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水源の森より、水道が大事

日本では、水源の森活動を行っている企業がたくさんあります。
前職の企業は飲料企業なので、流石に飲料企業がやる分には意味があるのですが、森との関わりが極めて薄い企業でも森林活動をやっている企業が多いのは、ある意味ではCSRブームの残滓のように考えています。
前職で環境を18年担当し、社会環境室なる組織に配属されたのが、日本のCSR元年の次の年だったこともあり、この関係性はリアルに観察できました。

簡単に言うと、当時、CSRを迫られた企業が、一番思いつき易く、手を出しやすかったのが森林活動だった、ということです。
当時、CSRの位置づけは国や地域でかなり異なっていました。欧州では若年層の失業問題から始まりましたが、アメリカではいわゆるコミュニティの一員である義務といったものとして捉えられていたと言われています。

日本は、昔々、日米貿易摩擦で自動車産業が叩かれ、その対策として多くの自動車メーカーがアメリカに工場を建てた経緯があります。そこで企業市民として生きていくために必要なこととして理解したのが「コミュニティ」。
そこで苦労した方々が日本に戻ったタイミングで「CSR」を求められたために、そういう企業が「CSR=コミュニティ・企業責任」と理解した訳です。
自動車産業以外の日本企業でも、多くはCSRをその文脈で捉えました。
そこで目がついたのが森林活動。ちょうど、企業として「CSRをやっているぞ」と主張するのに良い手段になった、という訳です。
まったく森に関連性がない企業の多くが森林活動を始め、今でも継続している背景はこれだと思います。

欧州の場合のCSRは、コミュニティではなく、社会課題の解決、という本来的な意味合いが濃いものであったと思います。
昔の欧州では、不況になると(日本と違い)熟練工の雇用を守るために若年層の首が切られる。そのために、いつまでたっても若年層が熟練ワーカーとしての技量を得ることができず、漂い、社会不安となる、ことが問題となっていました。
国では対処できなくなって、その解決の役割を企業に求めたことからCSRが始まった、と理解しています。欧州では首切りは容易で、雇用は流動的です。ここは社会の仕組みとして修正は不可能。ということで、企業は、採用した従業員を「首を切られても次の職が探せるだけの能力を身に着けるトレーニングを提供すること」と規定し、企業の責任と位置づけ、これをCSRとして実行した訳です。
「人的資源」が話題ですが、私はこの考え方は、欧州の昔のCSRの流れからきているのではないかと考えています。「リスキング」も、同じ文脈でしょうね。
(実は、バブル崩壊で日本でも全く同じことが起こったのに、日本企業はこの役割を担いませんでした。この側面を全く意識せず、失われた世代を放置し、いまだ責任を取る気のない日本企業が、今更やる「人的資源」にも大いに疑問がありますが・・・)

と、話は長くなりました。話を元に戻します。
ということで、日本では水源の森活動が盛んですが、正直、その効果には、かなりの疑問があります。
TCFDのシナリオ分析やTNFDでLEAPで分析してたことのある人ならわかると思いますが、日本は水ストレスは大きくないんです。今年色々な場所で集中豪雨で大きな被害が出ているように、日本の場合は水リスクの方が大きいのです。
そのため、ほとんどの場所の水源の森活動は、しっかりした水ストレス分析の結果としてやっている訳でも無く、実質的な意義は、あまり認められない事例が多いと思います。
単に製紙会社等の、元から整備されていた森を契約して借り、自分の保護している森林面積と涵養度に組み込んでいるだけ、という企業すら存在します。まして、ウォーターニュートラリティーとなると、かなり怪しくなってきます。
もちろん、単に市民企業として森を整備することに意義がないわけではありませんが、そこで環境貢献を主張するには、根拠が乏しい例の方が多い気がします。

実は、日本では水源地保全より、問題が大きいのは水道の方なんです。
その理由は、このEYのレポートにある通りです。

私なりにまとめると、

・水道事業が市町村単位になっている。
・ところが少子化で税収入が減り、
・水道のメンテナンスをする費用を賄えない。
・よって、水道の老朽化がかなりひどいところまで来ている。

といったところです。
これ、深刻です。

これが何を意味するか?
むかしは、企業に「節水」が求められました。
しかし、企業が水を使わないということは、水道料金で払ってもらう額が減ることになります。
つまり、水道を維持する収入が細るということなのです。そのシワ寄せは住民に来ます。
もし、その水を使っていた企業の工場が撤退したら?
水道の維持は、(場合によっては過疎化した)住民の税金だけでやっていかないといけなくなるわけです。
当然、水道料金は跳ね上がります。
正直、

・水は使ってもらわないと困る

のが、今の日本です。
このような状況で、ESGの配点の中に、日本の企業の節水率の上昇率を入れているのは、明らかに違和感があります。

水は使わないといけない、という良い例があります。

熊本は今、TSMCの進出で大騒ぎです。
ここは阿蘇の伏流水(地下水)が豊富で、今までも半導体関係の工場が多数存在していました。
そこにまた、たくさんの水を使うTSMCが進出するわけですが、これが環境を悪化させることはないと考えられています。
なぜか?
既に工場を持っているソニーなども含めて、今までも様々な水の効率的利用と保水(冬水田んぼが有名)の活動が行われていました。儲かっている企業なので、取り組みも本質的で大規模です。
その活動が、TSMCも含めて今後も期待できるからです。
そして、なにより、税収が増えるので、市町村が必要な水道のインフラ整備や森林の涵養度向上策を行うことが、大いに継続して可能になるからです。

つまり、

・水を使うから水源が守られ、水道インフラも守られる。

これ、「事業を通じたネイチャーポジティブ」ですよね。

この逆が能登。残念ながら、地形の関係もあり企業立地としてよろしくない。よって、税収も少なく、水道のインフラが貧弱であり、地震に耐えられなかっただけではなく、復旧することも難しい状態です。

「水を使うこと」は決して環境に悪いことではありません。
水を使う企業がいるからこそ、水道のインフラは守られる場合があるのです。
これ、「里地里山」と似ていますね。
こう見てくると、水の豊富な日本には、宝の山がいっぱいあることに気づきませんか?
水を使う企業を積極的に誘致し、雇用を確保しつつ、その税収で水を守る。
まさに、これを「自然資本」というのです。
分かっている自治体はすでに動いています。

ところで、みなさんの水源の森活動は、本質的にどの程度、水源涵養に貢献しているでしょうか?
涵養度を開示している企業はいても、ある基準年からどれだけ涵養度が増えたか、流域のリスクが低減できたかを示している企業は少数です。
基準年から本当にどの程度良くなったかを示せないなら、TNFDの開示対象にはなりません。
単なる「コミュニティ活動」であり、CSRです。

「なんとなく環境に良い」から、そろそろ卒業することが、TNFDが迫っていることなのです。

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