁にぶつかったり、失敗したときに、
「それで良いんだよ」
と肯定してくれて、安心できる精神的な居場所のことです。
幼少期にはこの安全基地が絶対に必要で、
なにか失敗したときには、
安全基地に帰って泣いて、そしてまた安全基地を離れて戦いに行って・・・を繰り返していくうちに、安全基地を巣立って戦えるようになります。
こうなると、自己肯定感・自信をもって物事に取り組める状態になります。
親からの愛情不足や過保護などで、
その安全基地の役割が不十分だった場合、子供は愛着の形成ができず、
大人になっても自己肯定感・自信をもてません。
そして、それらがコンプレックスやトラウマとして、
行動パターンに影響を与えていきます。

今の日本では、程度の差はあれ、愛着障害の方が多いように感じますね。(これはいろんな人が指摘していると思いますが)

鬼滅の刃の登場人物に見られる愛着障害

鬼滅の刃の登場人物は、ほとんどの登場人物が過去への執着(つまり愛着障害)を持っている描写がみられます。

主人公の炭治郎は、
幼少期 には親の愛をたっぷり受けて育ったように見えますね。
でも、鬼から家族を守れなかった、という、
引け目というか、トラウマ体験を抱えています。

善逸は、自分は良い弟子ではなかった、という引け目を感じている描写があって、1つの型しか使えないことにコンプレックスを持っていますね。

伊之助は、自分には親なんていなくて、
「野生動物との力比べだけが楽しみだった」
と口では言いますが、本当のところは自分の親の存在を信じたいし、
愛してくれた可能性を信じたい。

煉獄は、柱になってまでも父親に認められず、
母親からは愛情を受けたけれども、同時に使命も受けていますね。

また、鬼も壮絶な経験を経て鬼となったことが描かれ、死ぬ間際には、
「やりなおしたい」「なんでこんなことに」「ごめん」
と言っていますね。

登場するそれぞれのキャラが、
育ち方や家族関係を背負っていることと、今の行動パターンがそれに大きく影響を受けていることが描かれています。

それぞれのキャラクターにとっての安全基地

登場人物に愛着障害が見られる一方で、
それぞれの登場人物に対して安全基地が出てくる描写も、見られます。

まず主人公の炭治郎。炭治郎は、いろんな人に自己肯定感を与える、安全基地の役割を大きく果たしていましたね。
善逸や伊之助相手にはもちろん、カナヲ、玄弥、珠世、蝶屋敷のみんな。
いろんな人の安全基地となることで、人の心を動かしました。
また、鬼を相手にしても、相手のこれまでの壮絶な体験を思ってあげて、
罪を憎んで人(鬼だけど)を憎まずでした。

炭治郎以外に安全基地を果たしたのは、たとえば産屋敷(親方)。
彼も、いろんな経験を背負った柱の安全基地となり、柱をまとめました。
作品中で、いろんな柱の人生を受け止める言葉を発しているシーンが描かれています。

他には、
煉獄のお母さんが煉獄の安全基地だったり、
伊黒と甘露寺が互いに安全基地だったり、
藤屋敷のおばあさんが伊之助の安全基地だったり。
そして、炭治郎と禰豆子。

それぞれがチームとして安全基地の役割を果たし、
そして最後には鬼舞辻無惨を倒すことができた、
そんな物語だったように思いました。

われわれ読者も自己肯定感をもらえる

きっと、鬼滅の刃を読んでいる人はみんなそれぞれ、誰かしらの登場人物の生き方や過去の経験に共感するんじゃないのかな?と思います。
あんまりなキャラもいれば、強烈に共感するキャラがいたり。

自分が共感するキャラが、
過去のつらいこともすべて背負って、それでも戦う姿に、
自己肯定感をもらえて、勇気づけられるんじゃないかなと。
それが、鬼滅の刃の魅力かな、と。

余談かもですが、
「鬼滅の刃のおもしろさが、ぜんぜん分からない」
と言う人に出会うこともありますし、
SNSでもそういう発言を見たりします。
そういった感想をもつ人って、団塊の世代の人だったり、
愛着障害じゃなさそうな人だったりして、なんとなく納得感があります。
(すべての人にあてはまるわけではありませんが)

あと、小さな子どもにウケているのは、"壱ノ型" とかいった技の出し方が必殺技っぽくて、人気なんじゃないかな、と思いますね。

そういう私は?

こんなnoteを書いている僕は誰から勇気をもらっているか?
それはもちろん、煉獄杏寿郎ですよ。(笑)
あの生き様、本当に尊敬します。

嫌なことがあったら、
「心を燃やせ」を思い出して、
炎の呼吸で乗り切ります。

みんなそれぞれ、
自分の人生を背負っていける呼吸を見つけられたら、
良いですね。

サポート!夢のようです!😆