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母と過ごした美しき日々

闘病中の母が4月14日に旅立ちました。

がんがわかってから1年4ヶ月。

葛藤の連続でした。

父の時は入院しっぱなしだったけれど
コロナ禍もあってか
外科手術はせずに抗がん剤治療だったからか通院治療で。

病院より家の方が本人も嬉しいことはわかっているけれど
病気の人と一緒に暮らすことは思っていた以上に大変で。

治療の影響で辛そうにしていると
こっちまで気分が滅入ってしまって

病気と闘う母を支えてあげたいけど
支えきれないもどかしさがありました。

とりあえず自分の仕事もしなきゃと
行動しなきゃいけない環境に身を置いてみたけれど
なかなか看護と自分のことのバランスがうまくとれず
思うように行動できなくて自信をなくしたり。

特に2月終わりくらいからは
支えがないと歩けなくなり
自分で歩けなくなり
寝たきりになり
と1週間ごとにどんどん体の機能が衰えていって
慣れない介護に感情が爆発するときもありました。

父はお盆の3日間だけ自宅に帰れましたが
あとは半年間ずっと病院で
「家に帰りたい」
と言っていたのが本当にかわいそうだったので
「家にいたい」
という母の意向に沿って
わたしもどんなに大変でも介護をするという覚悟を決めました。

3週間ほど前に訪問医療に切り替えた時に
大体あと1ヶ月と告げられ。
ここ2週間は仕事をセーブして一日中母に付き添い
最後は自宅で看取ることができました。

わたしの影響で嵐ファンになり
最近はずっと嵐のライブの映像を流していて
訪問でいらっしゃる看護師やスタッフの方達と嵐の話で盛り上がっていた母。

棺には天国でライブに行けるようにうちわとTシャツとツアーバッグを入れ
思い出の品コーナーにも嵐グッズを並べ
出棺の時には
「走り出せ〜、走り出せ〜♫」
とよく口ずさんでいたhapinessを流してもらうという嵐葬で無事にお見送りしました。

余命1ヶ月を告げられてからは毎朝起きるたびに
「息をしていなかったらどうしよう」
と不安にかられ
息をしているのをみて安心するという日々だったので
今は悲しいよりも少しほっとしています。

父が亡くなってから19年。
父に対して後悔だらけだったので
その分、母との時間を大切にしようと
いろいろな場所に出かけたりして過ごしてきたので
不思議と父の時のような喪失感や悲しみはあまりなくて
時に周りの人に
「お母さんも大事だけど自分の人生も大事なんじゃない」
と言われることもあったけれど
わたしにとってはこれが正解だったのだと思います。

実母と義母と同じ花がキレイな4月に旅立ててよかったね。

最後にがんばって車椅子に乗って桜を見に行けてよかった。


めいっこちゃんが飾ってくれた花帽子が本当に似合っていたよ。


たくさんの人が見送りにきてくれて、人に愛された自慢の母親だと今更ながら思いました。

美しき日々をありがとう。


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