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ミュージシャン山下達郎から学ぶモノづくりへのこだわり!

今回は天才ミュージシャン、山下達郎氏の音楽に向き合うクリエーターの姿から、モノづくりについて考えてみました。

山下達郎氏、1953年2月4日に東京の池袋で生まれたシンガーソングライターで、プロのアーティストの間でも、最も尊敬されている方の一人です。

達郎さんは太鼓から始まり、好きな音楽にどんどんハマってゆき、頭脳明晰な才能を、学業から抜け出して惜しみなく音楽創作に注ぎ込みました。

食べるために音楽制作がCMで、その制約の多い身近な制作が、結果的に彼の才能を伸ばし、スターダムへと導かれてゆきます。

小さなホールで観客と一体化したコンサート活動を続け、テレビなどのメディアには顔出しをせず、サブスクリプションをしないのがモットー。

演奏、歌唱力、作詞作曲とマルチに活動し、CM曲で時代の最先端を常に走り続けてきました。

また、妥協なきプロデューサーとしての手腕が、業界を問わず、トップのクリエータたるものの生き方を示してくれています。

ものづくりのコンセプトが一貫し、かたくなすぎで時代遅れになるはずのところが、いつの時代も大衆を惹きつけてきた、奇跡のクリエーターです。

【山下達郎の音楽活動】

ご存知の通り、奥さんは竹内まりやさんで、奥さんへの楽曲のほか、ジャニーズを始め多くのミュージシャンの曲をプロデュースされています。

奥さんと著作権管理会社、テンダベリーミュージックを経営し、レコード会社はワーナーミュージック、芸能事務所はスマイルカンパニーです。

影響を受けたのはアメリカのポップス・ロックミュージシャンの、ビーチボーイズ、ブライアン・ウィルソン。

ヴォーカルを多重録音で一人アカペラを作る達人でもあり、ソフト・ロック、ブルーアイド・ソウル、スウィート・ソウルの影響も受けています。

山下達郎氏の音楽作りは、ボーカル、バックコーラス、ギター、シンセサイザー、パーカッション、ピアノ、編曲をこなし、

アコースティックのリズミカルなギターのテクニックなどのアナログから、デジタルの高度な技術をもつ天才的な音楽プロデューサーでもあります。

達郎氏の軌跡をご一緒にたどってみましょう。

【山下達郎の軌跡】

大貫妙子らと共にシュガー・ベイブを結成し、アルバム『SONGS』(1975年)でデビュー。
プロデュースを手掛けた大瀧詠一のナイアガラでは、日本コロムビア時代に、コーラスやストリングス・アレンジで参加し、『NIAGARA MOON』(1975年)や『NIAGARA CALENDAR』(1977年)に深く関わっている。

1975年頃から、ミュージシャンへ楽曲提供を始め、小杉理宇造を通じてジャニーズ事務所とつがり、
近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」(1982年)、
KinKi Kidsのデビュー・シングル「硝子の少年」(1997年)や「ジェットコースター・ロマンス」(1998年)
2010年代のヴェイパーウェイヴのブームでは、竹内まりやの「プラスティック・ラブ」の制作に関わり、YouTubeでは1億回以上再生されている。

3つのこだわり
「テレビやDVD・ブルーレイソフトなどの顔出し出演はしない」
「日本武道館などの大規模会場でのコンサートはしない」
「著書を書かない」をモットーとしている。

中野サンプラザ大ホール(収容人員2222人)は、「一番後ろの聴衆にも、演奏者がきちんと聞こえる」として、長年にわたり公演に使用し続けているという。

ただし妻である竹内まりやのコンサートツアーでは、日本武道館や大阪城ホールのライブを行なっている他、
2010年以降は「ライジング・サン・ロックフェスティバル」や「氣志團万博」などの野外フェスへの出演も増えてきている。

テレビ出演、顔を出してのリアルインタビューには応えないが、声のみの出演やインタビュー風景の静止画の放映は認めており、

NHK『SONGS』や、『日曜邦画劇場』などに出演歴があり、『ON THE STREET CORNER』以降、作品の解説・ライナーノーツを手掛け、雑誌『レコード・コレクターズ』にもコレクターとして登場している。

【生い立ち】

1953年2月4日に、池袋駅西口で居酒屋をしていた家の一人っ子として生まれ、父は、電気職工の祖父の工場を引き継いで再興を図った。
1957年
7月、景気は急速に冷え込み、工場は倒産し、池袋のアパートで共働き夫婦の下で生活する。

1959年に、豊島区立池袋第五小学校に入学し、宇宙と読書が大好きで、まじめに塾通いする典型的優等生タイプで、児童会役員にも選出。

1960年代

1964年の6年生の時、当時の音楽担当教師に勧められマーチングバンドに所属し、太鼓を担当し楽器への興味が芽生えるが、映画好きの両親の影響で歌謡曲を楽しみ、三波春夫の歌謡浪曲がお気に入り。

豊島区立高田中学校へ進学してブラスバンド部に入部し、小太鼓を担当。その後ギターにも興味を持ち、ベンチャーズをきっかけに洋楽を聴くようになり、ポップスを系統立てて聴くようになる。

1966年、一家は練馬区平和台 へ転居し、父親が菓子屋を開き、達郎は転校せず、越境通学することになった。

中学2年生で、友人らとアマチュア・バンド「ディー・バウエルン」を結成。達郎はドラムスを担当し、全員がボーカルというコーラス・グループ。

1968年、東京都立竹早高等学校へ進学し、ご褒美として欲しかったドラムセットを親に買ってもい、音楽に傾倒してゆく。

国立一期校で受験一辺倒のクラスメートの中にあって孤立感に悩み、教員からは長髪を理由に恫喝を受け、成績が下降し、学問の道から挫折。

当時、学生集会が盛んであった新宿で自らも学生運動や学生サークルに関わり、高校生活からドロップアウトし、「音楽、バイト、学生サークル、ジャズ喫茶に名画座」という毎日を過ごす。

高校をドロップアウトしたトラウマは、のちに、「学校という社会の中から逸脱していく絶望感は、この年になっても高校を出られない夢を見る」と語るほど大きく影響を与えている。

この時期、松井道夫(松井証券社長)や金子辰也(プロモデラーで、ジオラマ作家)らと交友を持つ。

1970年代に音楽への道へ

1971年、出席日数が足りなかった達郎は卒業が危ぶまれたが、高校を卒業し、音楽にのめり込む日々が始まる。

1972年、明治大学法学部へ入学するが、3か月で中退。友人達とアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を自主制作し、後にシュガー・ベイブのメンバーとなる村松邦男と鰐川己久雄と出会う。

『ADD SOME〜』で知り合った大貫妙子、野口明彦と、村松、鰐川で、シュガー・ベイブを結成。

9月21日、文京公会堂でのコンサート“CITY -Last Time Around-”で、大滝詠一 &ココナツ・バンクのバック・コーラスで参加。

12月17日、シュガー・ベイブのデビューコンサート“Hello! We are SUGAR BABE”を青山タワーホールにて開催。

音楽事務所と契約するも、給料をもらえず、経済的に困窮するが、CM音楽や、スタジオでのコーラス・ワークで知名度を上げていく。

シュガー・ベイブ(山下・大貫・村松)で参加した荒井由実のアルバム『MISSLIM』をリリース。達郎はコーラスとギタリストで参加し、荒井(松任谷)とは『OLIVE』(1979年)の制作まで関わっている。

1970年代後半
1975年、シュガー・ベイブ、アルバム『SONGS』とシングル「DOWN TOWN」を、ナイアガラ・レーベルから同時リリース。

野口・鰐川に替わって上原裕・伊藤銀次・寺尾次郎が加入することで、6人組となったが、伊藤が抜け、再び5人組となる。

11月、黒木真由美の『12のらくがき』で、山下は初めて「恋人と呼ばれて」と「北極回り」の2曲を他のシンガーに書き下ろす。

1976年、『オールナイトニッポン』水曜2部(木曜深夜3時〜5時)レギュラー開始(3月25日まで)。

3月25日、ナイアガラ・トライアングル(山下・伊藤銀次・大滝詠一)による『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』リリース。
同日、吉田美奈子、アルバム『FLAPPER』リリース。
後に『CIRCUS TOWN』で「永遠に」、「LAST STEP」の2曲を収録。

3月31日・4月1日、荻窪ロフトにてシュガー・ベイブ解散コンサート。

4月1日、『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』からのシングル「幸せにさよなら」リリース。

8月16日から、ニューヨーク、ロサンゼルスで5日間のレコーディング、12月25日、全曲アメリカ・レコーディングの『CIRCUS TOWN』でRCA ⁄ RVCよりソロ・デビュー。

1977年

3月25日、吉田美奈子の『TWILIGHT ZONE』を共同プロデュース。同日、シングル「恋は流星Part I・II」をリリース。

5月25日、アルバム『SPACY』リリース。
自分が書いたスコアでスタジオ・ミュージシャンと共にレコードを制作する数年間が始まる。
その結果、一人多重録音によるコーラスが登場。古くからのファンには本作がベストと評する人も少なくない。

11月20日、マザー・グースの「貿易風にさらされて/マリン・ブルー」を初プロデュース。

1978年

5月25日、六本木PIT INNライブのアルバム『IT'S A POPPIN' TIME』リリース。

12月、自身の事務所「ワイルド・ハニー」を渋谷区神宮前の和合ハイツ2階302号室に設立。

12月20日、アルバム『GO AHEAD!』リリース。最後のソロ・アルバムかもとの思いで、様々な曲調を詰め込んだ一枚となっる。

1979年

1月25日、ファースト・ソロ・シングル「LET'S DANCE BABY」リリース。
B面「BOMBER」が大阪のディスコを中心にヒット。

3月25日、COOLS ROCKABILLY CLUBのアルバム『NEW YORK CITY, N.Y.』を編曲・プロデュース。山下は録音1週間前に単身渡米し、スタジオやミュージシャンの手配などすべてを一人で行い、ライブではローディーまでこなした。

4月5日、初のタイアップとなるセカンド・シングル「愛を描いて -LET'S KISS THE SUN-」(JAL「沖縄キャンペーン」)リリース。

6月2日、自身初の全国ツアー『FLYING TOUR '79 PART-1』スタート。
大阪サンケイホールの客層が以前と異なり、直接的な反応が新鮮で、時代の空気に近い作品を作る意欲が湧く。

アン・ルイスのアルバム『PINK PUSSYCAT』「恋のブギ・ウギ・トレイン」や『POCKET MUSIC』で「シャンプー」を編集・プロデュース。

10月21日、アルバム『MOONGLOW』とシングル「永遠のFULL MOON」を同日リリース。大手販売店との販促会議やディーラーコンベンションへの参加など、積極的なプロモート活動を行った。

1980年代

1980年

3月21日、79年夏にプロモート用で制作されたLPが評判となり、『COME ALONG』がリリース。DJ入りコンピレーション・アルバムの先駆けとなる作品。

5月1日、シングル「RIDE ON TIME」リリース。自らも出演したmaxellカセットテープのCMソングとして初のトップ10ヒットを記録。

5月21日、水口晴幸『BLACK or WHITE』をプロデュース。

7月27日、『80's JAM OVER JAPAN』(西武球場)に出演。

8月2日、神奈川県の葉山マリーナ・エメラルドプールで『RIDE ON TIME CONCERT in HAYAMA』開催。
この年の冷夏の影響を受け、寒さと豪雨という最悪のコンディションの中、約4時間決行された印象深いコンサートの一つ。

9月19日、アルバム『RIDE ON TIME』でチャート1位を記録し、ソロ・デビュー4年目にしてブレイクを果たし、収録曲「MY SUGAR BABE」がテレビの『警視-K』主題歌に使用される。

12月5日、一人ア・カペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER』をリリースし、以降、一人ア・カペラはその認知度を増していく。

12月31日、『MOONGLOW』が第22回日本レコード大賞のベストアルバム賞を受賞。

1981年

3月17日、港区芝浦にある倉庫を一部改装し、初の自社ガレージ・スタジオ
「スマイルガレージ」がオープン。1986年のアルバム『POCKET MUSIC』レコーディングから使用開始。

1982年

アルバム『FOR YOU』がオリコンチャートで1位、年間アルバムチャートでも2位、シングル「あまく危険な香り」(TBS系金曜ドラマ主題歌)リリース。

4月6日、竹内まりやと結婚。竹内には楽曲提供だけでなく、レコーディングにコーラスとして関わる機会が多くなる中で、結婚のおよそ2年前から同棲生活を送っていた。

TBSラジオ『サウンズウィズコーク』レギュラー開始。フランク永井のシングル「WOMAN」リリース。
近藤真彦の7枚目のシングル「ハイティーン・ブギ」
「Momoko」の制作に関わり。

7月21日、初のベスト・アルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』リリース。

1983年

4月7日、NHK-FM『サウンド・ストリート』木曜日のレギュラー開始。
4月23日、ムーン・レコード移籍第一弾シングル「高気圧ガール」(全日空沖縄)リリース。
5月21日、村田和人のアルバム『ひとかけらの夏』プロデュース。
6月8日、『MELODIES』で、作詞も自ら手掛ける。
9月28日、シングル「スプリンクラー」
12月14日、「クリスマス・イブ」を12インチのディスクでリリース。

1984年

4月、小杉が所属事務所社長に就任し、社名を「ワイルド・ハニー」から、「スマイルカンパニー」に変更。
山下は自身の楽曲の著作権管理等を目的とした個人事務所「テンダベリーミュージック(Tenderberry Music)」を設立。
竹内まりやも「有限会社ミュージック・ハーヴェスト」を設立、後に夫婦共同の事務所として「テンダベリー & ハーヴェスト」に改称。

4月25日、竹内まりが81年の活動休止から2年半書き溜めていた曲をアルバム化を提案し、『VARIETY』が、チャート1位を記録。

5月25日、シングル「THE THEME FROM BIG WAVE」(日本ヘラルド配給映画「ビッグウェイブ」テーマソング)で、アルバム『BIG WAVE』リリース。

この年、娘が誕生。

1985年

3月25日、シングル「風の回廊(コリドー)」(ホンダ・クイント インテグラCFイメージソング)リリース。
11月18日、シングル「土曜日の恋人」(フジテレビ系『オレたちひょうきん族』エンディング・テーマ曲)リリース。

1986年

4月23日、初の打ち込みによる楽曲制作とデジタル・レコーディング導入によるオリジナル・アルバム『POCKET MUSIC』リリース。
10月25日、1980年リリースのアルバム『ON THE STREET CORNER』を全曲リミックス、『ON THE STREET CORNER 1 ('86 VERSION)』としてリリース。
前作から6年ぶりの一人ア・カペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER 2』リリース。

1987年

5月10日、シングル「踊ろよ、フィッシュ」(全日空沖縄キャンペーン・イメージソング)リリース。
8月12日、竹内まりやのアルバム『REQUEST』リリース。アルバム・チャート1位のほか、3年連続チャート・インを記録。

1988年

4月21日、山下プロデュース作3曲を収録した鈴木雅之のセカンド・アルバム『Radio Days』リリース。
4月25日、シングル「GET BACK IN LOVE」(TBS系ドラマ『海岸物語 昔みたいに…』主題歌)リリース。
5月21日、作曲・プロデュースを手掛けたア・カペラ・グループ「14カラット・ソウル」のシングル「THE GIRL IN WHITE」リリース。後にアルバム『僕の中の少年』にてセルフ・カバー。
7月21日、鈴木雅之『Radio Days』からのリカット・シングル「Guilty」リリース。
10月19日、アルバム『僕の中の少年』リリース。
12月、JR東海のクリスマス・キャンペーンCMソングに「クリスマス・イブ」が使われヒット。以後、日本のクリスマス・ソングのスタンダード・ナンバーの一曲となる。

1989年

3月10日、『僕の中の少年』からのリカット・シングル「新・東京ラプソディー」リリース。
9月25日、シングル「おやすみロージー -Angel Babyへのオマージュ-」リリース。
11月1日、80年代のホールツアーを集大成したライブ『JOY –TATSURO YAMASHITA LIVE–』リリース。
12月、「クリスマス・イブ」が、JR東海のクリスマスCMに再度使用される。
12月25日、「クリスマス・イブ」が、オリコン・シングルチャートでランクインから30週かけて1位を獲得。以後4週連続で1位を記録。

1990年代

1990年

4月1日、JFN系『プレミア3』毎月第1・3週目レギュラー開始(1992年1月26日まで)。
4月25日、シングル「Endless Game」(TBS系金曜ドラマ『誘惑』主題歌)リリース。
10月1日、TBS系テレビ『ビッグモーニング』のテーマ曲として「モーニング・シャイン」を「さよなら夏の日」のカップリング曲としてリリース。

1991年

6月18日、アルバム『ARTISAN』リリース。
8月25日、『ARTISAN』からのリカット・シングル「ターナーの汽罐車 -Turner's Steamroller-」(NISSAN NEW SKYLINECMソング)リリース。
12月31日、『ARTISAN』が第33回日本レコード大賞のアルバム大賞(ポップス・ロック部門)を受賞。

1992年

2月25日、シングル「アトムの子」(キリンゴールデンビターCM)リリース。カップリングには「BLOW」(TBS系TV『アメリカズ カップ'92』テーマソング)を収録。
10月3日、JFN系『サタデー・ソングブック』(毎週土曜15:00-15:54)開始(1994年3月26日まで)。
10月22日、竹内まりやのアルバム『Quiet Life』リリース。オリコン・アルバムチャートで1位を記録。

1993年

6月8日、シングル「MAGIC TOUCH」(maxell CD-XL )リリース。
6月14日、TBS系テレビ『ビッグモーニング』のテーマ曲として「鳴かないでHERON」オンエア開始。
10月25日、シングル「ジャングル・スウィング」(日産SKYLINE)リリース。
11月18日、一人ア・カペラとフル・オーケストラで構成されたクリスマス・シーズン向けの企画アルバム『SEASON'S GREETINGS』リリース。
12月、「クリスマス・イブ」が、TBCクリスマス編CMに使用される。

1994年

1月25日、シングル「パレード」(フジテレビ系『ポンキッキーズ』)リリース。
4月10日、シュガー・ベイブ『SONGS』をオリジナル・マスターで初CD化。オリコン・アルバムチャートで3位を記録。

湾岸地区の再開発により、スマイルガレージが閉鎖。
11月14日、NHKドラマ新銀河『赤ちゃんが来た』主題歌として「LAI-LA -邂逅-」オンエア開始。
12月、「クリスマス・イブ」が、TBCクリスマス編CMに再度使用される。

1995年

1月、「SOUTHBOUND #9」が、日産スカイラインのCMに。
11月1日、シングル「世界の果てまで」(読売テレビ『ベストフレンド』主題歌)リリース。
11月13日、ムーン・レーベル移籍後初のベスト・アルバム『TREASURES』リリース。ミリオン・セラーとなる。

1996年
港区六本木に新たな自社系列のスタジオ「プラネット・キングダム」がオープン。

2月10日、メリサ・マンチェスターとのデュエット・シングル「愛の灯〜STAND IN THE LIGHT」(フジテレビ系キャンペーン・ソング)リリース。
5月1日、シングル「DREAMING GIRL」(NHK連続テレビ小説『ひまわり』)リリース。
6月、「DONUTS SONG」が、ミスタードーナツのCMに使用される。
8月、「さよなら夏の日」が、NTT「Greeting Call」のCMに使用される。
10月、「蒼氓」がJACCSカードのCMに使用される。

1997年

6月4日、1982年『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』をデジタルリマスター盤にて再リリース。
1990年のCD化で、BMGビクターとの訴訟問題にまで発展したが1995年に和解が成立。
これを機に、山下監修によるRCA ⁄ AIR時代のリマスター作業が始まる。

7月21日、「硝子の少年」初登場1位、シングルチャート100位以内に31週間ランクインされるロングヒットとなる。
12月、「ひととき」がJACCSカードのCMに採用される。

1998年

1月28日、シングル「ヘロン」(キリン ラガービール)リリース。
2月26日、福岡サンパレス『伝説ライブ』の初日“MIRACLE NIGHT”に出演。
4月29日、シングル「いつか晴れた日に」(TBS系ドラマ『先生知らないの?』)リリース。
8月26日、前作から7年ぶりアルバム『COZY』リリース。ミリオンセラーとなる。

9月1日、コンサート・ツアー『FLYING TOUR '79 PART-2』スタート。全6公演。1月14日、コンサート・ツアー『CONCERT '80』5公演と『RIDE ON TIME CONCERT '80』15公演。9月17日、コンサート・ツアー『RIDE ON TIME CONCERT '80-'81』スタート。全38公演。コンサート・ツアー『PERFORMANCE '81』全27公演。コンサート・ツアー『Sparkling '82-'83』全18公演。コンサート・ツアー『PERFORMANCE '83-'84』全38公演。コンサート・ツアー『PERFORMANCE '84-'85』全30公演。コンサート・ツアー『PERFORMANCE '86』全36公演。『PERFORMANCE '81-'82』全17公演。12月9日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE '88-'89』スタート。全39公演。12月7日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE '91-'92』スタート。全38公演。
10月8日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE '98-'99』スタート。全48公演。

12月28日、KinKi Kids、5作目のシングル「Happy Happy Greeting」プロデュース。

1999年

7月14日、「アトムの子」がフジテレビ系『サタ☆スマ』テーマソングに。

11月10日、シングル「LOVE CAN GO THE DISTANCE」(NTTコミュニケーションズ )リリース。

11月25日、前作から13年ぶりとなる、一人ア・カペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER 3』リリース。

11月27日、銀座山野楽器イベントスペース“JamSpot”にてライヴを行う。
12月、「クリスマス・イブ」が、ケンタッキーCMに使用される。

2000年代前半

2000年

1月26日、1980年リリースの『ON THE STREET CORNER 1』と、1986年リリースの『ON THE STREET CORNER 2』に、ボーナス・トラックをそれぞれ2曲追加、デジタルリマスター盤にて再リリース。
7月12日、シングル「JUVENILEのテーマ〜瞳の中のRAINBOW〜」(映画『ジュブナイル』主題歌)リリース。
7月11、12、31日、日本武道館と大阪城ホールで開催された『TOKYO FM & FM OSAKA開局30周年記念イベント』に出演した竹内まりやのバンド・マスターとして参加、アンコールでは夫婦でのデュエットも披露した。
11月22日、竹内まりや18年ぶりのライヴ収録アルバム『SOUVENIR』リリース。
同日、「クリスマス・イブ」JR東海「クリスマス・エクスプレス2000」のキャンペーンCMソングとして使用される。

2001年

4月、「SO MUCH IN LOVE」がアサヒ スーパーモルトのCMに使用される。
6月27日、シングル「君の声に恋してる」(NTTコミュニケーションズ)リリース。
11月21日、渋谷ON AIR EAST『難波弘之プロ・デビュー25周年記念ライブ "Thanks to Singers"』にゲスト出演。

2002年

1月23日、「LOVELAND, ISLAND」がフジテレビ系『ロング・ラブレター〜漂流教室〜』の主題歌に採用
カップリングには同じく『FOR YOU』から「YOUR EYES」を収録。
10月30日、未収録のシングルをまとめた『RARITIES』リリース。

2003年

2月19日、「RIDE ON TIME」が、TBS系日曜劇場『GOOD LUCK!!』主題歌に使用
カップリングには「あまく危険な香り」を収録。
6月11日、シングル「2000トンの雨 ⁄ フェニックス」リリース。
松竹映画『恋愛寫眞 Collage of Our life』主題歌
カップリングの「フェニックス」は、NHK総合テレビ「地球だい好き 環境新時代」のテーマソング。

2004年

8月4日、シングル「忘れないで」(NHKアニメ劇場『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』)リリース。
カップリングには同番組のラッキー・ガールに花束を」を収録。

2005年
1月19日、シングル「FOREVER MINE」(東宝映画『東京タワー』)リリース。
カップリングには「MIDAS TOUCH」(フジテレビ系『金曜エンタテイメント』オープニング)を収録。
4月27日、シングル「太陽のえくぼ」(フジテレビ系『めざましテレビ』)リリース。
9月14日、レコーディングにPro Toolsを導入した7年ぶりのオリジナル・アルバム『SONORITE』リリース。
10月11日、竹内まりや作詞、山下作曲によるタイトル曲収録の森光子「月夜のタンゴ」(舞台『ツキコの月 そして、タンゴ』主題歌)リリース。
10月26日、アルバム『SONORITE』から「白いアンブレラ ⁄ ラッキー・ガールに花束を」(HONDA LIFE CMソング)リリース。
12月7日、『SONGS -30th Anniversary Edition-』リリース。

2006年

3月21日、山下・伊藤銀次・大滝詠一によるオムニバス・アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』の30周年記念盤が大瀧自身のリマスタリングで『NIAGARA TRIANGLE Vol.1 -30th Anniversary Edition-』としてリリース。

2007年

4月6日、銀婚式を桑田佳祐・原由子夫妻と合同で行う[43]。

5月23日、山下との共同プロデュースによる竹内まりやのアルバム『Denim』リリース。

2008年

3月12日、シングル「ずっと一緒さ」(フジテレビ系ドラマ『薔薇のない花屋』主題歌)リリース。カップリングには「バラ色の人生〜ラヴィアンローズ」(TBS系『ブロードキャスター』テーマソング)と「ANGEL OF THE LIGHT」(Nikon 企業CMソング)を収録。

10月1日、山下のプロデュースによる竹内まりやのオールタイム・ベスト・アルバム『Expressions』リリース。

10月30日、渋谷CLUB QUATTROで行われた『センチメンタル・シティ・ロマンス35周年記念LIVE』で、シークレット・ゲストである竹内まりやのサポート・ギタリストとして出演。竹内が歌う「人生の扉」のバックを務めた。

12月5日、6年ぶり(通常のツアーとしては10年ぶり)のコンサート・ツアー『PERFORMANCE 2008-2009』スタート。

2009年

3月21日、1980年にリリースされたアルバム『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』がタイトルを『TATSURO FROM NIAGARA』と改め、ナイアガラ公認盤としてリリース。

8月19日、シングル「僕らの夏の夢」(劇場版アニメーション『サマーウォーズ』主題歌)リリース。カップリングには「ミューズ」(TBS系テレビ全国ネット『総力報道!THE NEWS』テーマ曲)を収録。

11月27日、文京シビックホールで行われた服部克久デビュー50周年記念アルバム『服部克久』『服部克久の世界 〜works』発売記念コンサート、『服部克久 THE CONCERT 〜50th Anniversary〜』にシークレット・ゲストとして出演。オーケストラをバックに「煙が目にしみる」、「FOREVER MINE」、「クリスマス・イブ」の3曲を披露

12月、「クリスマス・イブ」がオリコンシングルチャートに24年連続ランクインを達成[45]。

12月25日、銀座王子ホールで行われた、“ギンザめざましクラシックス Vol.50 〜銀座4丁目の奇跡 '09 50回目の夜に何かが起こる〜”にシークレット・ゲストとして出演。「煙が目にしみる」、「ベラ・ノッテ」、「ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス」、「クリスマス・イブ」の4曲を披露、

2010年代

2010年

4月14日、シングル「希望という名の光」(映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』主題歌)リリース。カップリングには「Happy Gathering Day」(ケンタッキー40周年記念テーマソング)を収録。

4月25日、シュガー・ベイブとしてアルバム『SONGS』リリースでの公式デビューから35周年を迎える。

6月2日、シングル「街物語(まちものがたり)」(TBS系ドラマ 日曜劇場『新参者』主題歌)リリース。

8月6日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2010』スタート。全39公演。

8月14日、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO』(石狩湾新港樽川埠頭横野外特設ステージ)に出演。野外ライブへの参加としては29年ぶり。

10月30、31日、日本武道館で行われた、ワーナーミュージック・ジャパン創立40周年イベント『WARNER MUSIC JAPAN 40th. Anniversary 〜100年 MUSIC FESTIVAL〜』に出演。1日目はシークレット・ゲストとして竹内まりやと登場し、夫婦でデュエットを披露。2日目には自身の曲(「SPARKLE」、「希望という名の光」)を武道館のステージで初めて歌う[46]。

12月3、4、21、22日、日本武道館と大阪城ホールで行われた、竹内まりやの10年ぶりのライブ「TOKYO FM・FM OSAKA開局40周年記念スペシャル『Souvenir again』竹内まりや LIVE 2010[47]」にバンド・マスターとして再び参加。

2011年

3月9日、シングル「愛してるって言えなくたって」(TBS系ドラマ 日曜劇場『冬のサクラ』主題歌)リリース。

8月10日、6年ぶりのオリジナル・アルバム『Ray Of Hope』リリース。8月22日付のオリコン・アルバムチャートで8年9か月ぶりに初登場1位を獲得。松任谷由実、徳永英明、桑田佳祐に次いで史上4人目となる、80、90、00、10年代と4年代連続での同ランキング首位を獲得[48]。

8月23、25、29、31日と9月4、6日の6日間の日程で、デビュー36周年にして初の試みとして、『Ray Of Hope』購入者のうち、シリアルナンバー当選者を対象にしたシアターイベントを全国6か所のシネコンで開催。同アルバム初回限定版に同梱されているボーナスディスク『JOY1.5』収録のライブ音源の映像ソースを編集した作品『JOY1.5 - THE MOVIE』が上映された[49][注釈 16]。

11月2日、アルバム『Ray Of Hope』2枚組アナログLP盤リリース。

11月6日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2011-2012』スタート。全64公演。

12月、「クリスマス・イブ」が、モバゲーのクリスマスCMに使用される。オリコンチャートトップ100入りを記録、連続記録を26年に更新。

12月11日、『サンデー・ソングブック』が放送1000回を迎える[50]。

2012年

4月6日、結婚30周年(真珠婚)を迎える。

6月22日、3月11日放送の『サンデー・ソングブック』“東日本大震災1周年 追悼と復興祈念のプログラム”が、『第38回 放送文化基金賞』(主催:公益財団法人 放送文化基金)にて、「ラジオ番組 優秀賞」(番組部門)と「出演者賞」(番組部門 個別分野)の2部門を受賞[51]。贈呈式には山下の代理としてスマイルカンパニー社長小杉理宇造が出席し、本人のメッセージを代読。この中で出演者賞の賞金(10万円)を震災復興支援のため全額、日本赤十字社へ寄付することが併せて発表された[52]。

8月25日、全国13か所のティ・ジョイ系シネコンで、ライブ映像による初のシアター・ライヴ『PERFORMANCE 1984-2012』(制作:ワーナーミュージック・ジャパン / スマイルカンパニー、配給:東映)を9月1日までの1週間限定で開催。ミニシアターランキング(興行通信社発表)で興行成績1位を獲得するなど予想を越える大ヒットとなり、9月2日まで開催が延長されたほか、9月15日からは渋谷TOEIで1週間の追加上映が行われた[53]。

9月2日、2年ぶりの野外フェス参加となる『SWEET LOVE SHOWER 2012』(山梨県・山中湖交流プラザきらら)に出演。ステージ中盤には竹内まりやがサプライズ・ゲストとして登場、2曲を披露した[54]。

9月26日、シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」から新作「愛を教えて」(テレビ朝日系木曜ドラマ『遺留捜査』主題歌)まで、レーベルを超えて選曲された初のオールタイム・ベスト『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』リリース。

10月6日、シアター・ライヴ『PERFORMANCE 1984-2012』の好評を受けて、TOHOシネマズ系、109シネマズ系を含む全国19か所のシネコンで再映(10月12日まで)。

10月7日、『サンデー・ソングブック』が放送20周年を迎える。

11月20日、『OPUS』通常盤にクリスマス・デザインの三方背ボックスで包装した、クリスマス期間限定パッケージが販売開始(12月25日まで)。

12月11日、2003年リマスター盤シングルをクリスマス特別ボックス包装した、シングル「クリスマス・イブ」のクリスマス期間限定パッケージが販売開始(12月25日まで)。

2013年

5月3、4日、大阪・フェスティバルホール主催の新装オープン記念ライヴ『山下達郎 LIVE at Festival Hall』開催。

8月27日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2013』スタート。全49公演。

8月28日、『MELODIES 30th Anniversary Edition』と『SEASON'S GREETINGS 20th Anniversary Edition』リリース。2013年リマスター、ボーナス・トラック収録。

10月9日、シングル「光と君へのレクイエム」(映画『陽だまりの彼女』[55] 主題歌)リリース[56]。カップリングには「コンポジション」(NHKドラマ10『第二楽章』[57] 主題歌)を収録。

11月20日、『MELODIES 30th Anniversary Edition』と『SEASON'S GREETINGS 20th Anniversary Edition』のアナログ盤、「クリスマス・イブ 30th Anniversary Edition」リリース[注釈 17]。

12月2日、同日付のオリコン週間シングルランキングで「クリスマス・イブ 30th Anniversary Edition」が初登場10位を獲得。同曲のトップ10入りは、2001年1月以来12年11か月ぶり。1980年代から2010年代までの4年代でのトップ10入りは史上初[58]。

12月31日、前日急死した大瀧詠一への追悼コメントを自身のオフィシャルサイトで発表[59]。

2014年

7月23日、『BIG WAVE 30th Anniversary Edition』リリース。2014年リマスター、ボーナス・トラック収録。

7月25日、コンサート・ツアー『Maniac Tour 〜PERFORMANCE 2014〜』スタート。全29公演。

8月16日、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO』(石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ)に4年ぶり2度目の出演[60]。

8月20日、『BIG WAVE 30th Anniversary Edition』アナログ盤リリース。

8月30日、『SWEET LOVE SHOWER 2014』(山梨県・山中湖交流プラザきらら)に出演[61][62]。

9月10日、山下との共同プロデュースによる竹内まりやのアルバム『TRAD』リリース。

10月10日、名古屋市のライブハウス、ボトムラインにて『山下達郎 LIVE at THE BOTTOM LINE』開催[63]。

11月19日、「クリスマス・イブ」が主題歌として使用される映画『MIRACLEデビクロくんの恋と魔法』劇中歌、竹内まりや「ザ・クリスマス・ソング」と、「ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス」のメドレーを追加収録したシングル「クリスマス・イブ」2014年限定バージョンを発売。同日、竹内まりやの『TRAD』アナログ盤と、『VARIETY -30th Anniversary Edition-』リリース。

11月22日、音楽監修を務めた映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』[64][注釈 18] 公開[65]。同日、竹内まりや33年ぶりの全国ツアー『SOUVENIR 2014』スタート(全6会場9公演)。バンド・マスターとして参加。

11月、「踊ろよ、フィッシュ」がSUBARU インプレッサSPORTのCMに使用される[66]。

12月10日、竹内まりや『VARIETY -30th Anniversary Edition-』のアナログ盤リリース。

2015年

3月12日、平成26年度(第65回)芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。2014年のコンサート・ツアー『Maniac Tour 〜PERFORMANCE 2014〜』にてこれまであまり演奏してこなかった楽曲を中心に披露し、個性的な歌唱力や音楽性をさらに高めていることなどが評価された[67][68]。

4月25日、音楽活動40周年を迎える。同日、テレビ朝日系ドラマ・木曜ミステリー『京都人情捜査ファイル』主題歌「マイ・ガーディアン・エンジェル(ドラマサイズ ver.)」の着うたフル配信スタート。

8月5日、シュガー・ベイブ『SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-』発売。オリジナル・トラックの2015年リマスター音源+ボーナス・トラックのディスク1と、オリジナル・トラックの2015年リミックス音源+ボーナス・トラックのディスク2による2枚組仕様。ディスク1相当の2枚組アナログ盤も同時リリース。

10月9日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2015-2016』スタート。全国35都市64公演。

10月10日、デビュー40周年を記念したオフィシャル・バンドスコア『山下達郎/40th Anniversary Score Book Vol.1/Vol.2』(ドレミ楽譜出版社)発売。

11月、「高気圧ガール」がSUBARU インプレッサSPORTのCMに使用される。

12月14日、「クリスマス・イブ 30th Anniversary Edition」に、金子辰也イラストによる三方背ボックスをかぶせた“2015 クリスマス・スペシャル・パッケージ”を期間限定で販売開始(12月25日まで)。

2016年

2月24日、竹内作詞、山下作・編曲による、嵐48作目のシングル「復活LOVE」リリース[69]。同日、シュガー・ベイブ『SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-』のDisc2「2015 Remix」収録のオリジナル『SONGS』楽曲を、「ハイレゾリューション・オーディオ音源」にて配信開始[70]。

3月24日、『PERFORMANCE 2015-2016』NHKホール公演にて「クリスマス・イブ」が、1986年から30年連続で日本の週間シングルランキング(TOP100)に入ったとして、同日付でギネス世界記録に認定されたことを発表[71]。

4月17日、神奈川県横浜市関内ホールにて、『PERFORMANCE 2015-2016』神奈川県民ホール公演分チケット販売事故対象者公演を実施[72]。

4月20日、『PERFORMANCE 2015-2016』岩手県民会館大ホール公演、12月25日分の振替公演を同会場にて実施[73]。同日、山下と竹内によるデュエット・ナンバー「Let It Be Me」(フジテレビ系木曜22時ドラマ『早子先生、結婚するって本当ですか?』劇中歌)の配信スタート[74]。

8月18日、シングル「CHEER UP! THE SUMMER」の先行配信スタート。

9月14日、シングル「CHEER UP! THE SUMMER」(フジテレビ系木曜22時ドラマ『営業部長 吉良奈津子』主題歌)リリース[75]。

9月10日、東京・EX THEATER ROPPONGIで開催された難波弘之デビュー40周年記念ライブ・イベント『難波弘之 鍵盤生活40周年記念ライブ 〜一生鍵命〜』にサプライズ・ゲストとして登場。洋楽カバー8曲を歌った[76]。

10月3、4日、東京・新宿LOFTのオープン40周年記念ライブイベント『SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY「40YEARSx40LIVES」』にてアコースティック・ライブを開催[77]。

12月8日、この日発売されたPlayStation 4用ゲームソフト「龍が如く6 命の詩。」に楽曲を提供[78]。

2017年

3月18日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2017』スタート。全国25都市49公演[79]。

6月、小杉理宇造がスマイルカンパニー代表取締役社長を退任。後任にはワーナーミュージック・ジャパン元・宣伝部長を務めた黒岩利之が就任。

8月2日、『COME ALONG 3』リリース。33年ぶりの続編となる「COME ALONG」シリーズの第3弾[80]。『COME ALONG』『COME ALONG 2』も2017年最新リマスタリング音源で同時発売[81]。

9月13日、シングル「REBORN」(映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』主題歌)リリース[82]。

9月17日、『氣志團万博2017 〜房総与太郎爆音マシマシ、ロックンロールチョモランマ〜』(千葉・袖ケ浦海浜公園)に出演[83]。

11月28日、『山下達郎のサンデー・ソングブック』放送開始25周年を記念したスペシャルライブ「山下達郎のサンデー・ソングブック25th Anniversaryアコースティック・ライブ&トークショー」開催(東京・半蔵門 TOKYO FM ホール)[84]。

2018年

6月23日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2018』スタート。全国24都市49公演。

7月11日、シングル「ミライのテーマ/うたのきしゃ」(アニメーション映画『未来のミライ』主題歌&オープニングテーマ)リリース。

2019年

11月27日、シングル「RECIPE (レシピ)」(TBS系ドラマ 日曜劇場『グランメゾン★東京』主題歌)リリース。

12月、オリコン週間シングルランキングで「クリスマス・イブ」が17位にランクインし、34年連続ランクインを達成[85]。

2020年

11月25日、アルバム『POCKET MUSIC』『僕の中の少年』のリマスター盤を同時発売。

2021年

8月18日、アルバム『ARTISAN』発売から30周年を迎えた2021年、リマスター盤を『ARTISAN -30th Anniversary Edition-』として発売。

12月15日、「クリスマス・イブ」の2021年バージョンが、期間限定商品として発売される[86]。

2022年

1月19日、山下の書下ろし3曲を含む木村拓哉のセカンド・アルバム『Next Destination』リリース[87]。

6月11日、ホール・ツアーとしては3年ぶりとなるコンサート・ツアー『PERFORMANCE 2022』スタート。全国24都市47公演(予定)[88]。

6月22日、2011年8月にリリースされた『Ray Of Hope』以来実に11年ぶりとなるオリジナル・アルバム『SOFTLY』リリース(予定)。
2021年12月にレギュラーラジオ番組『サンデー・ソングブック』の1500回記念として行われたアコースティックライブから7曲の音源を収めた“プレミアムCD”付きの初回盤、および通常盤の2仕様でリリースされるほか、2枚組アナログ盤、カセット・テープも同時リリース[89]。



作品については山下達郎の作品一覧をご覧ください。

【スタジオ・アルバム】
CIRCUS TOWN(1976年)
SPACY(1977年)
GO AHEAD!(1978年)
MOONGLOW(1979年)
RIDE ON TIME(1980年)
ON THE STREET CORNER(1980年)
FOR YOU(1982年)
MELODIES(1983年)
BIG WAVE(1984年) ※サウンドトラック
POCKET MUSIC(1986年)
ON THE STREET CORNER 2(1986年)
僕の中の少年(1988年)
ARTISAN(1991年)
SEASON'S GREETINGS(1993年)
COZY(1998年)
ON THE STREET CORNER 3(1999年)
SONORITE(2005年)
Ray Of Hope(2011年)
SOFTLY(2022年)

【ミュージックビデオ】
世界の果てまで
DREAMING GIRL
ヘロン
いつか晴れた日に
JUVENILEのテーマ〜瞳の中のRAINBOW
君の声に恋してる
LOVELAND, ISLAND
RIDE ON TIME
FOREVER MINE
太陽のえくぼ
LOVE GOES ON <その瞳は女神 (Goddess)>
僕らの夏の夢
希望という名の光
街物語(まちものがたり)
光と君へのレクイエム
シンクロニシティ(素敵な偶然)⁄ 竹内まりや
CHEER UP! THE SUMMER
REBORN [92][93]
RECIPE (レシピ)[95]
蒼茫〜踊ろよ、フィッシュ

【エピソード】
子どもの頃から漫画も大好きで、手塚治虫ファンであることを公言しており、『鉄腕アトム』はコマ割りからセリフまで覚えているという。

洋画作品で若いころ好んで観ていたのは、ジョン・フォードの『コレヒドール戦記』や、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』[25]。

芸事好きであった叔父の影響もあり、子どもの頃からの落語好き。特に古今亭志ん生が当時からのお気に入りで、演目のさわりを物まねできるほどに聴きこんでいる[注釈 21]。

プライベートでは、1990年頃からBMW320iに乗っている。2011年のインタビューではETCも取り付け、今後も乗り続けたいと語っている[101]。

シュガーベイブのプロデューサーで、亡くなる2013年まで交友のあった大瀧詠一との出会いは、伊藤銀次が山下の自主製作アルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を当時の大瀧の自宅に持って行き、聞かせたことがきっかけである。

妻のまりや共々、サザンオールスターズの桑田佳祐・原由子夫妻とは家族ぐるみでの親交がある[102]。

サブスクリプションによる音楽配信には消極的で、現在も解禁していない。2022年6月のインタビュー記事では「表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない。本来、音楽はそういうことを考えないで作らなきゃいけないのに」とその理由を語り、「恐らく死ぬまでやらない」と発言している[105]。例外として「クリスマス・イブ」のみ解禁しており、30周年バージョンがAmazon Musicにて聞くことが出来る[106]。

【ちょっと余談】

新宿高校の1学年上には坂本龍一が在籍していた。のちに山下は「坂本くんとは本当に高校で隣に座っているような感じだった」と語っている。

制服自由化が始まり、早速ジーンズで登校したところ、教師から「山下、なぜ労働者の服装で学校に来るのか?」と詰問されたという。こうした出来事が、次第に学校から遠ざかせることとなった。

まだ竹内と同棲していた頃、過労から風邪をこじらせ寝込んでいた竹内に粥を作り、「面白いものでも見せてやるか」と枕元で『湯屋番』を一席披露した、というエピソードがある[99]。

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