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人の話を聞きたくなる時はどんな時か【Well-Being 思索記vol1】

あなたは何故人の話を聞くのだろうか。
何故僕はあなたの話を聞かないといけないのだろうか。
もしくは、
何故僕はあなたの話を聴きたくなるのだろうか。

コミュニケーションに関心がある人はどこかで必ず聞いたことがあるだろう。
「話すより聞く方が大事だ」

これには何の反論もない。
僕も数年間、話の聞き方を勉強したり、実戦でも活かそうと、意識してきた。

ところがふと思った。
僕は本当にその人に興味があって、話を聞いているのではないのではないか。

例えば、
僕の彼女は先日北海道に2週間ほど旅行に行っていた。

もちろん帰ってきたら沢山お土産話を聞くつもりだった。
そんな時にふと思ったのだ。
「僕は彼女がどんな風に北海道で過ごしたのか、本質的に興味があるわけじゃない。知らなきゃ知らないで困ることはない。無事に帰ってこれたらならそれでよし。」

ああ、なんて冷たい人間なんだ。と彼女にも申し訳なくなる気持ちもあった。
一方で「北海道旅行の話を聞きたい」という感情もしっかりある。

違いは何だろう。

色々整理してみると、
実はこの感情の本質は、
「北海道旅行の話を楽しそうに話す彼女との時間を過ごしたい」ということなんだとわかった。

彼女に対してだけではない。
基本的に、誰に対しても、本質的にその人個人に興味があって話を聞くことは少ない。

「聞く」ことで成立するコミュニケーション空間を楽しみたいだけなのだ。

僕の場合、他にも話を聞く目的として、以下の動機があった。
①特定の問いに関するその人の意見や価値観を聞き、問いを深める
②相手との共通点を探し、親密可能性を探る

①は、例えば人からアドバイスもらう時や、議論する時、インタビューなどはこれに当てはまる。
②は、初めましての人との会話で発生する動機だ。

まとめると、人の話を聞きたくなる動機としては以下の3つに収束する。
・コミュニケーション空間を楽しみたい
・問いを深めたい
・仲良くなりたい

決して、
その人個人のことを「知りたい」という純粋な感情ではなかった。
これは僕だけなのだろうか。

それとも僕以外も「純粋な知りたい」という感情などないのだろうか。
答えは多分Noである。

僕の母親や今の彼女は、僕の話を聞く時、
「純粋に知りたがっている」気がする。

僕の話に一喜一憂し、当事者的な態度で聞いてくれる。
それがテクニックなのかどうかはわからない。

でも本質的に、

ただ知りたい。知ることが最上の目的。

そんな態度はすごく感じる。

話を聞く態度としての純粋性。ある種の身体拡張とも言えるかもしれない。
相手の話を聞くことで、相手の感情を知り、あたかも自分事かのように擬似体験する。
そのこと自体に喜びを覚える。

これが僕に今欠けている精神性の一つだ。
「欠けている」と表現したが、無理に身に付けたいとかは思わない。

ただ人生重ねて、この領域を感じるフェーズが来ても面白いだろうなと思う。

皆さんは何故、人の話を聞いていますか?

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