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お遍路ウォーキング日記(246:八十三番一宮寺へ ②)

【2024年9月7日(土曜日) Day 246】


 昨日札所八十二番根来寺を打ってからは滑り降りるように五色台を下って高松市内へと向かっている。今日は高度はだいぶ下がったがまだ五色台から下りきっていない。そして今日時点の現在地は昨日の日記でも書いた鬼無町の佐藤だ。

 昨日の日記の最後の段落に書いた「鬼無町佐藤」に今日は来ている。

 どこかの地理学者だか郷土学者の先生が日本には現在鬼の字が付く市町村はないと言っていたが、かつてはそれが実在した。と言ってもここ鬼無町ではない。鬼無町は現在高松市の一部だ。それ以前は上笠井村と呼ばれていた。上笠井村の時代にはすでに予讃線が存在していて現在の鬼無駅も存在していた。もっと以前、この予讃線の前身である讃岐鉄道が開通した時には鬼無駅が存在していたので鬼無という名前は十九世紀の頃からある。

 もともとは桃太郎伝説から鬼無という名前がつけられたらしく、讃岐の桃太郎伝説は昨今の桃太郎とは違い、桃太郎なる人物は実在したと言われる稚武彦尊わかたけひこのみことが地方開発で讃岐に来たときに川(本津ほんづ川)で年端の若い美しい娘を見初めて婿入りし、この地を困らせる鬼(実は女木島を拠点としていた海賊)の話を聞き犬、猿、雉を集めて大きな軍をつくり海賊成敗に出るという話。

 この伝説での犬は岡山にある犬島の住民。猿は讃岐の陶芸師猿王。雉は上笠井村雉が谷の住人の事だという。(以上はWikipediaより引用)桃太郎は女木島の鬼を退治したが後に鬼が讃岐に仕返しに来たところを返り討ちにして全滅させたところから鬼も居なくなる場所とし鬼無と呼ばれるという話が遺っている。

 鬼の字のつく町村名に話を戻すが、平成大合併以前には長野県に鬼無里きなさという町があった。現在は長野市の一部になっている。 また昭和大合併以前だと徳島県に鬼籠野おろのという村があった。現在は神山町の一部となっている。他にもあるのかも知らないが自分の知り得るところではこの二つがある。

 因みに鬼籠野は巡礼のルート上にあり、札所十二番の焼山寺と十三番の大日寺の間に位置する。多分この日記でも鬼籠野で一日の打ち止めを迎えていたかと思う。

 明日以降は移動距離も歩数も少なくなるだろうから札所八十三番を打つのはまだ先の話として■

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