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「オタクはもはや帝国側」であることはオタク自身が認めている
「オタク差別が無くなったのはポリコレのおかげ!」という言説があります。
オタク差別が低減したのは人々の道徳意識が高まって「オタク差別はいけない」と思うようになったからではなく、日本の製造業が没落して政界財界が「これからはコンテンツ産業だよね」とすり寄ってきたからだと思ってるんだけど、だんだん自分の歴史認識に自信がなくなってきた
— スドー🍞 (@stdaux) November 13, 2016
で、当然上記のようにボコボコに反論されています。そりゃそうでしょう。別にみんなが正義の心に目覚めて「弱者を守らなければ」と思うようになったからではなく、オタクが経済を回してるんだという言葉に代表されるようにオタクであることが普通になり著名人がラブライバーであることを公言するなど誰もがアニメやゲームやVtuberを楽しむのが当たり前になったからオタク差別が無くなったんです。今やオタク代表として立候補した人が53万票を集めて国会議員になり、鳥山明の訃報には中国外務省含む各国から哀悼の意が表され、国を挙げてクールジャパンを推進し文化庁は「著作権を守ろう」というポスターに美少女イラストを採用する状況です。
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にも関わらず「ポリコレのおかげ」と手柄を横取りしようとするリベラルには本当に困ったものです。
ところで、オタクは虐げられてるという設定はどこに行ったんでしょう?
そして、そこに問題がある。僕らは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今や僕らは帝国だ。
かつてオタク差別が存在したのは確かでしょう。雰囲気までは知りませんが宮崎勤事件の頃は「オタクは犯罪者予備軍」という偏見まであったそうですし。しかし今はもう国語辞書まで変わりました。
すっっっげーーーー!!!
— けいろー🖋バーチャルライター (@K16writer) August 7, 2023
「オタク」という言葉に対するイメージが完全に塗り替えられていることがわかるエピソードだし、生徒さんたちの反応から、「辞書に載っている意味も、その変化を汲み取ったものに変わっている」ことがわかって二重にすっげー!https://t.co/RvdvXdGxzE pic.twitter.com/rIM1GnY6Qb
そしてオタクが「帝国側」になった以上、「強者」になるためにオタクになる、あるいは惰性で「オタク」を続けてる人間もいるでしょう。今の時代「オタクの振り」をすることは簡単です。「えー、わたし超オタクだよ!? ワンピース全巻持ってるし!!」と言うためには単行本を百冊以上買いそろえなければいけませんが、「オタクの振り」をするだけならTwitterのトレンド欄に上がってるアニメをクリックしてそこに出てくる感想と似たようなことを書けばいいだけです。びた一文かかりません。今の時代ならChatGPTに「SNSでバズるような<アニメのタイトル>の感想書いて」とプロンプトを打つのもいいでしょう。
ネットを漁れば自ら進んでオタクになりたがる若い世代の「ヌルさ」への年長世代の嘆きであふれている
これは2008年、つまり15年以上前に書かれた文章です。要するにこういうこと。
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あー、いいですよね「オタク」、強いとか賢いとか何々が得意とかは、努力だったり才能だったりが必要ですけど、オタクだけは何も要らない、誰でも自称した瞬間に体制側の弱者特権を得られる、実質ただの「無」ですもんね!
P.S.
他人に耳を貸さない僕らの習性は深く根付いている。それどころか、カルチャーに向けられた批判をやりかえすのが絆を深めるちょっと儀式になってすらいる。
でもね、誰かを攻撃する為に、“フィクション文学の教授”や“お高くとまった映画批評家”みたいな架空の人物をこしらえて、“迫害”されているフリをするのはやめなきゃ。
Blueskyでも同じような事が言われている。
オタク文化が勝利したのを祝う代わりに、多くのオタクができるだけ長く負け犬ポジにしがみつこうとした。
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