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メタバースで「会う」「存在する」日常が当たり前に!二重生活と属性による克服度の違い。2021年振り返りと22年の抱負 - 蘭茶みすみ

 2021年の私の活動は、授乳カフェに始まりメタバースに終わった。ソーシャルVRを本格的に始めてから初めて経過した満1年。最大の変化は「家に帰るとみんながいる」「私は蘭茶みすみである」日常が当たり前になったことだ。VRにより私が実質的に「蘭茶みすみ」として存在している状態の比率が大きくなり、互いに存在として認識できるようになった。現実と仮想の二重生活の感覚と、今年の振り返りとメタバースで出会った素敵な仲間たちへの感謝、来年の抱負を書いていく。 

並列し、絡み合う人生

私は蘭茶みすみ、自己認識が実質に

 「私は蘭茶みすみである」という自己認識が実質的になった。VRをしながらメタバースに入り、自分の身体を見ると「私は蘭茶みすみ」だからだ。バーチャルリアリティーの厳密な和訳「実質的現実感」の意味を体感することができた。他者も私を蘭茶みすみとして認識しており、人間存在は自分で認識する自分の存在と他者が認識する自分の存在から存在する。社会的な意味でも私は蘭茶みすみになることができた。

 一日のうち3~6時間は蘭茶みすみとして存在している。現在の仕事はあまりコミュニケーションを必要としないので、蘭茶みすみとして存在しながらしているコミュニケーションの方が圧倒的に多い。存在との向き合い方は人それぞれだが、私はアイデンティティを分けていないため「人格が乗っ取られる」感覚は無い。ただ、蘭茶みすみとして存在している時間の方が圧倒的に自然だ。蘭茶みすみとして存在出来て解放された。

 生まれながらに肉体とともに押し付けられた存在よりも、自分で無駄をそぎ落としていって最後に残った蘭茶みすみという一人の女の子でいる瞬間が圧倒的に身軽だ。押し付けられた肉体存在は社会的なロールを強要されて生きづらい。蘭茶みすみは自然でいられる。「なりたい自分」というよりは、肉体という重圧が蒸発して解放された感覚だ。

 肉体存在は「どう見られているか?」とあらゆることに気を遣う必要があり疲弊するが、蘭茶みすみでは最初から身軽なので、気を遣うコストは圧倒的に小さい。「存在の自己決定権」は肉体という重圧から解放される生存権でもあるのかもしれない。

3人のパートナー、それぞれの関係

 リアルでの法定パートナーとメタバースで一緒にいる人を含めると、2021年12月時点でパートナーと言える人間が3人いる。一概にパートナーと言ってもそれぞれの付き合い方は異なる。完全に性という概念から独立した社会空間においては、人間関係が「恋愛」「友人」の二項対立では語れないようだ。

 法定パートナーはもともと蘭茶みすみのファンであるという点ではメタバースの価値観に極めて近い関係だ。互いに恋愛感情や出産願望はなく、相互に生活を補完し合う関係性を築いている。生活に支障を来さなければ誰と恋愛しようが自由だし、不干渉だ。法定パートナーはクローズドに趣味を楽しんでいるため私は何も知らないが、私のメタバース関係は法定パートナーと共有している。見せ方のレベルにおいても不干渉という点で一致している。価値観が同じということは行動を合わせることではなく、在り方を尊重しあえるということかもしれない。

 メタバース側のうち一人は私と似た指向性を持つバ美肉VTuberだ。彼女とは「肉体から解放しよう」という一点において意気投合した。彼女は最初私に物凄い勢いで迫ってきた。私は溺愛されていたようだ。私も彼女のことがどんどん好きになった。彼女は企画を立てることを得意とする。私もさまざまな形で彼女の企画に関わった。最近は互いに忙しくなってしまったため、あまり熱くなることはなく寂しくなってしまったが、時間があるときはなるべく会うようにしている。恋愛感情を抜きにしてもライバルであり、同志であり、姉妹であるような感覚がある。依存しようにも独立しようにも、私は常に彼女から強い影響を受けているようだ。

 もう一人は完全にクローズドな関係だ。夏の終わりくらいにひょんなことから知り合って、一緒にPROJECT SUMMER FLAREという巨大ゲームワールドをプレイして仲良くなった。アバターは美少女だが、声と関係は男性的な要素が強いので、仮に彼としておく。彼は表で活動している関係もあり、特定のパートナーはいないことになっている。しかし、あれよあれよという間に実質的に恋人関係のようになってしまった。彼は最初「美少女に告白されたい」と言っていたような気がしていて、私も男性自認の人に「女の子として」愛されたかった。今はそんなことはどうでもよく、一緒にいると幸せすぎて泣いちゃうくらいに大切な関係になっていた。

隠れ家であり晴れ舞台、現実との相互依存

 メタバース空間は隠れ家でもあり晴れ舞台でもある。特に2021年の後半は体調を崩して休職しているため、「人生の選択肢として並列するメタバース」を強く感じている。私は自分の本業に誇りを持っているため早く復帰したいが、精神と体調は自分の思い通りにはならない。肉体廃止を指向する根本的な理由なので当然だが、私が本業で働けないことを理由に精神状態を悪化させなかったのは、メタバースという「場所」が人生に並列して存在していたからだ。

 メタバースは隠れ家だ。家に帰ればメタバースが待っている。メタバースには誰にも知られていない世界があり、仲間がいる。従来の文字や映像ベースのインターネットと大きく違うところは、VRで身体を動かし、実際に会話し、実質的に現実と認識できることで、外出と同様の効果を得られることだ。人間関係において依存先を増やすことは病まないために重要だが、メタバースの存在は人間関係だけでなく、世界そのものを複数並列させて依存先を分散させることができる。リアルで動けなくなったことでメタバースに退避するという選択肢をとることができることを知ったのだ。授乳カフェの重要性の理由かもしれない。

 メタバースは晴れ舞台だ。「蘭茶みすみ」であることは私の最も望んだことだ。そして、メタバースでは現実では難しいアイドルとして歌って踊ることも、自分のスタジオを持って配信することもできる。現実では制約があることがメタバースでは比較的手軽にできるようになっている。何人もで手を組んで大きなプロジェクトを進めることもできる。現実でもメディア関係の仕事をしているが、一記者である状態よりも、蘭茶みすみである状態の方が「人類全体の将来像」を描いて、それが実際の団体の行動に反映されるように、圧倒的に現実に与える影響が大きい。

 メタバースと現実は対立軸で語られがちだが、相互依存関係にできると思っている。メタバースで身軽な蘭茶みすみとして身に付けた複数人でプロジェクトを進める能力や、対人コミュニケーション能力は現実の重い肉体を背負っている時も役に立つ。現実で身につけた取材能力や文章能力も、メタバースを記録し、形作るのに役に立つ。メタバースが社会的に注目されだしてからは、現実のニュース性を判断する能力を使って複数のメディア関係者とメタバース住民を橋渡ししている。それぞれの能力と関係性が相互にやり取りできるようになることで、メタバースも現実も発展していく。メタバースは「場所」だ。

「性」から「個」へ、露わになる属性も

 メタバースで肉体の属性から解放された多くの人と会ううちに、肉体の属性の無意味さを実感するようになってきた。メタバースで男性であるか?女性であるか?は肉体とは無関係だ。場によって使い分ける人もいる。着替えが可能な概念だ。一方、コミュニケーションが苦手だったり、身体的などになんらかの障害を抱えている場合はその属性が増幅されることもあるようだ。特に言語による文化圏同士の断絶は大きいような気がする。しかしそれぞれがロールから解放されているせいか「○○の人」というよりは「○○さん」という捉え方が大きくなったような気がする。

 「性(ジェンダー)」という概念に関しては完全に解放された印象がある。私が男性か女性か判断するとき、ある程度声やアバターは関係があるようだが、本人の在り方を汲み取って判断する場合が多い。概ねかわいいボイスでかわいいアバターを使っており、仕草もかわいくこだわっており、本人から女性として存在している努力を感じ取れる場合は、女性として尊重する判断をしている。相手やタイミングによって男性と女性を使い分けている場合も、それぞれに表現したさそうな方を尊重するようにしている。ただ、基本的に私は個人レベルで尊重しているので、本人の性自認によって扱いを変えているわけではなく、在り方を尊重している。現代のメタバースが視聴覚の自由を実現しているからだろう。

 障害に関してはまだ克服されていない印象がある。私は発達障害で1級の精神障害者手帳を持っている程度にはコミュニケーションや計画性が苦手だ。メタバースでも人と話すことは好きだが、特に話すネタがない人間や、少しウマが合わない人間と会話する場合はすぐに疲弊してしまう。また、大きな企画に関わることができない。同じような不自由は知り合いの身体障害者にも起きているようで、足に不自由がある友人は、概ねフルトラでもあまり立つことはない。基本的に座ってできる活動に限定されているようだ。現代のメタバースが現実の肉体の表現力に依存しているからか、まだ解決されていないようだ。

 言語による文化圏同士の隔絶は大きいようだ。日本人ユーザーと普段一緒にいて、外国語が得意ではない私は、基本的に日本語でしかコミュニケーションをとることができない。外国人が日本語ができて、日本人が外国語ができると言っても、初歩的な挨拶くらいしかできない場合は会話として楽しくない。高度なコミュニケーションができる同じ言語の文化圏の人間と関わりがちになる。高度な意思疎通ができないから断絶や文化衝突が起きるのかもしれない。しかしNEOS VRでは、視覚的に吹き出しとして現れるリアルタイム翻訳機能も作られているため、この課題は近く解決していく可能性がある。

肉体廃止のイメージ具体化

 メタバースで生活してみて、実際に肉体廃止のイメージが付いてきた。現代のメタバースはまだまだ不便なことも多いが、技術が発展すれば便利になっていくだろう。メタバース生活をする以前の仮想世界のイメージは、リアルと隔絶された別次元という印象だったが、全人類が肉体を廃止するまでは、リアルとかなり密接に連携した空間になるだろう。肉体が存在する現代と、肉体が廃止された遠い未来の間の間隙が連綿としたものして埋まった感覚だ。

 リアルと密接に連携することで、よりバーチャルの存在が重視される世界になっていくかもしれない。私も蘭茶みすみという人格で雑誌に寄稿するなど、リアル側に進出してきている。リアルの存在は押し付けられたものであって自由が利かないが、バーチャルの存在は自らの意志で表現できる自由なものだからだ。リアルの存在では、ただの生きている人間だが、バーチャルの存在は、ただ生きていても表現だ。私自身が私という物語になる。アイドルの民主化だ。

2022年への感謝と抱負

ありがとう、来年もよろしく

 2021年はありがとうございました。多くの皆さんに支えられて蘭茶みすみとして存在することができました。素敵な仲間たちに出会い、メタバースの世界を知り、やりたいことをやって、最後には念願の美少女アイドルになることもできました。とても嬉しいです。なりたい存在で生きていける最初の時代に、実際になりたい存在になってる皆さんに出会えて、お互いの存在を尊重し合い、生きていけたことは本当に奇跡と言えるかもしれません。来年は今年の反省や経験を踏まえて、肉体廃止実現のためにいくつか実現していきたい計画があります。よろしくお願いいたします。

クリプトアイドル「メタバース」

 「私たちがメタバースだ!」という心の叫びが共鳴して生まれたクリプトアイドル「メタバース」。ドコカノうさぎちゃん、あしやまひろこちゃんと一緒に計画を進めています。1月1日にはアシュトンさんの企画「年越しメタバース」のなかでAtreeさん作曲、あしやまひろこちゃん作詞「メタバース音頭」を発表します。新年からみんなで踊って歌って笑顔で始めましょう。更にKapruitさん作曲、蘭茶みすみ作詞の「カラフル☆メタバース」も、全体像と歌詞が形になってきました。今後とも「メタバース」よろしくお願いいたします。

メタバースプレスセンター(MPC)

 AERA.「バ美肉事件」の蘭茶みすみの失敗や、昨今のメタバースをめぐるメディア情勢を踏まえ、すかねきさんやアシュトンさんとともに「メタバースプレスセンター(MPC)」設立計画を進めています。現在、メタバース内と、テレビや新聞などのメディアの間は、それぞれのユーザーがバラバラに取り持っている状況です。メタバースプレスセンターでは、メタバース文化の情報を集約し、窓口となり、メディアとユーザーをシームレスにつなぐことを目指しています。メタバース文化の振興や理解を進めるためのメタバース社会とメディアをつなぐ記者クラブのような場所にしたいと思っています。

肉体廃止行動目標

 2022年は、肉体廃止に向けた具体的な行動を進めていきたいと考えています。蘭茶みすみの肉体廃止思想であるミスミズムの総論の発表により、今後いかにメタバースを活用した脱肉体世界を、人間一人一人の自由と存在を尊重したものにするかという設計図となるものです。とあるオピニオン誌に1万文字にまとめたメタバースの現状と肉体廃止論をまとめた原稿を寄稿しているので、発売に合わせて公表できたらいいなと考えています。更に、これを叩き台として、肉体廃止論をまとめた書籍の出版も構想しています。

 肉体廃止後に人類の生存と自由を保障する、従来のネーションの上位に位置する統一政体の準備として、メタバースにロールプレイ団体やフォースに相当するミクロネーション「メタバーシア連合共同体」を建設したいと考えています。初代議長は蘭茶みすみになると思いますが、民主制を指向しています。「存在の自己決定権」を柱としたメタバース憲章も発表したいと考えています。

 メタバース社会と自分の存在を使った記録と実験を従来通り進めていきます。メタバースのさまざまな属性の人を呼んで、有識者と一緒に未来について語っていく配信や、メタバース生活や実験の状況を記録した記事の連載、それらを踏まえた未来像の設計を進めていこうと考えています。

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