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十一歳・二十歳

【療養日記2023 6月23日(金)】

 今日の日記はほぼ二部構成で、前半は写真を含んだ「十一歳」。後半は沖縄の慰霊の日についての「二十歳」とそれぞれ見出しをつけることにした。

十一歳

 今日は我が家のラーレ十一歳の誕生日だった。毎度書くが我が家は三頭いるわんこの誕生日と我が家にやって来たうちの子記念日の二つはお祝いをする。特に誕生日はちゃんとパーティーもする。

 以前は行きつけのドッグカフェでバースデーケーキを作ってくれたのだがそれも今ではそのサービスが終わってしまい誕生日は他のお店でお祝いをする。

 ということで今日は夜になってみなとみらいに出かけてわんこも入れる焼肉店「うしすけ」に行った。今日行ったのはみなとみらい店。ハンマーヘッド横にあるマリン&ウォーク内にある。

久々のご馳走でニコニコ

 ラーレは他の二頭とは違い早くから持病が見つかり別の病院にも通っている。そしてその病院と普段から行く犬猫病院ともネットワークが組まれていて情報が共有されている。今現在は持病も安定していてほとんど症状も見られない状態だ。その他にもこれまでに骨折をしたり脱臼をしたりと犬猫病院には結構お世話になっている。

 持病があったり怪我が多かったりとここで書くとかわいそうにと思われそうだが末っ子パワー炸裂で日頃は元気そのものだ。三頭の中では一番食べることにもこだわるし大食いでもある。

今日の主役、ラーレ
お店のフォトブースで記念撮影


 食事を終えるとせっかくみなとみらいに来たのだから夜の新港埠頭でもお散歩をしようかという事に。新港埠頭には最近になって今日行ったマリン&ウォークとハンマーヘッドの二つの新しい施設ができ、山下公園〜象の鼻パーク〜赤レンガ倉庫〜新港埠頭〜臨港パークと新たなベイフロントの観光地が出来ている。

 わんこのイベントも多いため我が家もよく利用してはいるがまだまだ新港埠頭は馴染みが薄い。それでも今日はハンマーヘッドにわんこも連れて行き思いの外テラスならわんこ可の店を実際に見てきた。

ハンマーヘッドから見たみなとみらい
映画のワンシーンみたい


 今日はそんなわけで平日ではあるが素敵な金曜日を過ごすことができた。

二十歳

 さて、もう一つまるで違う内容の話を書く。今日は沖縄の慰霊の日でもある。1945年のこの日に沖縄戦は終結する。その沖縄戦で亡くなった民間人と日米両軍並びにその他の非戦闘員(朝鮮から強制連行された人達など)の慰霊の日が今日だ。

 大学生の頃、所属していたゼミの夏の研修が沖縄で行われた。その旅費を稼ぐため二十歳だった僕は一ヶ月半ほど三陸のとあるキャンプ場で働いていた。

 そのバイト生活の前後のこと、ゼミの教授に沖縄研修のプレ講座をやってくれと言われた。理由はゼミ生の中で僕だけがその年の「平和研究」という他学部(経済学部)の講座を履修していたからだ。その講習で沖縄戦を扱っていたことをどこからか教授は耳にして、その講座をたまたま受講していた僕に白羽の矢が当たった。

 そんなわけで沖縄戦について自分でもあれこれと調べた。当時はインターネットなどないし、文献を探すのにも一苦労だ。しかし調べれば調べるだけ多くのことを学ぶことができた。

 そんな中最も衝撃的だったのは沖縄の民間人にとって最も恐ろしい存在は敵兵もさることなから日本兵だった事だ。「ガマ」と呼ばれる天然の洞窟に日本兵は奥深く籠り、民間人を盾のようにして蓋をしていた。そんな記録が多々残っている。

 自決の強要の話、ウチナーグチ(沖縄方言)の禁止と守らなかった者の処刑、子供を集めて端から銃殺、八重山では強制的に住民をハマダラ蚊のいる場所に移動させマラリアに罹患させるなど、日本兵の行いは恐怖でしかなかった。殊更そのような事実と生存者の証言、手記などを見るに学校でどうしてこれを教えてくれなかったのかと悔しくなったものだ。

 太平洋戦争で日本は一方的な弱い立場の被害者で、最後は原爆を落とされて敗戦したとばかり思っていたが、沖縄での日本軍は日章旗を背負いながらなんと惨たらしい事をして来たのだろうとショックでならなかった。そしてそんな事実を教えてもらえなかったことにも強く疑問を感じた。

 同じ頃「きけわだつみのこえ」も読んだので感じ方はより一方的になっていたのも否めない。

 そんな経緯があり沖縄戦に関しては多少の知識がついている。プレゼミでは映画「ひめゆりの塔(古手川祐子主演)」を観たあとで沖縄戦の講義をした。そのプレゼミのおかげで沖縄研修の時も戦跡を自主的に観て回るゼミ生も多く、現地で受けた同じ様な講義の下知識にもなったと思う。自分も思いの丈を全てではないにせよ他のゼミ仲間に伝えられたと思っている。

 その時調べて学んだことは当初二十歳だった自分には衝撃的だったしとにかく凄惨な話ばかりだった。やがて学校で働く様になってからも折を見ては子供たちに沖縄戦の話に軽く触れ、子供たちに自分で勉強するように仕向けて来た。

 関心を持たせれは勉強してくれる。関心がないのなら無理強いはしない。僕の専門は社会科ではなかったので本当にちょっとの事しか話はできない。

 たいていの子供は原爆には関心を持って自分で本を探して読むなど知識を追加補強させる。同じ事を沖縄戦にも応用してみると結構関心を持つ子供もいて詳しく知りたいと言う子供もいた。

 幸いにも自分の本職、英語の教科書でも沖縄の話題が出て来たので導入も楽だったと思う。こうして恐らくは関心を持った子どもが自主的に調べて沖縄戦のことを学んだに違いない。

 あのプレゼミはもう遠い昔の話。しかしその時の知識は今も慰霊の日の迎え方を考えさせてくれる。

 日本人として日本に暮らしている以上、戦争に対する責任、沖縄、韓国などに対する責任は必要最低限持っていても間違いではないと自分は思っている。

 コール元ドイツ首相も第二次世界大戦でのドイツの行いに対し全国民が忘れずに責任を持ち続けなければならないと宣言していて、ドイツは戦争責任に関しては日本人以上に意識が高い。

 過去の全てに責任を持てと言うわけではないが、沖縄戦に関しては最低限のことは知っておいても悪いことではないと思う。それによってこれからの日本を担う者一人一人が同じ惨劇は繰り返さないと強く意識をする事に繋がるであろう。

 駄文をツラツラ続けても仕方のない事だが、慰霊の日がいつだったかは忘れても構わない。しかし何の御霊を慰める日なのかは忘れてはいけないと思う■

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