キリストの教会
【マタイの福音書16章13~19節から】
5月の第一週は私が牧師を務める筑西キリスト教会の宣教61周年記念礼拝です。
今回は、この記念の日を機会として「教会」とは何かということを聖書から学びたいと思います。
みなさんは教会についてどんな理解を持っていますか?
教会に行ったこのない人にとってももしかしたら教会といえば〇〇というイメージがあるかもしれません。
日本語の聖書で「教会」と翻訳されていることばは、もともとギリシャ語で"エクレーシア"と呼ばれています。
エクレーシアとは、2000年前のギリシャ圏で人々の集まる集会、あるいは議会を指すものでした。
ところが、イエス・キリストは弟子たちに「わたしはこの岩の上に、わたしの教会(エクレーシア)を建てます。」と宣言し、新しい意味をもつ集まりが誕生していきました。
ここにキリスト教会の起源があるのです。
では、この「わたしの教会」とはどんな集まりなのでしょうか?
中でも「この岩」と呼ばれた、ペテロのイエスに対する信仰の告白のことばに注目していきましょう。
これこそが教会を教会たらしめる重大な信仰のことばです。
イエスは何者か?
ここに示された教会の真理は、イエスの質問からはじまっています。
イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」と問われた。
「人の子」とは、旧約聖書で預言された救い主、メシアのことです。それは人とともに生きてくださる神の子の呼び名でもあります。
実は、人々はイエスのことをヘロデが殺害したバプテスマのヨハネのよみがえりであるとか(マタイ14:2)、メシアの先駆けとしての預言者エリヤだとか(マラキ4:5)、あるいは預言者エレミヤが再来したとか・・・一定の評価をもってイエスを見ていました。
しかし、そのどれもが的はずれなものでした。
続いて、イエスは弟子たちに問いました。
人々はイエスのことを様々な評判をもって色々とうさわしているかもしれない、しかし、弟子であるあなたがたは、何と答えるか?と。
それは、イエスと実際に交わり、生活をしてきたあなたがたは、何というかという人格に迫る質問です。
この質問をイエスは、私たちにも問いかけてくださるのです。
知識や人々の評判ではなく、
「あなたはわたしを誰といいますか」と。
クリスチャンになる、キリストを信じてキリストに従うというのは、イエスのことばを聞き、イエスと交わり、イエスを人格的に知り、イエスに応答するということでもあります。
信仰はただ心の中に秘めておくことではなく、イエス・キリストに人格的に応答することです。
ペテロはこの質問がいかに大切なものかを理解していたかどうかは別としてともかく弟子たちを代表して答えました。
「あなたは生ける神の子キリストです。」
キリストとは、神によって油注がれた「キリスト」(メシア)
神によって遣わされた「神の子」
人の手で作りだした偶像ではない、理論上の神でもない、「生ける神」であると。
信仰告白
イエスはペテロに「幸いです」と言われました。
なぜなら、この告白は人間の知恵や経験、洞察力によってなされるものではなく、神の啓示によってなされるものでした。
イエスは「このことを明らかにしたのは血肉(人間)ではなく、天におられるわたしの父である」と告げました。
イエスに対する信仰告白、人格的応答は、神ご自身が私達の内に働いて真心からの告白へと導いてくださるということです。
教会は、このように神の御心にかなう告白を基として集まる集まりであるということです。
この告白は人間の熱心さから出たものではないのと同じように、教会は弟子たちや後の信徒が組織づくったものでもありません。
神から出たものであり、イエス・キリストが建てられるものなのです。
キリストの教会
イエスは「あなたは生ける神の子キリストです。」という告白を受けて、「わたしの教会を建てます」と告げました。
イエスが新しいエクレシア、キリストのエクレシア(集会、教会)を生み出すという宣言です。
ペテロでも、弟子たちでも後の信徒たちでもなく、「わたしは、この岩の上に、わたしの教会を建てます。」と。
実は、エクレシアということばは福音書ではマタイの福音書16章と18章の二箇所のみに記されています。このエクレシアの誕生は使徒の働きに記された聖霊降臨の出来事(ペンテコステ)まで待つことになるのです。
つまり、教会は一切が神の主権によって建てられるということです。
福音書では、このエクレシアを建てられるイエス・キリストご自身に焦点が絞られており、後に使徒の働きにおいて具体的にエクレシアそのもののことが現されていくことになります。
最後に
今日はご自身の教会を建てられたお方イエス・キリストに私達の心を向けたいと思います。
筑西キリスト教会は宣教団体、多くの教会やクリスチャンたちの祈りや献金の支えによって今教会の集まりが継続されています。
しかし、その基はキリストご自身にあることを忘れてはなりません。
イエス・キリストの教会です。
私たちを信仰へと導き、応答を促してくださる父なる神に栄光がありますように。
私たち一人ひとりを見つめ、十字架に向かい、死に渡され、よみがえり、今も聖霊を遣わしてくださる、教会の主イエス・キリストに栄光がありますように。
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