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お遍路ウォーキング日記(186:六十五番三角寺へ)

【2024年7月9日(火曜日) Day 186】

 今日は札所六十四番前神寺を打った。前神寺は小松の宝寿寺と吉祥寺が国道11号線沿い香川方向に向かって左手にあるのに対し、右手にある。すぐ近くには石鎚神社などもあるが、何よりも墓苑の広さに驚くと思う。

 今日打った札所六十四番前神寺について簡単に書こうと思う。この寺は以前札所六十番横峰寺について書いたときにも登場している。

 横峰寺もそうだが、この前神寺もまた石鎚山とは深い繋がりかある。まず山号が同じ「石鈇いしづち山」だ。

 寺の縁起も横峰寺と似ており、役小角えんのおづのが石鎚山に登って苦行をしたときに何事も為せば成ると言うことを悟り蔵王権現を体得し、下山して現在の石鎚神社中宮祠成就社のある場所でその像を彫って祀ったのが始まりという。

 その後この場所に前神寺が建立され石鎚山への登山道も整備される。そして弘法もここで修業をしている。

 江戸の時代になって前神寺は札所としての役割を果たすために現在地に移り、そこを里前神寺、最初の場所にあったものを奥前神寺と呼び分けをしていた。

 明治の神仏分離令により奥前神寺は仏閣としての役割を解かれ石鎚神社中宮祠成就社となる。そしてロープウェイがすぐ近くまで開通された。

 里前神寺のすぐ近くには石鎚神社口の宮本社本殿もあり、石鎚山と前神寺との繋がりは深い。また札所の巡礼路も時と供に変わり、横峰寺→星が森(横峰寺奥の院)で石鎚山を登ったことにする者も増え、奥前神寺はスキップされてしまうこともあり、石鎚神社の別当を巡り横峰寺と前神寺が係争をした歴史もある。

 現在の前神寺にも滝行の形跡等が残っておりかつては大きなお寺(今でも結構広いお寺だ)だったことが窺い知れる。かつては数多くの末寺を持った大きな寺も廃仏毀釈により廃寺にされてしまった経緯があるのは他の寺の歴史とも共通したところだ。

 現在は墓地を手広く営んでいる。他の札所でも積極的に墓地に力を入れている寺は多く、それが現代の寺院の復興、繁栄の形なのだとこの寺にお詣りに来る度に考える。かつての墓地は集落の外れにあるのが一般的だったが、今は寺で一括して管理する方が僧侶も出張する必要もなくなり楽なのだろうと思う。

 前神寺を打つと次の札所六十五番三角寺は東に50㎞弱も離れた伊予三島(現在の四国中央市)にあり、左手に燧灘ひうちなだを望みながら進んでいく。歩きも車も基本は国道11号線かその横を通る旧道を進む。車の場合は松山自動車道も通れるが高速道路からは燧灘がよく見える。

 これからしばらくの間は燧灘沿いの巡礼路を辿る事となる■

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