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VTuberが連合赤軍も寄稿する老舗言論誌に思想を発表する意味 - 言葉が描くメタバースと存在というアクティビズム - 「蘭茶みすみ」と「情況」

 「肉体廃止派VTuber」蘭茶みすみは、「変革のための総合誌『情況』」2022年冬号に約1万2000文字の記事「肉体廃止のメタバース - 仮想空間から放たれる自由」を寄稿した。本号は奇しくも、あさま山荘事件50年ということもあり、表紙には「連合赤軍 半世紀後の総括」と「肉体廃止のメタバース/蘭茶みすみ」の文字が並んだ。1月21日に発売され、Amazonベストセラー「思想・宗教の雑誌」で1位を達成した。

 「情況」は学生運動真っ只中の1968年に創刊された言論誌だ。ここ1年の内容でも、東京都知事選に立候補したファシスト革命家外山恒一氏や、イスラム学者中田考氏、少年革命家YouTuberゆたぼん氏、元陸上自衛隊特殊作戦群初代群長荒谷卓氏など、思想信条よらない幅広い寄稿やインタビューで現代社会の「変革」を深いレイヤーで伝えている。

 人類を実質的に空間と存在から解放する概念「VR」や「メタバース」の普及も、これからの社会に大きな「変革」をもたらす可能性がある現象だ。「空間の自由」は経済的に大きな価値を持つため、時流に任せておいてもメタバースは発展していくだろう。しかし「存在の自由」は、今までの肉体と存在が分離されていなかった価値観を持つ多くの人間からは、人間の在り方に対する根本的で哲学的な議論を呼ぶことは間違いない。

 実質的な存在による経済については、ある程度のシステムを確立しようとしている人たちがいる。しかし、社会を動かすシステムのレイヤーは経済だけではない。経済と言っても概念のやり取りであり、法律や契約のような文章に統率される。法律は言論によって生まれる。言論は思想から生まれる。思想は人間の在り方から生まれる。統率の取れない経済は容易に人間の在り方を蹂躙する。私は経済的な能力は乏しいが、文で自分の考えを伝えることは得意だ。私には私の存在の確立の仕方があるし、人類全体が持てる選択肢は多様な方がいい。Vというインターフェースでどこまでも遊んでいきたい。

 思想は、戦いの道具ではなく未来の世界に対する設計図だと考えている。人間には文字がある。コミュニケーションができる。一見対立する思想でも、細分化していけば一致する瞬間がある。それをどこまでも大きく育てていきたい。特に2000年代に入ってからは思想を描ける人間が少なくなったような気がする。少なくとも私にとっては、意識を持つ人間がいちばん大切である。自分ができる状態である以上、自分がやらなければ誰がやるのか。しかし、そのやり方は、無理なく、自然で、いちばん楽しい方法がいい。私は実質的な存在で思想や言論活動を続けていき、存在を確立する。

 メタバースのアバターとハンドルネームで構成された実質的な「存在の自由」は、現実世界でも課題となっている性的少数者の自己決定権や、夫婦の姓名に関わる決定権に関わるひとつのアンサーになるかもしれない。また、それぞれ社会的にも空間的にも離れた位置にいる人間同士が、年齢や性に囚われず築く新しい人間関係は、血族や家に囚われた家族の概念を再構築する可能性がある。肉体や社会の雰囲気、経済状況のような、個人の意思ではどうしようもできない概念で人間を規定する肉体社会を、メタバースの普及とともに、そこから生まれる個人の自由と存在、豊かな生存を中心とした新秩序に組み替えていく。

 強固な社会システムが確立され、文面上人権が保障され、メタバースや実質的な存在の自由がある程度可能な時代において、自らの自由を獲得し、豊かな生を確立するためには、ゲバルト棒や火炎瓶の効果はそこまで大きくはない。自分で思想をシステムとして自分に適応し、それに従って生きることが周囲に伝播し、その行動様式が言論になり、自らの生存圏を確立していく。必要なのは自らの生を記録し、考察し、伝え、貫くことだ。存在することだ。私は存在というアクティビズムを続けていく。


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