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スマホ遍路日記(186:五十四番延光寺〜五十五番南光坊)

【2023年10月19日(木曜日) Day 195】

 今日は札所五十五番南光坊を打った。他の札所と違って「寺」という文字がつかない札所は八十八ケ所中でも珍しく南光坊と六十八番の神恵院くらいだと思う。

 もとは伊予一宮の大山祇おおやまづみ神社の別宮として他の坊同様に大山祇神社のある大三島の南に設置されたものの一つ、南光坊が弘法により札所として制定される。その後大山祇神社の坊は長宗我部元親により悉く焼き払われるも南光坊だけは復興する。

 明治の神仏分離の際に本地仏だった大通智勝如来を別当寺から移動させ完全に神社とは切り離して寺として独立するも、大山祇神社との繋がりは本尊が大通智勝如来という本地仏であることからも窺い知れる。このようなもとは土地の神だったものが如来や観音などになることを本地垂迹ほんじすいじゃくとも呼ぶ。

 この南光坊の御詠歌にも、

このところ三島に夢のさめぬれば
別宮とても同じ垂迹

 と謳われていて南光坊の成り立ちが他の神社なくして語れない事を物語っている。

 この寺の本尊大通智勝如来の名前は読経の時の真言にも用いられ真言は

なむ だいつうちしょうぶつ

だったものがつい最近になって大日如来の

おん あびらうんけんばざらだと ばん

へと変更になっている(変更後はまだ行っていない)

 巡礼を始めた頃は札所の場所や距離など、目の前のことに言うなれば振り回されていたものが、次第に本尊の種類、境内の建物の配置や神仏分離の影響など学べば奥深いものの存在に気づくものである。

 南光坊は今治市内でも最も中心に位置していて敷地もいかにも町寺だ。「いかにも町寺」はあまり印象にも残らないもので他のよく似た町寺とも区別がつかなくなってしまいがちだ。しかしこのお寺の納経所はちょっとした有名人がいて、寺を打ちにきたお遍路の顔と名前を多く覚えているという方がいる。ちょっとしたメモを書いてくれたりと親切でその人の印象でこのお寺を覚えているという遍路も少なくはないだろう。我が家もわんこと一緒にお参りをしたことから覚えてもらっている。

 この寺を打つと次の札所五十六番泰山寺は真っ直ぐ南西に進めばよい■

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