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海の向こうで暮らしてみて 27

気がつけば在米20数年が過ぎアラフィフになり、
のんびり過ごす日々を贅沢と思えるようになりました。
必死で生きてきた日々を愛おしく懐かしく振り返ることができるようになりました。

よく不動産のセールスもやって、大家さんもやって、管理人もやってリノベーションビジネスもやってバケーションレンタルもやって器用だねと言われることがあります。全くそんなことはありません。どちらかというと、器用とは真反対の性格です。

一つのことにずば抜けた才能があれば会社員としてのキャリアだけで食べていけたので、別に大家業をやったり、副業をやったりしようという気持ちにならなかったと思います。

特にニューヨークに住んでいた時はシングルマザーだったので、子供を育てながら仕事をしていましたが、もし自分が倒れたら、収入がなくなってしまうので自分が働かなくてもお金が入ってくるシステムを早く作らなくちゃとすごく焦っていたように思います。たった一つの仕事をクビになって路頭に迷っている人をたくさん間近で見てきましたし、実際に自分もそれに近いシチュエーションになったこともあったので、その後は、ますます仕事も3つ掛け持ちして常にいろんな方向から収入が入ってくるようにしていきました。
もし一つの所でクビになってもどこかで食いつないでいけるように、いくつも掛け持ちするのはもはや習慣になりました。サラリーマン大家の時も器用だからそうしていたのではなく、単純に一つの収入源だと心配だったからです。
会社員としてのお給料が良くても副業は続けてきました。馬力のあるうちに稼いでおきたかった。
幾つかの仕事を掛け持ちする若さとエネルギーもあったので年中無休の状態で働きましたが、月月火水木金金という生活が何年続いたのだろうか?
7年くらい?掛け持ちするエネルギーがなくなった場合の副業についても真剣に考えていました。

実際にたったひとつの仕事を失った時の恐怖を味わってしまったことが副業しながら生きることを選んだ理由です。臆病で慎重になったんです。

会社という組織では人はコマの一つに過ぎないということを学べましたし、そんな人生から早く脱出なくちゃ。と心の底から思うようになりましたし、
お金は貯めるより増やす方が重要だと早いうちに気づけたので結果的には良かったです。

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