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『普通の人間』から本当の自分へ

個人が持つ身体的特徴や内面性、能力や才能は尊重されるべき個性であり、それはDNAがつくりだす。

私自身、世間的にマイナスイメージがあるDNAを持ち合わせている。
それは、軽いADHDとアスペルガー症候群の合併という一番中途半端な発達障害や共感覚である。

そんな私は『普通の人間』からどのくらい離れているのだろうか?笑

それと同時に、『普通の人間』の基準は誰がどんな考え方でつくった感覚から来ているのだろうと思う。

どうするかは自分が決める

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私は『普通の人間』にあまり憧れはない。
エッジのきいた人になりたい!とか、凡人で終わりたくない!とか、そういう意味ではなくて、

息苦しくもがきながら『普通』の枠にはまることを選択したくないのだ。

息苦しくもがきながらも頑張ったら『普通の枠』にはまれてしまう中途半端なDNAだからこそ、
周りや世間の判断ではなく自分で判断しなければならないことが多い。

そのまま頑張って『普通』を装って生きることもできる。
もしくは、装いを捨てて自分が生きやすい場所をつくることもできる。

その判断と決断は自分でしかできないのだ。

私の人生の前半戦は、普通を装うことを徹底してきた期間だった。
ここからはまず、普通を装って生きてきたきっかけなど、私の体験を紹介したいと思う。

ケーキ屋さんになりたい

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幼稚園の卒園が迫った6歳の冬、私はどうやったらスムーズに生きていけるのかを悟った。

それまでは、『どうして普通にできないの?』『どうしてそうなるの?』と言われることや、そう思われてるなと感じることが多くあった。

例えば、学習発表会の絵を描くとなったある日。
先生は発表会のあとにあった懇親会の時のことでもいいと言った。私は学習発表会よりも懇親会のことの方が印象的でわくわくした記憶があったので、それをテーマにした。

ここまでは良かったはず。
でも私が描いた絵をざっくり説明すると、真っ赤な背景に白い丸がいくつも描いてある絵だった。

先生からすると確かに『どうしてこうなるの?』である。

しかし私にとってはそれが懇親会の思い出だったのだ。
真っ赤な背景に白い丸は、懇親会会場のホテルに敷かれた真っ赤な絨毯に白のクロスがかかった円卓を表していた。

この会場を上から見たらどんなにきれいな景色(配色)だろうかと思ったことが印象に残っていたからである。
他にも刺繍の金や、彩とりどりのお花なんかもあったのだと思う。

そして、6歳の冬、卒園アルバムの作成時期になったときのことははっきりと覚えている。

大きくなったらなりたいものを書きましょう、と先生から白い紙を1枚渡された私は、その名刺サイズの小さな紙とにらめっこをしていた。
私が考えていたのは、

『なぜ大きくなったら何かにならなければならないのか。』

だった。
私は、大きくなったら何かになる、という考えが、
自分が自分でなくなるような発想に思えて書く気を失くしてしまった。

私は私。
それ以外の何者にもならない。

そんな感覚だった。

私は白紙で提出した。

が、即返品された。

何かを書かなければ卒園出来ないような雰囲気だったので、仕方なく教卓の前からUターンをし、自分の席に戻ろうとした。

『みんな何を書いているんだろう?』

私が近くにいた女の子の紙をチラっと見たとき、ペットショップの人になりたいと書いているのが見えた。
もうそれでいいや、と同じことを書きかけたとき、

『真似した』と言われてまた返品をくらうことが頭をよぎった。
その時、私の前からもう一人の女の子が提出にやってきた。すれ違いざまに見てみると、ケーキ屋さんになりたい、と書いてあった。

オーソドックスで、誰もが書きそうな、多数ありそうな、『ケーキ屋さん』。

これなら返品されないはず。

その予想は的中し、見事提出することができた。
多数派=普通、つまりみんなと同じことをしていることがよしとされる世界。

6歳の冬、『どうやったらスムーズに生きていけるか』を悟った瞬間だった。

高いコミュニケーション能力

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私はコミュニケーション能力が高いと評価してもらうことが多く、友達はジャンルやタイプを問わず多い方である。
ほとんど相手から声をかけてもらって仲良くなるパターンで、10代の頃は『どうしてあの子と仲良くしてるの?』と聞かれることもあった。

なぜ誰とでも仲良くなれるのか。

それは、『どうやったらスムーズに生きていけるのか』を追求した結果である。

高いコミュニケーション能力を手に入れられたのは、
観察と実践の積み重ねがあったから。
人間関係をうまく構築する人を観察し、同じように実践する。
喜んでいる人を観察し、喜ばせた人の行動を実践する。

6歳の時に感じた、みんな何を書いているんだろう、の延長である。
スムーズにいく人は何をやっているんだろう。

これをあの6歳の冬から実践し続けている。
決して万人と仲良くなりたいわけでもなく、本来の私はどちらかと言うと、できる限り一人の時間を死守したいタイプだ。

でも人間関係をうまくつくれる方がメリットが多いことも知っている。

その良さを知ったうえで、
これからの人生の後半戦は、普通の装いを捨てて自分が生きやすい場所をつくっていこうと思っている。

本来の自分へと。

どちらの自分で生きるのか

誰とでも仲良くなれる自分。= 他人軸で生きる自分。
懇親会会場のように、描きたいものを描く自分。= 自分軸で生きる自分。

どちらで生きるのか。
どちらで生きたいのか。

私は徐々に後者の方へとシフトしている。
長年、前者で生きてきたからこそ仲間や支えてくれる人も多くなり、土台ができたように思う。

だからこそ、これからは後者である自分軸を大事にし、
『どうしてそうなるの?』と言われても、

私は私だから。と答えるようにしていきたいと思う。

普通の人間って?

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『普通の人間』というのは、単に人種の大枠での特徴であり、どこにも『普通の人間』というものは存在しないと私は思う。

法律や制度を変えることは簡単ではないが、人を傷つけない主張なら、私はこうだと言うことはできる。

それが、少数派の意見であったとしても、大多数の人が手を挙げたものが必ずしも正しいわけではない。

『普通』という言葉に惑わされず、
なりたい自分を目指す努力に時間を使いたいと思う。



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