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温故知新ガイドツアー③

宮川香山を心から愛するnoteにようこそお越しくださいました🥰
ちょっとバタバタしていて先週投稿できなかったので、今週は二回
ガイドツアーの記事をお届けしようと思っています。

宮川香山による特別なやきもの、眞葛焼は横浜で開窯されました。
横浜市は日本一人口が多い政令都市です。
場所によって色が全く違います。私の暮らす街と香山の街は、同じ横浜市でも、全く違う性格をしています。

香山の作陶していた地域にはどんな歴史があるのか、私は知るため
西区の開催したガイドツアーに参加しました。
さあ、私と共に、開港都市横浜を、歩いて見てみましょう💡💡
🚶🚶‍♀️🚶🚶‍♀️🚶


ヨコハマのアートは街のあちこちに

皆で歩いて、ランドマークプラザとクイーンズタワーのすき間の広場に出ました。ここ、ヨーヨー広場と呼ばれているそうなんです。何十年住んでいても知らないものですね😧😧

これ、ポケットビスケッツのCDジャケットにも使われたんですよ。
足元に題名と1994年に作られたことも判るプレートがありました。
この辺はグランモール公園と言い、
この地区は、グランモール軸、クイーン軸、キング軸
という歩道整備された3つの区画に分かれている。
ちなみにジャックはない。

氷川丸の船台も(船も他にも)この辺にありましたが、戦争で失われました。空母兼タンカーの山汐丸(やましおまる)は、竣工一カ月で造船所から出ることなく沈没しました。空爆で破壊され、修理しましたがさらに他の船との衝突で大破し再起できなかったのです。
山汐丸の錨が街に残されています。
因みに、船の進水式は定例で女性が支綱(しこう)を斧で切るそうです。

シャンパンを船首にぶつけて割る役目は女性が行う事が通例で、これは1811年にイギリスの皇太子であるジョージ4世が軍艦の進水式の際に女性に赤ワインのボトルを船にぶつけて割る事を定めたのが起源です。
イギリスの王室、ハノーバー王朝では王女が必ず軍艦の命名者となり、赤ワインを船首に向かって投げつける
「進水式」は船のお産なんですよ。つまり人間でいえば出産です。
「進水式」の支綱切断は女性しか出来ないんです。

ウィキペディアより

街のモニュメント紹介

1930年に氷川丸建造。4号の船台があった場所には、このモニュメントが据え付けられている。「プランクトン」と題し、母なる海の食物連鎖を支える存在として作られたパブリックアートである。これらのアートは地権者が管理している。役所が管理しているわけではない。

この近くに植わっているのは……
剛桜(つよしざくら)
キンキキッズの堂本剛が2004年ソロコンサートを100回公演しました。公演で「ソメイヨシノ」という歌を歌ったため、この地に桜を植えました。元々神奈川大学の辺りに仮設会場が設置されていてそこに植えられていたのですが、その後この辺りに移されました。

このモニュメントは「風が語る」という題らしい。

みんなまだまだ歩きます🚶‍♀️🚶🚶‍♀️🚶🚶‍♀️🚶

伊能忠敬の測量は三角測量ではありません。明治7年、最新の三角測量で地図を作ったのが、高島さんが埋め立てた鉄道の辺りです。
横浜船渠の埋め立てから、みなとみらい地区の埋め立てに続いていきます。

内田町の飛び地部分、旧三菱重工正門の踏切

下記写真(踏切)の位置が高島線。
ここは現在の内田町の飛び地の部分にあたり、
丁度三菱重工の正門の位置だった。
実際ここが三菱重工だった時の社員さんの話によると、
朝、門を閉めるのが8時だった。
それ以降は頼んでも入れない。
入れない人は帰るしかない。
勤務日が減るので奥さんは夫の遅刻に気が気ではなかったろう。
一日なにもする事がないので、
この辺りの飲食店などは有難かったかもしれない。
余談だが、当時工事の時に頭に着用するのは麦わら帽子だった。
日除けと通気性はバツグンだが、
当然安全性に問題があり今はヘルメットである。
「ご安全に」という挨拶は、
住友金属工業が最初だが、
全国の重工業関係の会社の挨拶に広まった。
野球選手の大谷翔平の両親は
共に三菱重工に勤め社内恋愛で結婚している。
父は社内の野球部、母は社内のバドミントン部だったことから知り合ったそうだ。

次回第4回記事がガイドツアーの最終投稿となります💡💡
ここまで大分歩きましたね。
湾岸都市ヨコハマとして成長してきた軌跡が
ちょっとでも覗けたなら幸いです。

我が愛しの香山翁はここの大岡川の近くで窯を築いていたのですねぇ。


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