ある秋の穏やかな日

 明日に変わってゆくことが、堪らなく恐ろしい。だから朝を拒絶して、いつまでも今日が終わらないことだけを祈り、ぼんやりと微睡み続ける。ずっと続いてゆく夜だけが救いなのに、気づけば新聞配達のバイクの音がして、空は白み、鳥が鳴く。そうしてまた今日が始まることに絶望する。どうせ始まった今日も昨日と同じで、またその次の日が来ることを恐怖して、朝に絶望するだけなのに。そういう同じことの繰り返しで、後ろに道ができてゆくだけなのに。それでも、どうしても、道を延ばしてゆくことに耐えきれず、無駄な抵抗をしてみたりするのだ。そうやって、気付けば長くなってしまった道の先にぽつんと立っている。けれど、振り返るようなことも、取り戻したいと焦がれるようなこともない。それは積み重ねでも何でもなく、ただの惰性で年月が経ってしまっただけの代物だから。たとえ振り返ったところで、取り戻したいものなど何もない。果たして何かを犠牲にしてきたのかと考えても、そんな大層なものなど何一つない。惰性に身を任せたがゆえに、何かを取りこぼしてはいないかと問われても、取りこぼしたものに気付けないのなら、それはもはや無かったのと同義だ。いつだって迫り上がってくるのは、素直になれなかった愚かしさと、誰かを傷つけてしまった事実。そういうものばかりが、まるで今の出来事かのように、頭の中を何度も何度もリフレインして、今さらどうにもしようもないことばかりが、ぐつぐつと煮詰められてゆく。相手はもう忘れてしまっているかもしれないし、もはや自分の中でも正しい記憶かも曖昧なのに。ずっとずっと後悔の感覚だけが、無意識に煮詰め続けられてゆく。そうして明日が来るたび色濃くなって、胸のちょうど真ん中辺りを突き刺すのだ。ひたすらに愚かさを深める精神的自傷は、いつだって世界に優しくない自分を演出するだけだった。
 うつらうつらしているうちに朝が来て、ひとしきり絶望する。そうして、どうしたって消えてなくなれない臆病な自分は、自らを生かすために息をして、経済をする。分かち合いたいとも思わない、ただの孤独を持て余し、同時に諦めながら、息を吸って吐く。時折後ろにできた道にぞっとしてみたりしながら、生きているふりをする。それが毎日だった。

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 その日も同じように朝を拒絶しながら、朝を迎えた。わんわんと暫く頭の中が鳴って、そうして止んだ。カーテンを開ければ、ろくに眠っていない脳が妙に視界を鮮やかにしていて、高い空がさらに高く見えた。空気を取り込みたくなって窓を開ければ、涼しい風がふわりと部屋に入ってくる。穏やかな朝だった。頭の中で響く責め立てるような音も、胸を痛める後悔もなく、ただただ風が心地良いと思った。窓の外、空の青が色濃く映り、木の葉の赤や黄色が、目に刺さるようだった。久しく感じたことのない、凪いだ心が体内にあって、それは本当に突然のことだった。世界が終わるならこんな日がいいと思った。
 お気に入りの服を着て、お気に入りの靴を履いた。家の玄関を開け、鍵を閉める。心は凪いで、穏やかなままだった。私は世界に優しくなかったけれど、世界は、はなから誰にも興味などなかった。美しくもなければ醜くもなく、終わりも始まりも全て、誰か彼かの外側でしか起こらない。そこに恣意などなくて、ただ偶然に在るだけのものだ。でも今、私が鮮やかだと感じる世界は私だけのもので、凪いだ心が今の全てだった。後ろにできた道はいつしか分断され、前にも後ろにも何もなかった。それが心地よく、嬉しかった。どこまででも駆けてゆけそうだと思った。
 そのまま軽やかな足取りで、いつも横目に通るだけだった電話ボックスに向かった。道中、風は心地よく、空は高いままだった。
 三十分ほど歩いて、目的の場所に着いた。先客はいないようだった。そのまま中に入り、受話器を上げた。お金を入れて、随分前に貯金を叩いて買っておいた番号にかけると、すぐに機械音が答えた。「もしもを、どうぞ。」用意していた言葉を伝えれば、しばらくして受理したとのアナウンスが流れた。そのまま受話器を置くと、じんわりと世界との境界が薄まってゆくのを感じた。視界に映る空は終始、どこまでも青く、高いままだった。消えてなくなるならこんな日と、ずっと決めていたような気がしたが、その思いもすぐに曖昧になって霧散した。


 「もしも私が居ない世界だったら」



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