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心の中にあるものを、そっと取り出して見つめたら。
「自己肯定感が低い」
自分の課題として永遠に突きつけられるこの言葉。
自己肯定感が高い方がいいのはわかってる。
高くしたいと心から望んでいることもわかってる。
でも、自己肯定感を高くしなければならないと自分自身に言い聞かせることは、自分に鉛を課すようなものだ。
自己肯定感を高くしようと思って、がむしゃらに意識し続けてたら高くなるものでもないような気がしていて、うまく言葉にできないけれど、囚われすぎないことが私には必要だと思う。
wantがhave toにならないこと。
自分で自分を満たせたら、そりゃあ最高だけれども、日々の小さな幸せに感謝して、嬉しいときに嬉しいって言えて、その喜びを伝えられて、眠りにつく時に今日も幸せだったなと思える日々を送る。それを積み重ねる。その結果、一般的に「自己肯定感」と定義されているものが、気づいたらついているんじゃないかな。
あくまで希望的観測だけどね。
「自己肯定感を高くしたい」という理想を理想のままで終わらせず、具体的にイメージしていくことで、課されていた鉛がちょっと軽くなる気がしている。
自分の今の現状を救いたいがために、苦しまぎれに書き留めた文かもしれない。
今の自分を認めてあげたいがために綴った文かもしれない。
まあ、とりあえず理由はなんでもいい。
書きたいことを書けている時ほど幸せな時間はない。
今心にあるものを取り出して、そっと見つめる。
私は今日も、ただただそれを繰り返していく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!